2019年11月15日 (金)

雷電と高い空

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雷撃進路そのままヨーソロ

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天野さんのお話を元に再現しました。
高度計はマイナスを差していたそうです。

2019年11月13日 (水)

一式陸攻機長・田中修さん亡くなる

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飛行予備学生13期で、一式陸攻機長兼メイン操縦員だった、
田中修元中尉が亡くなられました。
96歳でした。
  
田中中尉の原稿は現在執筆中ですが
ご高覧頂けなかったこと、誠に悔いが残ります。
 
田中中尉のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2019年11月 9日 (土)

最後のお別れ

本日、永井さんに最後のお別れをして参りました。合掌。

2019年11月 5日 (火)

永井敬司さん亡くなる

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ペリリュー島生還者最後のおひとり、
永井敬司さんが亡くなりました。98歳でした。
最後に私の助手席でスカイツリーを見上げたのが
思い出になりました。
 
告別式は8日午後1時から茨城町小鶴42の「メモリアルホールひぬま」
で行われます。私も参ります。

ゼロ戦Tシャツ再販開始

ご好評いただいておりますゼロ戦Tシャツ、再販開始しました。
SサイズからXLサイズまでございます。次の生産予定は未定ですので
ぜひお見逃しなくお願いいたします。

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2019年11月 1日 (金)

飛行第90戦隊の敢闘

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九九式双発軽爆撃機二型の乗員は、操縦士、通信手、射手で、通常四名であるが
飛行第90戦隊では、B-29が成都に配備される頃になると、燃料、 爆弾を
多く積むため、操縦者と通信手 の二名のみに減らし、成都飛行場に集結する
B-29撃滅を計画した。当時、未だ神風特攻隊、振武隊の作戦が発令される
前であったが、実質的に、この強襲作戦は特攻と変わりなかった。
 
福岡生まれのある若い操縦者の中尉は胸を叩いて、次の如く言葉を残し、
二度と帰らなかった。
 
「我々はきっとB-29を焼いてきますよ。
成都でB-29を一機焼けば自分の故郷を 空襲するB-29が一機減ります!」
 
 

2019年10月29日 (火)

もうすこし耐えてくれ、僕の体

この半年間で2回、救急車要請。
一度は路上で倒れて意識不明で通りがかりの人が119番に通報、搬送。
二度は心肺停止は救急隊員の臓マッサージで蘇生。
 
いずれも外出先だったから助かった。
一人暮らしなもので、自宅なら死んでた。
孤独死だけは避けたい。
 
いずれも精密検査したが異状なし。健康そのもので。
わからない。 

朝、目を覚ますたびに、「ああ、今日も生きて一日が迎えられる」と
感謝する日々。
 
1月発売の本と、
『戦鳥』商用版の完成を待たずして死ねない。
僕は、死んでもいいから、飛行機の絵を描きたいんだ。
後世にバトンタッチしたいんだ。
 
どうしても、どうしても飛行機の絵が描きたいんだ。
証言集を書きたいんだ。

2019年10月23日 (水)

呉式二号五型カタパルト(呉式二号射出機五型)

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日本海軍のカタパルトは大正末期から呉海軍工廠で研究が開始され、
昭和3年に圧搾空気式カタパルトが先に完成。5年後に火薬式カタパルトが
完成し、重巡洋艦「青葉」「那智」に初めて搭載された。
 
その後、改良を加え、呉式二号射出機三型改一となって、5,500級軽巡洋艦で
実用化された。これは90式水上偵察機や95式水上偵察機の射出が可能で、
さらに、航空機の全備重量4トンまでの機体の射出を可能に改良された
ものが呉式二号射出機五型となった。海軍でもっとも多くの艦船に
搭載されたカタパルトである。
 
カタパルト発進
 
飛行長の「発進用意」の号令で搭乗員が期待に乗り込む。
エンジンを指導し、搭乗員が「よろしい」と飛行長に
通達すると手旗用の赤白の旗をもってまず白旗を横に出す。
これが火薬装填の合図で直径およそ20cm、長さ30cmくらいの
装薬を操作室の射手が装填し、「よし」の合図を飛行長に
伝えると、飛行長は白旗を赤旗に持ち替えて真上にあげる。
 
搭乗員はエンジンを全開に吹かし待機する。搭乗員が各計器を
見て異常なしと判断し。「発射準備よし」を飛行長に伝える。
飛行長は赤旗を振り下ろす。これが発射の合図である。
 
射手は間髪入れず引き金を引く。引き金といっても
ハンドルに取っ手がついたようなもので、それを素早く一回転
することで火薬が爆発し、機体が発射される。
 
このときの最大射出速度は31.0m/秒である。
巡洋艦「利根」でカタパルト射出を経験している
田中三也さんの証言によれば、最初は身体にかかるGに堪えるのに
精いっぱいであったが回数を重ねるうちに、慣れてくる。左舷から
射出される場合、艦に衝突しないよう、カタパルトの方向を
やや外側を向ける。すると主砲付近の甲板上に、水兵が整列して
全員、某振れをし見送っている。どの水兵も同じ水兵服を着ているが、
慣れてくると、戦友の顔がわかるそうだ。感極まる一瞬である。
 
カタパルト射出には危険手当がつく。一回の射出ごとに6円の危険手当がつく。
当時の6円は当然大金である。これを搭乗員は「ポン6」とか言って喜んだ。
 
機体収容

射出は海が荒れていても可能である。しかし、着水後の機体収容は非常に
骨が折れる。海が荒れている場合、「制波揚収」といって巡洋艦はだいたい
15ノットで「主舵いっぱい」で右に旋回する。何万トンもある巡洋艦が
これをやると、丸い航跡が出来てその内側の海面は見事に波が静かになる。
 
この瞬間に機体を巡洋艦に近づけ、デリックと呼ばれるクレーンで収容する
のであるが、デリックの先端を機体に引っ掛ける作業を素早く行わなければ
ならない。これは零式三座水偵の場合階級に関係なく、真ん中の搭乗員が
風防の上にまたがって、ひっかけるのである。(二座の場合は後席搭乗員の
役目となる)波に揺られながら、これを成功させる作業は至難であった。
もたついていると制波揚収の効果が薄れてきてしまう。
 
一方、巡洋艦のほうでは水兵が機体と艦が衝突しないように、長い棒を
もって機体をつつく作業が続く。この間、搭乗員が海面に落下してしまう
事故も多かった。そうした苦労を経てやっとフックを引っ掛けると、
巡洋艦に収容されるのである。

2019年10月21日 (月)

地を這う飛行機「九九式襲撃機/軍偵」

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九九式襲撃機/軍偵は地上兵力支援のための航空機で
地を這うように敵陣に侵入し襲爆撃、挺身偵察等を行う。
よって超低空飛行性能に特化している。
  
訓練では、固定脚の車輪が水しぶきをあげるほどに超低空で
川面を飛行し橋脚の下を潜るなど、映画やアニメでしか
見たことの無いような本当にそんなことができる飛行機
それが九九式襲撃機である。
 
元パイロット上野辰熊さんの回想によると
 
「隼など戦闘機は超低空では50メートルの高度維持が限度でしょう。
我々九九式襲撃機(九九襲)は武装して20メートル以下での
高度持続が可能でした。九九襲は両翼毎にスロットル調整が
できるので安定した飛行が可能でした。」
  
「訓練では、超低空を這って敵陣に侵入する戦法をやりました。
川面に沿って超低空で飛行するんです。これで機影は堤防の下に
入ってしまうから見えない。エンジンの音も堤防が壁になって上に
吹き抜けてしまいますから、敵に察知されず敵陣を強襲できるわけです。
橋の下を潜ることも容易だったと思います。」