感想を言わず、とにかくご覧頂きたい動画であります。
日本機を操縦する壮年パイロットの表情が印象に残りました。
フィリピン航空図
だんだん形になってきました。
一応、飛行場のマークはあっても
それがクラークのような大航空基地だったり、
わずか1000メートルの急造の滑走路で
ゲリラに占拠されている可能性のある危険飛行場だったりと
様々なので、その辺りの区分けをしていくと
もう少し時間がかかりそうです。
大野さんのお話しによると
フィリピンの飛行場は主に三つに分類されていました。
1、着陸しても問題ないメイン飛行場
2、一応、滑走路はあるが、着陸に交戦地域に近く、注意を要する飛行場
3、もしかしたら既に敵の手に落ちているかもしれない
最前線あるいは孤立した飛行場。要注意。
不時着の際、いちかばちかで、3の要注意飛行場にも何度か
降りたことがあったそうです。
フィリピンは特異な戦場で元来、多くの部族が対立する地域に加え
アメリカ側に協力的な現地ゲリラ(敵性ゲリラ)と
日本側に協力的なゲリラに分かれており、ここからが敵、味方と
地理上、線引きをするのは非常に難しいのです。
こちらの図は日本がフィリピン全土を掌握し
リンガエンに米軍が上陸する直前の昭和19年(1944)後半までの
状況としました。
仕事が忙しく、連日の激務で心身ともに甚大な
負担がかかっております。どこまで持ちこたえられるか。
薬の副作用で体が重く、カフェインと大量の水で
血中濃度を下げながら、ごまかして仕事と
戦争証言の記録を同時並行で続けています。
お医者さは言いませんけどね、私にはわかるんです。
もうそんなに長くないって。
せめてあと5年、この身体、生かしてくれたら、
多くの戦争証言を残せると考えてます。
それまで身体が動くかどうか。
頑張ります。