2017年7月 8日 (土)

頑張れ!誇り高き日本の企業戦士

以前、韓国人の友達が居た。
  
彼の名前はドンちゃん。
大森南朋に似ている。
彼とはよく酒を飲みに行った。
 
そこでいろいろと
韓国の話を聞かせてもらった。
 
ドンちゃんは穏やかで優しい人だった。
たくさん韓国の話を聞かせてもらって楽しかった。
中でも印象に残っているのは
 
「日本の女性はとってもやさしいよ!
こんなに優しい女性は世界中探しても日本だけだよ!
だからー、日本人の男はもっともっと女性に優しくしないと
いけないですよ!そうしないと、みんな韓国人の男に
取られてしまうよ!」
 
日本人女性は大モテだという話。
何度聞いたことか。
 

 
彼は日本の企業に勤めていた。
もちろんボスも日本人。日本人ばかりの中で
韓国人はドンちゃん一人だったけど、彼は日本語もペラペラだったし
日本人社会の中に溶け込んでいるように見えた。
 
だけど、日本企業はハードだ。ドンちゃんは
時折、仕事がハードすぎて辛いと、漏らしていた。
もしかしたらブラック企業だったのかも。
 
そんなこんなで、なんとかドンちゃんは頑張っていたのだけれど
ある日突然、彼は失踪する。そのまま
行方がわからず、それっきりになった。
風の噂では日本の仕事がきつくて、韓国に帰ったのだと聞いた。
 
伝え聞いた話だが、彼が失踪する直前のことだった。
長時間労働と休み無しですっかり疲れ切った彼が
死んだような目で同僚に、次のように言ったそうだ。
生涯忘れられない一言だった。
 
「徴兵より辛い・・・・」
 
そんなにきついのか。日本の会社は。
ご存知の通り、韓国は徴兵制で二年間の兵役が
義務化されている。
 
韓国の徴兵制については
こちらのサイトが見やすくてわかりやすい。
https://www.konest.com/contents/korean_life_detail.html?id=557
   
軍隊より辛く厳しい、日本の企業戦士、
こうしている間も、日本のどこかで頑張り続けている!
 
ありがとうございます。そして、お疲れ様です。 
 
そして
ドンちゃん、大丈夫かな。幸せでいますように。

2017年7月 5日 (水)

田中三也さん(彗星搭乗員)講演会予定

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彗星搭乗員の今年後半の田中三也さんの講演会予定です。
貴重な機会ですので、ぜひお出かけください。
(ご高齢ですので突然の予定変更等あります)
詳しくは主催者にお問い合わせください。  
 
申し込期日前でも
定員になり次第締め切りとなります。 
 
平成29年(2017)後半予定
 
7月23日(日)東京・浅草
近現代史研究会(Panda会)
田中三也さん
「海軍偵察員の大東亜戦《前編》 ~あ号作戦挺身偵察」
12時45分~16時00分
  
9月16日(日)東京・浅草
近現代史研究会(Panda会)後編
田中三也さん
「海軍偵察員の大東亜戦《後編》 ~比島死の攻防」
12時45分~16時00分
 
近現代史研究会
主催・申し込み先

 
-------------- 

10月15日(日)茨城県小美玉市
太平洋戦争を語り継ぐ会
陸海軍の戦場経験者
四名が1時間ずつ講演(予定)最高齢104歳。
時間未定。 
  
--------------
 
11月19日(日)埼玉県越谷市
越谷コミュニティセンター
時間未定
 
--------------
 
決まり次第更新します。
 
「いつお迎えがくるかもわからんけど、
今年いっぱいは生きておかにゃあならんなあ~
わはは~」
 
と、田中さんは
といつものブラックジョークでありました。
 
田中三也さんのご本
『彩雲のかなたへ』

2017年7月 3日 (月)

空白の航空自衛隊黎明期を埋めて行く

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今日は竹田五郎元統合幕僚長にブルーインパルス
創設当時のお話しを伺いました。

もちろん飛燕時代のお話しも伺いました。
 
今後も定期的に取材を重ね、空白の航空自衛隊黎明期を
埋めて行く作業を続けて参ります。

四宮徹中尉の思い出1

震天制空隊のニュースが連日、新聞で報道されていた。
 
震天制空隊はB-29に体当たりを敢行する目的で、
成増、調布等の戦闘機隊の一部をもって
編成された空対空の特攻隊である。
 
震天制空隊で代表的な存在が244戦隊の四宮徹中尉である。
四宮中尉はB-29に体当たりし、片翼で帰還したことで
一躍、世に知れ渡ることとなり、愛機飛燕は日比谷の百貨店に展示された。
 
昭和20年、調布飛行場。飛行機好きのK少年は
元々住んでいた神田神保町が空襲で焼け、西立川へ疎開してきた。
調布飛行場が近所だった。
 
飛行場のフェンスは目隠しがしてあって、外からは
見えない。B-29の偵察では丸見えだと言うのに、
わが国民に見せてくれないと言うのも
おかしな話だ、と少年は考えていた。
 
その頃は、どういう訳か知らないけれど、少年が
「特攻隊に行きま-す!」と営門で敬礼すれば
調布飛行場の中へ入れたという。
 
整備員が、ニュース写真では塗りつぶされていた
独立飛行隊の九九式軽爆の
ダイブブレーキを見せてくれて写真まで
撮らせてくれた。
 
隊員とのエピソードは数多くあるが
この日も、調布飛行場にカメラを持って堂々と立ち入り
歩いていたときだった。
向こうから、ニュースで見覚えのある顔がこちらへ近寄ってくる。
 
丸顔で童顔の四宮徹中尉である。
 
少年はここぞとばかり、気持ちに勢いをつけて
 
「有名な四宮さんですよね!!」
 
と声をかけた。
どちらかというと寡黙なタイプの四宮中尉は
 
「そんなに有名じゃないよ。俺は」
 
穏やかに一言だけ、答えると、通りすぎようとした。
少年はカメラを持ったまま、四宮中尉の後を
追いかけるのであった。
 
つづく

2017年7月 1日 (土)

潜水艦のお話し

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海上自衛隊の公報さんとお話しする機会があり、
経歴を伺うと、 平成初期から海上自衛隊で潜水艦に10年間も
勤務されていたそうです。
  
潜水艦の生活を支障の無い範囲を書かせてもらいます。
 
潜水艦さん
「潜水艦一隻のクルーは80名で兵科ごとに4個分隊に別れています。
24時間三交代制で、艦内は狭いので、邪魔にならないよう
用が無ければ寝ていろと
言われています」
 
潜水艦は大きい 

潜水艦さん
「まず、潜水艦は大きいということ。
水面に姿を現しているのは三分の一程度に過ぎません。
氷山の一角です。 巨大なので入れる港が
限られています、 護衛艦が入港可能な港と
単純比較して水深が2倍は無いと 寄港できません。 
基本的には、呉と横須賀の二カ所です」
 
基本的に浮上しない

潜水艦さん
「一度出港すると、潜航を続け、帰港するまで
浮上する機会はありません」
 
篠原
「映画でよく見る、たまにハッチを空けて順番に外の空気を
吸わせてくれるんでしょう?」
 
潜水艦さん
「いやいや、そんなサービス無いです。基本的に潜りっぱなしですね
見つかってしまいますから。
横須賀を出港して浦賀水道を出たら、帰ってくるまで浮上はしません」

 
潜水艦は船酔いしない
 
潜水艦さん

「水上の艦艇と違うのは、食器やコップを普通にテーブルの
上に置いて食事が出来ることです。このような水の入ったコップも
置いたまま、地上に居る生活と変わりません。潜ったら本当に
静かだということです。嵐でも、潜ってしまえば、影響はありません」
 
だから、帰港前に浮上して揺れると
みんなダメ(船酔い)になってますね(笑) 
それも護衛艦の揺れ方と違ってクセがあるんですよ」

篠原
「潜水艦の映画で、定番なのは、ネズミが住んでいると
その艦は幸運艦で、絶対に沈まないという、言い伝えが
ありますけど、現代の潜水艦でもネズミは居るんですか」
  
潜水艦さん
「いやいいや、それはありえません。もし居たら衛生的に
大問題になりますね」
 
篠原「そうすると、艦内はとても衛生的なんですね」
 
潜水艦さん
「衛生的・・・いやー、どうでしょう。
水が使えないので、洗濯は一切できませんから」
  
日本の潜水艦は静か
 
潜水艦さん
「日本の潜水艦は静かなので、ほとんど見つかることはありません。
P3C対潜哨戒機との訓練では、あらかじめ、索敵範囲が円で囲ってあって
決められているので、答えを教えているようなものですね。
ソノブイが投下されると、だんだん音が近づいてきます。これが実戦で
広大な海ではまず発見は無理でしょう」
 
「面倒くさいのは、水上艦艇や対潜水艦の訓練ですね。
絶対に音をたててはいけないから、訓練が終わるまでは
仕事が無ければ寝ているか、音をたてないように行動します。
 
ダメージコントロール
 
潜水艦さん
「潜水艦勤務が決まると、まず最初に覚えることは
艦内を伝っているパイプや配線の全てを
把握することです。
 
方眼用紙を渡されて、艦内に配線やパイプをプロットさせて
図を描かされます。これは持ち場がどこであろうと
潜水艦乗組員なら全員できなければなりません。
 
万が一に備えて、どの配線がどこに繋がっているか
知っておかなければいけない。命令があれば
すぐに自分の近くの配線を繋ぎあわせることができます」
 
潜水艦の操舵
 
潜水艦さん
「一応、操舵もやるのですけど
教官は最初は何も言わないんですよ。
潜水艦の舵はちょっと押し込むだけで
艦首が物凄く突っ込む。何かに捕まってないと
廊下をどこまでも滑って行ってしまう。
教官はそれを黙っているもんだから
慣れないものが操舵をすると、みんな滑っていってしまう」
 
潜水艦乗りになるには
 
篠原
「潜水艦乗りになるにはどうしたらいいんですか」
 
潜水艦さん
「私は最初から潜水艦を志望したのではありませんでした。
上官から適正の試験を受けろと言われて、それを受けたら
潜水艦乗りの適正があるとわかり、それを家族に話したら
『せっかく自衛隊に入ったのだから、他では体験できない部署へ
行け』と言われて、それで決めました。潜水艦の適正に合格すると
今度は航空機の適正(操縦以外)もあるから、そちらへ
行くこともあります」
 
篠原
「潜水艦で一番大変なことはなんですか」
 
潜水艦さん
「外の空気が吸えないことですね。艦内の空気は循環してますから。
勤務がおわって、帰ってくると空気が本当においしい」
 
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これといってオチがなくてごめんなさい。
覚えている限り、支障の無い範囲で書きました。
 
さて、
近年、隣国の航空母艦の脅威が話題となっておりますが
航空母艦の維持は湯水の如くお金がかかります。
 
航空母艦を一隻保有するには、セットで
護衛のイージス艦、護衛艦、そして水面下では
潜水艦が必要になります。
 
これだけの護衛を成しても
一隻の潜水艦が発射した魚雷で母艦を撃沈されるリスクは高く
 
日本の潜水艦は隠密性が極めて高いため
仮想敵国の航空母艦にとって、たった一隻の潜水艦が
最大の脅威となります。
 
目に見える形ではありませんが、潜水艦は
我が国からすれば最も有効な防衛手段であります。
 
潜水艦乗りの皆様、日々、見えないところで
大変な苦労をなさっています。ありがとうございます。
 
写真は呉市のからすこじま公園(日本唯一潜水艦の見える公園)です。

2017年6月30日 (金)

太陽の塔

大阪在住の友人が写真を送ってくれました。
 
昨年、大阪府吹田市に完成した観覧車
「OSAKA WHEEL(オオサカホイール)」
から望む太陽の塔です。 
   
私は太陽の塔のデザインが大好きで、 一度、拝みたいと
ずっと考えているのですが、まだ実現しておりません。
なんだか物凄いエネルギーをもらえるような気がしませんか。
 
それがまさか、こんな写真を撮れるようになるとは、
恐れ多いことです。南無。

丸い虹が見たかった

 
「丸い虹を見てみたかったんですよ」
 
先日は彗星搭乗員の
田中三也さんが飛行機乗りを志願した理由を
お話ししてくださいました。
 
丸い虹というのは
極めて限られた気象条件下で見ることが出来る
ブロッケン現象のことです。
  
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました」
 
「それで、見ることはできましたか?」
   
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」
 
戦争の話の合間でしたが
素敵なエピソードでした。
伝えきれないお話しがたくさんあります。

2017年6月27日 (火)

憧れのスマートフォン

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古い二つ折りの携帯電話を今でも使っています。
それが廃止になって、いよいよ
スマートフォンに交換しないといけないので、
 
スマートフォンの機械を買う前に本を読んで勉強しています。
OSはグーグル社のアンドロイドと、アップル社の
アイフォーンのふたつがシェアを占めているので
どちらかを覚えることになりそうです。
 
新しいOSやソフトの操作を覚えるとき、メーカー依存の
ヘルプやマニュアルを参照しても
説明してくれる用語自体がそもそもわからない、ということが
多く頭が痛くなるのですが、
 
こういう紙の本は、初心者にも
とてもやさしく書いてあって、ありがたいです。
わからない人の気持ちを理解してくれている。

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とりあえず、未契約で機械だけ購入したタブレットが
手元にあるのでそれで、購入前の予行練習をしています。
まずはwi-fiの接続方法を覚えました。
そこから今度は好きなアプリ(ソフト)を
ダウンロードするのですが
 
パソコン操作でいうところの
右クリック(タップ)の方法がわからない!困った!
ですが、なんとか調べて
フォルダ分けや削除、コピーの方法を覚えました。 
まだまだ、遅いですけれど、練習をしていきます。
 
スマートフォンの販売店に見学に行ったら
雑誌も読み放題で無料のドリンクがあってびっくりしました。

2017年6月26日 (月)

小林照彦一佐の事故と妻たちの航空自衛隊黎明期

7人の侍のおひとりの、奥様の話を少し書きます。
航空自衛隊の黎明期です。
  
「私が主人と結婚したのが17歳のときでした。
当時は半年間だけでも結婚生活できれば良いと
本当に、そう思っていました。
 
昭和20年に主人は銀河隊の飛行隊長で
特攻を命じられました。
銀河に魚雷を抱いて特攻を。
実際に訓練で同じ攻撃方法を試してみて
それが無謀な作戦だとわかったので、上官に言ったんです。
そして、保留になって、終戦を迎えました。
 
戦後は航空自衛隊へ。
当時(昭和30年-31年)は自衛官だと言うと
石をぶつけられるような時代でしたから、とても
余所の方には言えませんでした。
「ご主人の職業は」と尋ねられると、「公務員です」と
答えていました。
 
事故が多かったんです。
毎月毎週のように事故があって。
あれは浜松に居た昭和31、2年
 
私たちの目の前でジェット機が墜落したんです。
宿舎が近いので、パイロットの奥様方と一緒に
居りまして、それが誰の飛行機なのか
真っ青になりました。それがアメリカ軍の飛行機だとわかって。
 
昭和32年、小林照彦さんが亡くなったとき、
私は小林さんの奥様 ※(小林千恵子さん『ひこうぐも』の著者)
と一緒に居たんです。
 
報せに来たのが武藤さんという方で
もうそのときは亡くなっていたのですけど
ショックを受けるといけないからと、そのときは
「ご主人が怪我をしたから来てください」
と言ったんです。
 
私も小林さんの奥様の付き添って参りました。
奥様は亡くなったご主人と対面されて、
 
私は奥様を気遣うようで、
本音を申し上げると、次こそ、自分の主人の番じゃないかと、
本当に怖かったんです。
 
多くの方が亡くなって、主人は生き残って
定年まで。もう本当に、当時は考えもしなかった。
ありがたいことです」
 
この事故については、同じく7人の侍の竹田氏は次のように
語っている。
 
「本当は、あの飛行機には私が乗る予定だったんです。
あの日はT-33で吹き流し曳航して射撃の訓練を行う予定でした。
私は目の治療かなんかで、急に小林さんと勤務を代わってもらったんです」
 
小林一佐・天野二佐の事故
昭和32年6月4日、浜松基地において
 
小林照彦一佐(東京都出身・元飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時機体不調。出力と高度が上がらず
低空でベイルアウト試みるも殉職。
 
天野裕二佐(新潟県出身)
小林機に同乗。殉職。

インデザイン操作できる方

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インデザイン使える方を募集中です。
 
今回のお仕事はテキスト修正のみです。
レイアウトなど難しい作業はありません。 
 
本当に少しだけ、スポットでお願い
したいのですが、それでもよろしい方、
ぜひ、お問い合わせください。
よろしくお願い致します。