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2014年12月10日 (水)

富安俊助中尉とエンタープライズ

◆実在した「永遠の0」宮部久蔵のモデル

映画『永遠の0』最後のシーンを見た私は即座に
これは実在した富安俊助中尉のエピソードとそっくりだ!
富安中尉をモデルにしたのではないか?そう確信した。
 
以下、ネタバレを含む。映画『永遠の0』ラストシーンで
宮部久蔵は特攻隊として爆弾を抱いて敵空母へ突入する。
遂に横っ腹に突入するという寸前、90度急上昇し、敵空母の直上から
機体を真っ逆さまにして甲板へ突っ込むという壮絶なものであった。
 
ここまでは『永遠の0』の内容であり、フィクションである。
-------- 
 
◆以下、ノンフィクション
以下はノンフィクション。富安俊助という実在した零戦搭乗員の物語である。
富安俊助中尉は私が運営を務める第二師団の戦友会でお世話になっている
元第二師団第二連隊の陸軍大尉、水足氏(陸士56期)のポン友(親友)であり
家も向かいだったということで、思い出話をよく聞いていた。
そのエピソードを紹介する。
 
  
◆富安 俊助(とみやす しゅんすけ)
大正十一年、長崎県に生まれ、まもなく東京へ引っ越した。幼少期

は「メバチ」のあだ名で呼ばれた。早稲田大学に進学、大学では柔道
部に所属した他、全てのスポーツに長けており、また音楽を愛した。
在学中はハーモニカバンドを結成しコンサートを行うほどであった。
 
水足氏によれば「富安は兎に角、運動神経が抜群で、中学の鉄棒で
大車輪を何度もやっていた」という光景をよく覚えているそうだ。
 
昭和十七年九月、早稲田大学政治学と経済学の学士号を取得卒業後

満州鉄道に就職したが、僅か一年後の昭和十八年九月、学徒出陣を受
け海軍へ入隊。飛行専修予備学生として、筑波海軍航空隊へ配属され
僅かばかりの期間、訓練に励んだ。
 
◆鹿屋進出
昭和二〇年 四月二十二日
出撃を控え海軍鹿屋航空基地に移動。
 
◆神風特別攻撃隊「第六筑波隊」出撃
同年 五月十四日 午前五時三〇分
第六筑波隊の爆装零戦隊十五機は、五〇〇キロ爆弾を抱いて鹿屋飛行場を
飛び立った。滑走路の端一杯まで滑走して、ようやく機体が浮い
たという。
途中、一機がエンジントラブルで引き換えし十四機となっ
たが、同じく鹿屋を
発進した第十一建武隊第八七生隊第六神剣隊
の爆戦十二機と合流し、
合計二十六機となって南方の米機動部隊を目
指した。これを察知した機
動部隊はただちに迎撃隊を発進させた。特攻隊のうち
十九機が迎撃戦闘
機により撃墜され、六機が対空砲火によって突入前
に撃墜された。

◆富安機の突入
午前六時五十六分
戦友の犠牲のもと、ただひとり生き残った富安俊助中尉は、対空砲火
を避けて一旦雲に身を隠した。そして時折雲間から顔を出してはエン
タープライズの位置を確認しつつあった。一方のエンタープライズは
20分前からレーダーで富安機を捉えていたが、雲に隠れた富安機に
効果的反撃ができずにいた。エンタープライズが回頭し艦尾を向けた
瞬間、富安機は満を持して急降下突撃を敢行。エンタープライズは集
中砲火を浴びせたが、横滑りを駆使する富安機に致命弾を与えられぬ
まま、ついに懐への進入を許した。
 
そのまま横っ腹に突っ込むかと思
われた刹那、富安機は五〇〇キロ爆弾
を抱いたまま、一気に引き起こ
し、艦の真上へ上昇した。雲間から射した
日光を浴びてゼロ戦の腹が
輝いていた。富安機は一八〇度左旋回すると
揚力を抑えた背面飛行
のまま、艦直上より前部エレベーターに突入した。
突入時の衝撃によ
り前部エレベーターは上空およそ一二〇メートルまで
吹き上げられた
エンタープライズは大破し、沈没こそまぬがれたが、航空機の
運用は
不可能となり、戦線離脱を余儀なくされた。
 

富安俊助 
▲エンタープライズ直上より背面飛行のまま突入を敢行せし富安俊助中尉機
 

◆艦上で富安中尉を称える式典が行われる
エンタープライズ艦上ではこの攻撃で死亡した空母クルーの水葬を
行ったのち、別の式典が行われた。これは敵であった富安中尉を称え
る名誉式典で、同式典により富安中尉の遺体は米水兵と同様に手厚く
水葬された。
 
米本土へ回航されたエンタープライズは入渠修理のまま終戦を迎える。
修理完了後は兵員引揚船として僅かに運用されたが空母としての
戦線復帰は果たせぬまま除籍。「ビッグE」栄光の歴史に幕を閉じた。

富安俊助の突入後
▲富安機突入の瞬間。上空120mまで吹き上げられたエレベーターが確認できる。
戦艦ワシントンより撮影。
 

富安俊助の突入後のエレベーター 
▲突入直後のエンタープライズ甲板。消火活動を行うクルー。
 

◆犠牲となった特攻隊員
この攻撃で犠牲となった特攻隊員全員をここに記す。

以下昭和二十年五月十四日海軍鹿屋基地出撃。
機種はいずれも爆戦(爆装零式戦闘機)である。
氏名、出撃時の階級、出身都道府県、出身大学もしくは
予科練期別、生年の順。

  
第六筑波隊

富安 俊助  中 尉 東京 早稲田大 大正十一年生まれ

大木 偉央  少 尉 埼玉 宇都宮高農 大正十二年

大喜田久男 少 尉 徳島 日本大学 大正十年

小山 精一  少 尉 東京 中央大学 大正十年

黒崎英之朗 少 尉 福岡 慶応義大 大正十二年

時岡 鶴夫  少 尉 兵庫 京都帝大 大正十一年

藤田 暢明  少 尉 徳島 東京農大 大正十二年

中村 恒二  少 尉 茨城 早稲田大 大正十一年

高山 重三 少 尉  愛知 同志社大 大正十二年

荒木 弘   少 尉  愛知 東洋大学 大正九年

本田 耕一 少 尉 兵庫 法政大学 大正十一年

西野 実   少 尉  石川 拓殖大学 大正十一年

折口 明   少 尉  長崎 専修大学 大正十一年

桑野 実  少 尉  京都 慶応義大 大正十二年
 

第十一建武隊

楠本二三夫 中 尉 長 崎 久留米高工 大正十三年生まれ

日裏啓次郎 中 尉 東 京 法政大学  大正十年

花田 尚孝 一飛曹 北海道 飛練十二期 昭和二年

古田 稔  一飛曹 広 島 特乙一期  昭和二年

鎌田 教一 一飛曹 広 島 特乙一期  昭和二年


第八七生隊

藤田 卓郎 中 尉 愛 媛 拓殖大学 大正九年

橋本 貞好 一飛曹 富 山 乙飛十八 大正十五年

荒木 一英 二飛曹 新 潟 特乙三期 大正十五年


第六神剣隊

牧野 カイ 少 尉 石 川 明治大学 大正十二年

川野 忠邦 上飛曹 宮 崎 甲飛十期 大正十二年

淡路 義二 二飛曹 群 馬 乙飛十八 大正十四年

斉藤 幸雄 二飛曹 宮 城 乙飛十八 大正十四年
  

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Photo_13

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コメント

初めまして。
「永遠の0」は、いくつかの史実を織り交ぜて物語が作られていますね。
最後の特攻のシーンは、私はミズーリーに体当りした隊員の話かと思いましたが、エンタープライズに突入した隊員のエピソードも混じっていたのですね。
もう一度蔵書を読み返してみたいと思います。

ふらんか~様

コメントありがとうございます。
仰る通り、他にも自爆しようとした僚機に「死ぬな」と説得するのは
坂井三郎のエピソードですし、敵が逃げるところを撃墜するのは
岩本徹三の戦法でしたね。

初めまして。

富安俊助中尉の事を検索してる最中にこのサイトに辿りつきました。
wikipediaで神風特攻隊欄を読んで、彼の事が強烈に印象に残りました。
最後の瞬間まで沈着冷静であり、一人で多大な結果を残し、敵の米軍からも
尊敬されたという点は驚きでした。

彼の事をもっと知りたいと思い、検索を続けたところ、
富安氏の弟の秀雄氏のコメントにも感銘を受けました。
「兄だけの手柄でなく撃墜された他の隊機の皆さんの支援のお蔭だ」というものです。
http://papamama.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282976

そして神風特攻の戦果の全容についてwikipediaで、今までの常識を覆されました。
それは、よく保守層の人が言う「大戦の尊い犠牲の上に今日の日本がある」という言葉に、
個人的には「特攻も含めて頑張ったけど、結果として負けてしまったから、
今日の日本の礎にはなってないのでは?」という風に大戦時の日本軍の事を見ていましたが、

神風特攻の被害を恐れた米軍将校が「本土決戦になれば数十万の米兵の犠牲が出るので、
天皇制を中心とする日本の体制を残したままで、早期の降伏交渉をした方がよい」と
ワシントンに進言したという事などから、彼らの頑張りがなければ、
戦後の日本はもっとひどい状態にされていた可能性が高いという点です。

日露戦争に関しては、日本軍の頑張りがなければ欧米の植民地にされていた可能性が
ある訳ですから、当時の日本政府と軍に今の日本人は感謝すべきと思っていましたが、
負けてしまった第二次大戦については、正直な所、軍のあり方や外交の失策も含めて微妙な
見方をしていました。

篠原さんも、旧軍人の人達と接していて「徴兵された一般人も戦争の犠牲者」という意見も
含めて多様な感想を聞くと思います。

しかし、現場の将兵の人達は、富安中尉の様に「その場で自分の出来る事を精一杯やった」
のですし、当時の国家上層部がどうであれ、敬意を払われるべきと思います。
※「今、自分の出来る事を精一杯やる」。これは時代を超える人間のテーマだと思います。

そういう意味でも当時の日本の全てを肯定する必要はないが、将兵も含めて国の為に尽くした
当時の国民の皆さんには尊敬感謝すべきという風に今の心境は整理されつつあります。

P.S.急に神風の事を調べた理由は、息子の好きなアンパンマンマーチの歌詞が特攻で亡くなった
作者の弟さんをイメージしたものだったという事を、ふと思い出したからです。

やまざき様
どうもありがとうございます。

仰る通り、富安中尉の働きは、
標的となり撃墜された他の零戦隊の犠牲あってこそこそで、
忘れてはならないと感じています。
ですので、こちらにも亡くなった方全員のお名前を載せました。

ラジオやテレビで「馬鹿げた戦争だった」と言い切ってしまうのは
だいぶ乱暴で安直だと感じます。
政治的な背景は全く別として、現在は薄れた無私という概念を持って
一生懸命国の為に尽くした、あるいは命を捧げた方に感謝することは
自然なことだと考えています。

はじめまして。貴重な情報を得ることができ御サイトに感謝しています。
ところで無知ゆえ不明な点があるので2点につきお教えを乞います。
(1)「早稲田大学政治学と経済学の学士号を取得卒業後満州鉄道に就職したが、僅か一年後の昭和十八年九月、学徒出陣を受け海軍へ入隊」とありますが、大卒で社会人になった人がなぜ「学徒出陣」に含まれたのでしょうか?そして大卒者は、高卒以下で徴兵される人たちより階級的には優位だったのですか?
(2)「エンタープライズは集中砲火を浴びせたが、横滑りを駆使する富安機に致命弾を与えられぬ
まま、ついに懐への進入を許した。そのまま横っ腹に突っ込むかと思われた刹那、富安機は五〇〇キロ爆弾を抱いたまま、一気に引き起こし、艦の真上へ上昇した。」とありますが、映画「永遠のゼロ」では「横滑り」の技術は、危険な部下との模擬空中戦で、後方に付けた部下から発射された実弾を避けるために使われましたが、富安機は特攻で突っ込む対象の敵艦からの砲撃をかわすために使われたのですね?どうして、横滑りを駆使することによって致命弾を受けずにすんだのでしょう。敵艦の砲撃手からは富安機はどのように見えたのか?錯覚かなにかを利用した技術ですか?
そして、富安機がもし「横っ腹に突っ込む」という選択をとっていたなら、「艦直上より前部エレベーターに突入した」場合よりも大きな戦果を・・・つまりエンタープライズを沈没させることができたでしょうか?『永遠のゼロ』の原作では、宮部機の爆弾は不発だったため、敵艦の被害は大したことはありませんでした。富安機の場合、爆弾は不発ではなく爆発したにもかかわらず、敵艦エンタープライズを撃破することはできなかったのですか?
長文にて失礼しました。この中の一問でもよいので、お汲み取り願えれば幸いに存じます。

順風堂様

コメントをありがとうございます。細かくお読みくださって
ありがとうございます。
ご質問の件について、満足のいく答えかどうか
わかりませんが、私なりの見解を申し上げます。

まず学徒出陣の件ですが、動員数など現在においても不明な点が多く
卒業した社会人が含まれた例があったのか?これは断定できないところです。
あくまで親友の方の証言として記しました。また来月会ったときに詳しく聞いておきます。
少しお待ちください。

さて、2番目ですが、そもそも冨安中尉は満足な訓練も受けず、
出撃したということになります。
同級生の方は「彼は天才だった」と称しておりましたが
一度の実戦経験もなく、エンタープライズの弱点に突っ込むという
技を成し得たのは私も、不思議だと感じていました。
もっとも、多くの僚機の犠牲があってこそ成り立ったのだと思います。
機数が少なければ富安機も撃墜されていたかもしれません。

横滑りは空戦における技術とはまた少し違った見え方をしたのかもしれません。

米艦船の対空砲火は、近接信管を採用して撃墜率が向上したとはいえ、
空対空とは相対速度が違いすぎますから、まっすぐ飛んできたとしても、
ピケットラインに潜り込み、時速500キロで突っ込んでくる日本機に
弾を当てるのは困難です。
方や、特攻機のほうも、点のような艦船に突っ込むので
ちょっと横滑りしただけで外れてしまいますけれど・・・。

余談ですが、以前、パイロットの方に
聞いた話ですと、横滑りは、あまりやりすぎるとバレてしまうそうです。

富安機の突入により
エンタープライズは航空機の運用が不可能となり、戦線を離脱。
その後、空母として現役復帰を果たせず終戦を迎えました。
撃沈は果たせませんでしたが、撃破したのは間違いありません。

以上、私もゼロ戦を操縦したわけではないのであまり偉そうなことは言えませんが
私の思うところです。如何でしょうか。

適時、更新して参ります。

上の方でコメントを書いたやまざきです。
再びお邪魔します。

戦後70周年という事もあり、戦争全体についての自分の
感想まで書いてしまい失礼致しました。

富安中尉の業績の様なお話は、一個人の「人生ドラマ」や
「極限状態の個人の能力」という観点からのみ考察した
方がいいですね。

皆さんと同じく、私も一番不可解なのは、
側面から接近して、艦上で宙返りしてエレベーター入口に
垂直に突入するというアクロバティックな戦術を誰が考えたのか?
という点です。

これは、空母の構造に対する理解及び何十回という
反復訓練がなければ出来ない事です。

しかし、この難易度の高い戦術は軍の指示や推奨ではないと
私は思います。成功確率が低すぎます。
軍の指揮官は、側面からの体当たりを指示していたはずです。

つまり、これは富安中尉が作戦決行まで誰にも言わずに
心に秘めていた戦術であると思います。

それにしても30ノット(時速55キロ以上)で動く空母に対して、
背面飛行の垂直で数メートルの目標物に突っ込める確率は、
1000回に1回くらいではないでしょうか?

この戦績を知った時に、富安中尉の精神力や多大な戦果に
ばかりに注目してしまいますが、彼の戦術眼と突入の精度は、
正に「奇跡」と言って良いと思います。

敵である米軍までもが魂を揺さぶられたのは、彼の勇気に対して
だけでなく、その戦術の成功率の低さが正に「神の啓示」の
様な荘厳な驚きを提供したからではないでしょうか?

これは、航空専門家やパイロット経験者ならどう解釈するのか
聞いてみたいところです。
戦友の方は、上記全てを含めて「天才」と表現したのでしょうが、
命令された事のみを遂行する軍隊という組織において、自己判断力や
柔軟性をもっていた彼のユニークな人柄自体が奇跡の様に思えます。

もし、機会があれば「この戦術は誰の発案で遂行されたのか?」
「富安中尉は、真面目だけでなくユニークな人柄だったのではないか?」
等を戦友の水足氏に聞いてみて頂きたいです。

もちろん、業績としても空母一隻を廃艦に追い込むというのは、
一個人としては大戦のみならず世界の戦史上最大と言って良いでしょう。
(一緒に出撃された隊の皆さんの存在あってのものですが)

富安中尉の事は、もっと研究されたり、報道されてもいいと思います。
極限における人間の能力という観点でも非常に興味深いと思います。

やまざき様

お返事が遅れまして申し訳ありません。
まったくご指摘の通りです。、この富安中尉という人物と神業に近い
戦法を成し得た経緯をもっと掘り下げて研究されるべきと感じます。
富安中尉がエンタープライズに突入するまでの
経緯を考察するだけでも本が一冊書けそうなほどです。

記事にあります通り、
水足氏は陸軍士官学校へ入り
富安中尉は大学へ進学しましたので
軍隊時代のことは戦友を探さなければわからないでしょう。

ただ家は向かいにあり親友だったので
富安中尉の人柄についてはよく御存じですし、中学までなら
思い出も多くあるようです。
2.26事件の日も、雪で電車がとまっていたので
「富安と一緒に歩いて学校へ行ったら休みだった!」
と回想していました。


追記です。

今日、水足氏にお会いし、富安中尉の思い出を少し聞いてきました。
「富安は運動神経が抜群だった」
ということです。そして特に思い出されるのが
「中学の鉄棒で大車輪を何度もやっていた」
という光景だったそうです。

篠原さん、

>「中学の鉄棒で大車輪を何度もやっていた」

これはすごいですね。
元々、飛行機乗りの才能があった様ですね。

坂井三郎氏は、壁を使って頭だけで立つ逆立ちを
自己訓練としてやっていたそうです。ヨガ行者みたいですが。

坂井氏は、自分の鼻先が飛行機の先端と一致する感覚があったくらい
飛行機と一体化していたそうですが、
極限における人間の能力とはすごいですね。

小野田さんの自伝では、極限状態になると、
銃弾を避けることが出来たそうです。
「銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、
それを避ければいい」と語っていました。

合気道の開祖である植芝盛平翁も、満州で馬賊の襲撃を受けた際に
同様の体験をしたと語っています。

富安中尉の最後の場面でも、極限の力が発揮され、
逆さまでも、止まっているかの様に突入口がはっきり
見えたのではないかと思います。

彼が「最後に見た光景」を想像してしまいます。

富安機のエンタープライズへの攻撃に関して、
技術的に解説しているブログを見つけましたので、
引用します。

この筆者の見解でも、富安中尉は難しい事を承知の上、
最初から、相手の最大の弱点を狙っていたそうです。

最後に自分の機だけが生き残り、散っていった仲間の
為にも最大の戦果を挙げなければならないという
強い意志も働いたと思います。

筑波海軍航空隊記念館には模型も含め色々と詳しい資料が
展示されている様です。

>そのままエンタープライズの横っ腹に突入すると思われたその瞬間、
>富安中尉は500kg爆弾を抱いた零戦の機体を一気に引き起こし、
>同艦の真上へ急上昇。
>当然ながら、徹底した軽量化がはかられた零戦の機体には、
>この時点で何かしらの異常が発生したはず。
>こうした無理な操縦は普段から整備兵に厳重に注意されていた
>そうです。

>次に、富安中尉は上空で機体を左に180度旋回させた後、
>背面飛行の態勢から同艦の直上から急降下し、
>同空母の最大の弱点である前部エレベーター部分に突入。
>つまり、富安中尉は、初めからエンタープライズの急所を狙うため、
>雲の合間からそのタイミングをはかっておれれたはず。

>また、同艦突入の際、富安中尉があえて背面飛行を選択したのは、
>機体の揚力を殺し、逆に突入時の速度を上げることで敵艦に
>最大限の損害を与えることをねらったはず。

http://ameblo.jp/shiragamajin/entry-12049662352.html

背面飛行には意味があったのですね。

やまざき様、ありがとうございます!
筑波海軍航空隊記念館に詳しい資料があるのですね。これは嬉しいです。
5月以降に訪ねてみたいと考えています。

アメリカ人の書いた戦記物に、エンタープライズを戦列離脱させた特攻隊員のみごとな攻撃が描かれ、誉めたたえられていた。誰なのかずっと探していました。
日本も彼をたたえることができるようなまともな国に早くなればと思う。

富安中尉は、先に散った英霊の導きによって、見事エンタープライズを粉砕し、アメリカに一矢を報いました。多大な犠牲を強いられた菊水作戦において、象徴的な戦果を上げられた中尉は、一撃講話の立役者であり、国体の守護者であり、まさに護国の軍神であります。沖縄の戦場に倒れた日米の英霊に改めて敬意と哀悼の意を表する次第であります。

琉球の海に散りにし
もののふよ
その志し
吾は忘れじ

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