広島県呉市、戦時中は連合艦隊の母港で
海軍の街として有名です。
JR呉駅を降りてすぐ、海上自衛隊系テーマパーク
「てつのくじら館」があります。海上自衛隊を退役した本物の潜水艦を
陸揚げし、展示しているのです。しかも入場は老若男女ともに無料!
潜水艦とはどんなものなのか?
潜水艦に興味がある方も、そうでない方も、一見の価値ありです!
どーーーーん!!
さて、入口はどこだ?
この海上自衛隊の潜水艦「あきしお」は昭和58年に竣工、同60年に進水
昭和61年より就役。大海原へ潜航を開始しました。
平成16年に役割をまっとうし、退役。
クレーンで引き上げられ、呉駅前に展示される運びとなりました。
やっと見つけた。ここが入口。潜水艦の横に
資料館建屋が併設されており、まずここから
見学するようです。
なんと、老若男女、入場は無料だ!
あ、さっきも言ったか。休日ともあって
ご年配から和やかな雰囲気の家族連れまで
大勢がお越しでした。
入るや否や、いきなりどーーーん!
これは「機雷」です。
もちろん本物。
海にプカプカ浮かべて、敵の船や潜水艦に
触れると爆発するワナのような兵器です。
海上での地雷と考えてください。
機雷は戦争中、日米ともに用いたものですが
戦争が終わってもたくさん残っていたので
これを処理する作業が、現在でも続いています。
この海の危険を排除して綺麗にする作業を
「掃海」と言います。
日本海軍が自分で敷設した機雷はまだ構造が
わかっているし、単純なのでマシだったのですが
米軍が飛行機から投下した機雷が兎角多く
掃海は危険と困難を極めました。
掃海はすべて日本の仕事でした。
我々の日本人が一生懸命、機雷を取り除いている
最中(当然、殉職者も大勢出ています)
アメリカは何をやっていたかと言うと
朝鮮半島で戦争をしていました。
「朝鮮戦争」です。
アメリカは昭和20年に日本を降伏させた直後
休む間もなく、朝鮮半島で共産勢力と対峙。
今度は占領した日本からB-29を飛ばし
朝鮮半島の各地を爆撃したのです。
この戦争は泥沼化し、総指揮官の
マッカーサーが次のような立案をしました。
「勝つためには20個の原爆投下が必要だ」
この強行姿勢を辞さなかったため
大統領から司令官を更迭されました。
結局、アメリカは共産勢力を押し返すことができず
朝鮮半島は分断され、北朝鮮と韓国にわかれて
しまったのです。
話しが少し逸れましたが、その間に、日本は一生懸命「掃海」に従事していました。
こちらを見学すると、そういった苦労が理解できます。自衛隊OBの方がガイドしてくれます。
いよいよ潜水艦の資料へ参ります。
資料館を見学して、最も感じたことは
「狭い」「恐怖の閉塞感」です。
こちらは寝台と洗面所。
潜水艦は一度航海に出ると
数か月この空間で過ごします。
海上自衛隊員の中でもとくに
忍耐と精神力が求められる任務です。
潜水艦乗りはエリートです。
潜望鏡です。
自由に触ってよろしい。
食事です。三食のほかに中間食というものが
あります。実質一日四食となります。
潜水艦の厨房は当然狭く、料理も限られている
し、簡単なものと思い込んでいたのですが
意外にも華麗なるメニューです。
でも少し考えれば、ずっと海の底でのお仕事。
食事は何よりの楽しみですからこれくらいは
当然ですよね。
資料館を一通り見学したので、
いよいよ潜水艦の中へ入って参りましょう。
せ、狭い。すれ違いにも一苦労だ。
こちらが三段寝台。
なぜ照明の色が違うのか?それは昼夜の区別をつけるためであります。
潜水艦は昼夜の感覚が鈍くなってしまうので、時間帯によって艦内の照明の
色を変えているのです。
白が昼間で、赤が夜間です。
椅子が一脚と寝台だけのある狭い部屋が艦長室です。
艦長室は艦橋同様の計器類が揃っており、就寝中の
緊急事態に対応できるようになっております。
艦橋の操舵席。なんと!椅子に座って操艦できます!
舵が動きます。自衛隊OBのガイドの方が「取り舵いっぱい」とか「急速潜航」とか
指示してくれます。大人でもOKですよ。せっかく来たんですから恥ずかしがらずに
潜水艦を動かしてみましょう。
潜望鏡も自由に触ってよろしい!
グルグル回しながら実際に外が見えます。
同じ場所です。夜間照明。
昼間だったり夜間だったり、ガイドの方が頻繁に変えてくれます。
以上で潜水艦探索おわり!潜水艦勤務は
本当に過酷なものだと実感がわきました。
海上自衛隊の潜水艦乗りの方々、日本の海を守ってくださり
ありがとうございます!
外に出て、青空と太陽がこんなにも気持ち良いものだったとは。
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