2017年7月 1日 (土)

潜水艦のお話し

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海上自衛隊の公報さんとお話しする機会があり、
経歴を伺うと、 平成初期から海上自衛隊で潜水艦に10年間も
勤務されていたそうです。
  
潜水艦の生活を支障の無い範囲を書かせてもらいます。
 
潜水艦さん
「潜水艦一隻のクルーは80名で兵科ごとに4個分隊に別れています。
24時間三交代制で、艦内は狭いので、邪魔にならないよう
用が無ければ寝ていろと
言われています」
 
潜水艦は大きい 

潜水艦さん
「まず、潜水艦は大きいということ。
水面に姿を現しているのは三分の一程度に過ぎません。
氷山の一角です。 巨大なので入れる港が
限られています、 護衛艦が入港可能な港と
単純比較して水深が2倍は無いと 寄港できません。 
基本的には、呉と横須賀の二カ所です」
 
基本的に浮上しない

潜水艦さん
「一度出港すると、潜航を続け、帰港するまで
浮上する機会はありません」
 
篠原
「映画でよく見る、たまにハッチを空けて順番に外の空気を
吸わせてくれるんでしょう?」
 
潜水艦さん
「いやいや、そんなサービス無いです。基本的に潜りっぱなしですね
見つかってしまいますから。
横須賀を出港して浦賀水道を出たら、帰ってくるまで浮上はしません」

 
潜水艦は船酔いしない
 
潜水艦さん

「水上の艦艇と違うのは、食器やコップを普通にテーブルの
上に置いて食事が出来ることです。このような水の入ったコップも
置いたまま、地上に居る生活と変わりません。潜ったら本当に
静かだということです。嵐でも、潜ってしまえば、影響はありません」
 
だから、帰港前に浮上して揺れると
みんなダメ(船酔い)になってますね(笑) 
それも護衛艦の揺れ方と違ってクセがあるんですよ」

篠原
「潜水艦の映画で、定番なのは、ネズミが住んでいると
その艦は幸運艦で、絶対に沈まないという、言い伝えが
ありますけど、現代の潜水艦でもネズミは居るんですか」
  
潜水艦さん
「いやいいや、それはありえません。もし居たら衛生的に
大問題になりますね」
 
篠原「そうすると、艦内はとても衛生的なんですね」
 
潜水艦さん
「衛生的・・・いやー、どうでしょう。
水が使えないので、洗濯は一切できませんから」
  
日本の潜水艦は静か
 
潜水艦さん
「日本の潜水艦は静かなので、ほとんど見つかることはありません。
P3C対潜哨戒機との訓練では、あらかじめ、索敵範囲が円で囲ってあって
決められているので、答えを教えているようなものですね。
ソノブイが投下されると、だんだん音が近づいてきます。これが実戦で
広大な海ではまず発見は無理でしょう」
 
「面倒くさいのは、水上艦艇や対潜水艦の訓練ですね。
絶対に音をたててはいけないから、訓練が終わるまでは
仕事が無ければ寝ているか、音をたてないように行動します。
 
ダメージコントロール
 
潜水艦さん
「潜水艦勤務が決まると、まず最初に覚えることは
艦内を伝っているパイプや配線の全てを
把握することです。
 
方眼用紙を渡されて、艦内に配線やパイプをプロットさせて
図を描かされます。これは持ち場がどこであろうと
潜水艦乗組員なら全員できなければなりません。
 
万が一に備えて、どの配線がどこに繋がっているか
知っておかなければいけない。命令があれば
すぐに自分の近くの配線を繋ぎあわせることができます」
 
潜水艦の操舵
 
潜水艦さん
「一応、操舵もやるのですけど
教官は最初は何も言わないんですよ。
潜水艦の舵はちょっと押し込むだけで
艦首が物凄く突っ込む。何かに捕まってないと
廊下をどこまでも滑って行ってしまう。
教官はそれを黙っているもんだから
慣れないものが操舵をすると、みんな滑っていってしまう」
 
潜水艦乗りになるには
 
篠原
「潜水艦乗りになるにはどうしたらいいんですか」
 
潜水艦さん
「私は最初から潜水艦を志望したのではありませんでした。
上官から適正の試験を受けろと言われて、それを受けたら
潜水艦乗りの適正があるとわかり、それを家族に話したら
『せっかく自衛隊に入ったのだから、他では体験できない部署へ
行け』と言われて、それで決めました。潜水艦の適正に合格すると
今度は航空機の適正(操縦以外)もあるから、そちらへ
行くこともあります」
 
篠原
「潜水艦で一番大変なことはなんですか」
 
潜水艦さん
「外の空気が吸えないことですね。艦内の空気は循環してますから。
勤務がおわって、帰ってくると空気が本当においしい」
 
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これといってオチがなくてごめんなさい。
覚えている限り、支障の無い範囲で書きました。
 
さて、
近年、隣国の航空母艦の脅威が話題となっておりますが
航空母艦の維持は湯水の如くお金がかかります。
 
航空母艦を一隻保有するには、セットで
護衛のイージス艦、護衛艦、そして水面下では
潜水艦が必要になります。
 
これだけの護衛を成しても
一隻の潜水艦が発射した魚雷で母艦を撃沈されるリスクは高く
 
日本の潜水艦は隠密性が極めて高いため
仮想敵国の航空母艦にとって、たった一隻の潜水艦が
最大の脅威となります。
 
目に見える形ではありませんが、潜水艦は
我が国からすれば最も有効な防衛手段であります。
 
潜水艦乗りの皆様、日々、見えないところで
大変な苦労をなさっています。ありがとうございます。
 
写真は呉市のからすこじま公園(日本唯一潜水艦の見える公園)です。

2017年6月30日 (金)

太陽の塔

大阪在住の友人が写真を送ってくれました。
 
昨年、大阪府吹田市に完成した観覧車
「OSAKA WHEEL(オオサカホイール)」
から望む太陽の塔です。 
   
私は太陽の塔のデザインが大好きで、 一度、拝みたいと
ずっと考えているのですが、まだ実現しておりません。
なんだか物凄いエネルギーをもらえるような気がしませんか。
 
それがまさか、こんな写真を撮れるようになるとは、
恐れ多いことです。南無。

丸い虹が見たかった

 
「丸い虹を見てみたかったんですよ」
 
先日は彗星搭乗員の
田中三也さんが飛行機乗りを志願した理由を
お話ししてくださいました。
 
丸い虹というのは
極めて限られた気象条件下で見ることが出来る
ブロッケン現象のことです。
  
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました」
 
「それで、見ることはできましたか?」
   
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」
 
戦争の話の合間でしたが
素敵なエピソードでした。
伝えきれないお話しがたくさんあります。

2017年6月27日 (火)

憧れのスマートフォン

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古い二つ折りの携帯電話を今でも使っています。
それが廃止になって、いよいよ
スマートフォンに交換しないといけないので、
 
スマートフォンの機械を買う前に本を読んで勉強しています。
OSはグーグル社のアンドロイドと、アップル社の
アイフォーンのふたつがシェアを占めているので
どちらかを覚えることになりそうです。
 
新しいOSやソフトの操作を覚えるとき、メーカー依存の
ヘルプやマニュアルを参照しても
説明してくれる用語自体がそもそもわからない、ということが
多く頭が痛くなるのですが、
 
こういう紙の本は、初心者にも
とてもやさしく書いてあって、ありがたいです。
わからない人の気持ちを理解してくれている。

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とりあえず、未契約で機械だけ購入したタブレットが
手元にあるのでそれで、購入前の予行練習をしています。
まずはwi-fiの接続方法を覚えました。
そこから今度は好きなアプリ(ソフト)を
ダウンロードするのですが
 
パソコン操作でいうところの
右クリック(タップ)の方法がわからない!困った!
ですが、なんとか調べて
フォルダ分けや削除、コピーの方法を覚えました。 
まだまだ、遅いですけれど、練習をしていきます。
 
スマートフォンの販売店に見学に行ったら
雑誌も読み放題で無料のドリンクがあってびっくりしました。

2017年6月26日 (月)

小林照彦一佐の事故と妻たちの航空自衛隊黎明期

7人の侍のおひとりの、奥様の話を少し書きます。
航空自衛隊の黎明期です。
  
「私が主人と結婚したのが17歳のときでした。
当時は半年間だけでも結婚生活できれば良いと
本当に、そう思っていました。
 
昭和20年に主人は銀河隊の飛行隊長で
特攻を命じられました。
銀河に魚雷を抱いて特攻を。
実際に訓練で同じ攻撃方法を試してみて
それが無謀な作戦だとわかったので、上官に言ったんです。
そして、保留になって、終戦を迎えました。
 
戦後は航空自衛隊へ。
当時(昭和30年-31年)は自衛官だと言うと
石をぶつけられるような時代でしたから、とても
余所の方には言えませんでした。
「ご主人の職業は」と尋ねられると、「公務員です」と
答えていました。
 
事故が多かったんです。
毎月毎週のように事故があって。
あれは浜松に居た昭和31、2年
 
私たちの目の前でジェット機が墜落したんです。
宿舎が近いので、パイロットの奥様方と一緒に
居りまして、それが誰の飛行機なのか
真っ青になりました。それがアメリカ軍の飛行機だとわかって。
 
昭和32年、小林照彦さんが亡くなったとき、
私は小林さんの奥様 ※(小林千恵子さん『ひこうぐも』の著者)
と一緒に居たんです。
 
報せに来たのが武藤さんという方で
もうそのときは亡くなっていたのですけど
ショックを受けるといけないからと、そのときは
「ご主人が怪我をしたから来てください」
と言ったんです。
 
私も小林さんの奥様の付き添って参りました。
奥様は亡くなったご主人と対面されて、
 
私は奥様を気遣うようで、
本音を申し上げると、次こそ、自分の主人の番じゃないかと、
本当に怖かったんです。
 
多くの方が亡くなって、主人は生き残って
定年まで。もう本当に、当時は考えもしなかった。
ありがたいことです」
 
この事故については、同じく7人の侍の竹田氏は次のように
語っている。
 
「本当は、あの飛行機には私が乗る予定だったんです。
あの日はT-33で吹き流し曳航して射撃の訓練を行う予定でした。
私は目の治療かなんかで、急に小林さんと勤務を代わってもらったんです」
 
小林一佐・天野二佐の事故
昭和32年6月4日、浜松基地において
 
小林照彦一佐(東京都出身・元飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時機体不調。出力と高度が上がらず
低空でベイルアウト試みるも殉職。
 
天野裕二佐(新潟県出身)
小林機に同乗。殉職。

インデザイン操作できる方

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インデザイン使える方を募集中です。
 
今回のお仕事はテキスト修正のみです。
レイアウトなど難しい作業はありません。 
 
本当に少しだけ、スポットでお願い
したいのですが、それでもよろしい方、
ぜひ、お問い合わせください。
よろしくお願い致します。
 

2017年6月25日 (日)

日光サーキット

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久し振りに日光サーキットです。
 
青いマシンが私。
19歳で免許取って、20代でジムカーナやって
つくばでA級ライセンス取りました。以来15年間この車で
走ってきました。
   
赤が後輩のゆうくんです。彼も17歳で
この車買ってから、ずっと乗ってます。
もうとっくの昔に追い抜かされてます。
 
彼の度胸と実力は凄いです。ブレーキを踏まず
コーナーギリギリまで迫ってゆく、遠ざかってゆく
彼の後姿を見て「ああ、勝てないのだな」と思います。
 
二人で一緒に走ろうと、2年くらい前から
申し合わせをしており、念願叶いました。
もう、お互い車が古くて
仲間もほとんどいなくなりました。
 
今度こそ最後かもしれない!!
 
いつも思ってます。
 
午前中はウエットでしたが午後はドライでした。
「二人でGTRとポルシェをぶっちぎろう」が合言葉です。
  
カメラマンはナミちゃんです。
私は彼の写真が好きです。
車を撮っても風景を撮っても女性を撮っても、腕が良いので、
プロになってほしいのですけど、
なかなか仕事が忙しくて、今回は無理を言って
来てもらいました。
 
そしてそして、
栃木はモータースポーツの聖地です。
若者の車離れが激しい昨今、
もっと車文化を根付かせたいと考えています。
男ならスマートフォンより、メカキチガイになれ!と思ってます。
 
ここまでやらなくてもいいけれど
自分の車で走る楽しさ、四本のタイヤが地面を捕える感覚
ハンドルを握って遠くへ出かける
楽しさ、あるいは油まみれになってメカをいじる
充実感を伝えていきたいです。

雨の日が楽しくなる曲

 
『Swing the Rain』
同タイトルのミュージカル映画主題歌。
雨と言えば、世界で最も有名な曲。
雨の日をこんなに楽しく過ごせるBGMを、この他に私は知らない。
 
 

 
『Rain / 秦基博』
日本のアニメ「言の葉の庭」から
新海誠作品。「君の名は」が大ヒットしたけれど
こちらの作品はそれよりも背景が細かく描き込まれていて美しい。
曲もいいけど絵が綺麗。

『かえるのうた』
誰もが知る童謡のアレンジ。ピアノソロ。
様々なアレンジが楽しめる童謡がしっとり美しい曲に。

2017年6月24日 (土)

オオルリ

Aa

ロゴを更新しました。
 
栃木県の県鳥でもある
オオルリ(大瑠璃)をイメージしました。

TAKATAの破産

TAKATAが潰れてしまいました。残念です。
ずっと心配していたことが現実になりました。
 
TAKATAはエアバッグやシートベルトを製造するメーカーで
トップシェアを誇っていました。
TAKATAの製品そのものは一流で、
グリーンのフルハーネス(レース用のシートベルト)は
憧れでした。
 
一番困るのは自動車メーカーと
消費者ではないかと感じております。
 
自動車メーカーはエアバッグを自社では
作れないのです。
ぜんぶTAKATAが下請けで製造していました。
 
事故をおこしたとき、
エアバッグの不具合で命を落とした人と
エアバッグのおかげで命が助かった人、
これを天秤にかけたとき、果たして、どうかと思います。
 
リコールで騒ぎになってもTAKATAから部品供給を受け、
作業を続けるしかなかった自動車メーカー。結局のところ
「TAKATAの他に作ってくれるところがない」が
本当の理由だと思います。 
 
そもそもの、安全装置というものは
リスクを減らすことはできるけれど
絶対ゼロにはならない。我々末端の消費者は
盲目になってはならないと、感じております。