「丸い虹を見てみたかったんですよ」
先日は彗星搭乗員の
田中三也さんが飛行機乗りを志願した理由を
お話ししてくださいました。
丸い虹というのは
極めて限られた気象条件下で見ることが出来る
ブロッケン現象のことです。
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました」
「それで、見ることはできましたか?」
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」
戦争の話の合間でしたが
素敵なエピソードでした。
伝えきれないお話しがたくさんあります。
古い二つ折りの携帯電話を今でも使っています。
それが廃止になって、いよいよ
スマートフォンに交換しないといけないので、
スマートフォンの機械を買う前に本を読んで勉強しています。
OSはグーグル社のアンドロイドと、アップル社の
アイフォーンのふたつがシェアを占めているので
どちらかを覚えることになりそうです。
新しいOSやソフトの操作を覚えるとき、メーカー依存の
ヘルプやマニュアルを参照しても
説明してくれる用語自体がそもそもわからない、ということが
多く頭が痛くなるのですが、
こういう紙の本は、初心者にも
とてもやさしく書いてあって、ありがたいです。
わからない人の気持ちを理解してくれている。
とりあえず、未契約で機械だけ購入したタブレットが
手元にあるのでそれで、購入前の予行練習をしています。
まずはwi-fiの接続方法を覚えました。
そこから今度は好きなアプリ(ソフト)を
ダウンロードするのですが
パソコン操作でいうところの
右クリック(タップ)の方法がわからない!困った!
ですが、なんとか調べて
フォルダ分けや削除、コピーの方法を覚えました。
まだまだ、遅いですけれど、練習をしていきます。
スマートフォンの販売店に見学に行ったら
雑誌も読み放題で無料のドリンクがあってびっくりしました。
7人の侍のおひとりの、奥様の話を少し書きます。
航空自衛隊の黎明期です。
「私が主人と結婚したのが17歳のときでした。
当時は半年間だけでも結婚生活できれば良いと
本当に、そう思っていました。
昭和20年に主人は銀河隊の飛行隊長で
特攻を命じられました。
銀河に魚雷を抱いて特攻を。
実際に訓練で同じ攻撃方法を試してみて
それが無謀な作戦だとわかったので、上官に言ったんです。
そして、保留になって、終戦を迎えました。
戦後は航空自衛隊へ。
当時(昭和30年-31年)は自衛官だと言うと
石をぶつけられるような時代でしたから、とても
余所の方には言えませんでした。
「ご主人の職業は」と尋ねられると、「公務員です」と
答えていました。
事故が多かったんです。
毎月毎週のように事故があって。
あれは浜松に居た昭和31、2年
私たちの目の前でジェット機が墜落したんです。
宿舎が近いので、パイロットの奥様方と一緒に
居りまして、それが誰の飛行機なのか
真っ青になりました。それがアメリカ軍の飛行機だとわかって。
昭和32年、小林照彦さんが亡くなったとき、
私は小林さんの奥様 ※(小林千恵子さん『ひこうぐも』の著者)
と一緒に居たんです。
報せに来たのが武藤さんという方で
もうそのときは亡くなっていたのですけど
ショックを受けるといけないからと、そのときは
「ご主人が怪我をしたから来てください」
と言ったんです。
私も小林さんの奥様の付き添って参りました。
奥様は亡くなったご主人と対面されて、
私は奥様を気遣うようで、
本音を申し上げると、次こそ、自分の主人の番じゃないかと、
本当に怖かったんです。
多くの方が亡くなって、主人は生き残って
定年まで。もう本当に、当時は考えもしなかった。
ありがたいことです」
この事故については、同じく7人の侍の竹田氏は次のように
語っている。
「本当は、あの飛行機には私が乗る予定だったんです。
あの日はT-33で吹き流し曳航して射撃の訓練を行う予定でした。
私は目の治療かなんかで、急に小林さんと勤務を代わってもらったんです」
小林一佐・天野二佐の事故
昭和32年6月4日、浜松基地において
小林照彦一佐(東京都出身・元飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時機体不調。出力と高度が上がらず
低空でベイルアウト試みるも殉職。
天野裕二佐(新潟県出身)
小林機に同乗。殉職。
久し振りに日光サーキットです。
青いマシンが私。
19歳で免許取って、20代でジムカーナやって
つくばでA級ライセンス取りました。以来15年間この車で
走ってきました。
赤が後輩のゆうくんです。彼も17歳で
この車買ってから、ずっと乗ってます。
もうとっくの昔に追い抜かされてます。
彼の度胸と実力は凄いです。ブレーキを踏まず
コーナーギリギリまで迫ってゆく、遠ざかってゆく
彼の後姿を見て「ああ、勝てないのだな」と思います。
二人で一緒に走ろうと、2年くらい前から
申し合わせをしており、念願叶いました。
もう、お互い車が古くて
仲間もほとんどいなくなりました。
今度こそ最後かもしれない!!
いつも思ってます。
午前中はウエットでしたが午後はドライでした。
「二人でGTRとポルシェをぶっちぎろう」が合言葉です。
カメラマンはナミちゃんです。
私は彼の写真が好きです。
車を撮っても風景を撮っても女性を撮っても、腕が良いので、
プロになってほしいのですけど、
なかなか仕事が忙しくて、今回は無理を言って
来てもらいました。
そしてそして、
栃木はモータースポーツの聖地です。
若者の車離れが激しい昨今、
もっと車文化を根付かせたいと考えています。
男ならスマートフォンより、メカキチガイになれ!と思ってます。
ここまでやらなくてもいいけれど
自分の車で走る楽しさ、四本のタイヤが地面を捕える感覚
ハンドルを握って遠くへ出かける
楽しさ、あるいは油まみれになってメカをいじる
充実感を伝えていきたいです。
『Swing the Rain』
同タイトルのミュージカル映画主題歌。
雨と言えば、世界で最も有名な曲。
雨の日をこんなに楽しく過ごせるBGMを、この他に私は知らない。
『Rain / 秦基博』
日本のアニメ「言の葉の庭」から
新海誠作品。「君の名は」が大ヒットしたけれど
こちらの作品はそれよりも背景が細かく描き込まれていて美しい。
曲もいいけど絵が綺麗。
『かえるのうた』
誰もが知る童謡のアレンジ。ピアノソロ。
様々なアレンジが楽しめる童謡がしっとり美しい曲に。


ロゴを更新しました。
栃木県の県鳥でもある
オオルリ(大瑠璃)をイメージしました。
TAKATAが潰れてしまいました。残念です。
ずっと心配していたことが現実になりました。
TAKATAはエアバッグやシートベルトを製造するメーカーで
トップシェアを誇っていました。
TAKATAの製品そのものは一流で、
グリーンのフルハーネス(レース用のシートベルト)は
憧れでした。
一番困るのは自動車メーカーと
消費者ではないかと感じております。
自動車メーカーはエアバッグを自社では
作れないのです。
ぜんぶTAKATAが下請けで製造していました。
事故をおこしたとき、
エアバッグの不具合で命を落とした人と
エアバッグのおかげで命が助かった人、
これを天秤にかけたとき、果たして、どうかと思います。
リコールで騒ぎになってもTAKATAから部品供給を受け、
作業を続けるしかなかった自動車メーカー。結局のところ
「TAKATAの他に作ってくれるところがない」が
本当の理由だと思います。
そもそもの、安全装置というものは
リスクを減らすことはできるけれど
絶対ゼロにはならない。我々末端の消費者は
盲目になってはならないと、感じております。

私の独断と猛プッシュにより、推進してきました
蒼月遥ちゃん(ブルーホーネット応援の萌えキャラ)企画ですが
お陰様で航空誌『J-wings』8月号に掲載して頂きました。
全国書店にて発売中です。ぜひ、お手に取ってご覧ください。