« 2017年5月 | メイン | 2017年7月 »

2017年6月30日 (金)

太陽の塔

大阪在住の友人が写真を送ってくれました。
 
昨年、大阪府吹田市に完成した観覧車
「OSAKA WHEEL(オオサカホイール)」
から望む太陽の塔です。 
   
私は太陽の塔のデザインが大好きで、 一度、拝みたいと
ずっと考えているのですが、まだ実現しておりません。
なんだか物凄いエネルギーをもらえるような気がしませんか。
 
それがまさか、こんな写真を撮れるようになるとは、
恐れ多いことです。南無。

丸い虹が見たかった

 
「丸い虹を見てみたかったんですよ」
 
先日は彗星搭乗員の
田中三也さんが飛行機乗りを志願した理由を
お話ししてくださいました。
 
丸い虹というのは
極めて限られた気象条件下で見ることが出来る
ブロッケン現象のことです。
  
「普通、虹というのは付け根がありますね。それが
飛行機に乗ると、付け根の無い丸い虹が見られると、
伝え聞いていました」
 
「それで、見ることはできましたか?」
   
「一度だけ見ました。彗星で太平洋を飛んでいるときです。
機体の下は白い雲で、彗星を中心に丸い虹が出来て
それがいつまでも離れずに追ってくるんです。
感激しました」
 
戦争の話の合間でしたが
素敵なエピソードでした。
伝えきれないお話しがたくさんあります。

2017年6月27日 (火)

憧れのスマートフォン

Dscn0700

古い二つ折りの携帯電話を今でも使っています。
それが廃止になって、いよいよ
スマートフォンに交換しないといけないので、
 
スマートフォンの機械を買う前に本を読んで勉強しています。
OSはグーグル社のアンドロイドと、アップル社の
アイフォーンのふたつがシェアを占めているので
どちらかを覚えることになりそうです。
 
新しいOSやソフトの操作を覚えるとき、メーカー依存の
ヘルプやマニュアルを参照しても
説明してくれる用語自体がそもそもわからない、ということが
多く頭が痛くなるのですが、
 
こういう紙の本は、初心者にも
とてもやさしく書いてあって、ありがたいです。
わからない人の気持ちを理解してくれている。

Dscn0703 
とりあえず、未契約で機械だけ購入したタブレットが
手元にあるのでそれで、購入前の予行練習をしています。
まずはwi-fiの接続方法を覚えました。
そこから今度は好きなアプリ(ソフト)を
ダウンロードするのですが
 
パソコン操作でいうところの
右クリック(タップ)の方法がわからない!困った!
ですが、なんとか調べて
フォルダ分けや削除、コピーの方法を覚えました。 
まだまだ、遅いですけれど、練習をしていきます。
 
スマートフォンの販売店に見学に行ったら
雑誌も読み放題で無料のドリンクがあってびっくりしました。

2017年6月26日 (月)

小林照彦一佐の事故と妻たちの航空自衛隊黎明期

7人の侍のおひとりの、奥様の話を少し書きます。
航空自衛隊の黎明期です。
  
「私が主人と結婚したのが17歳のときでした。
当時は半年間だけでも結婚生活できれば良いと
本当に、そう思っていました。
 
昭和20年に主人は銀河隊の飛行隊長で
特攻を命じられました。
銀河に魚雷を抱いて特攻を。
実際に訓練で同じ攻撃方法を試してみて
それが無謀な作戦だとわかったので、上官に言ったんです。
そして、保留になって、終戦を迎えました。
 
戦後は航空自衛隊へ。
当時(昭和30年-31年)は自衛官だと言うと
石をぶつけられるような時代でしたから、とても
余所の方には言えませんでした。
「ご主人の職業は」と尋ねられると、「公務員です」と
答えていました。
 
事故が多かったんです。
毎月毎週のように事故があって。
あれは浜松に居た昭和31、2年
 
私たちの目の前でジェット機が墜落したんです。
宿舎が近いので、パイロットの奥様方と一緒に
居りまして、それが誰の飛行機なのか
真っ青になりました。それがアメリカ軍の飛行機だとわかって。
 
昭和32年、小林照彦さんが亡くなったとき、
私は小林さんの奥様 ※(小林千恵子さん『ひこうぐも』の著者)
と一緒に居たんです。
 
報せに来たのが武藤さんという方で
もうそのときは亡くなっていたのですけど
ショックを受けるといけないからと、そのときは
「ご主人が怪我をしたから来てください」
と言ったんです。
 
私も小林さんの奥様の付き添って参りました。
奥様は亡くなったご主人と対面されて、
 
私は奥様を気遣うようで、
本音を申し上げると、次こそ、自分の主人の番じゃないかと、
本当に怖かったんです。
 
多くの方が亡くなって、主人は生き残って
定年まで。もう本当に、当時は考えもしなかった。
ありがたいことです」
 
この事故については、同じく7人の侍の竹田氏は次のように
語っている。
 
「本当は、あの飛行機には私が乗る予定だったんです。
あの日はT-33で吹き流し曳航して射撃の訓練を行う予定でした。
私は目の治療かなんかで、急に小林さんと勤務を代わってもらったんです」
 
小林一佐・天野二佐の事故
昭和32年6月4日、浜松基地において
 
小林照彦一佐(東京都出身・元飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時機体不調。出力と高度が上がらず
低空でベイルアウト試みるも殉職。
 
天野裕二佐(新潟県出身)
小林機に同乗。殉職。

インデザイン操作できる方

Adobe_indesign1

 
インデザイン使える方を募集中です。
 
今回のお仕事はテキスト修正のみです。
レイアウトなど難しい作業はありません。 
 
本当に少しだけ、スポットでお願い
したいのですが、それでもよろしい方、
ぜひ、お問い合わせください。
よろしくお願い致します。
 

2017年6月25日 (日)

日光サーキット

Ae8r0003

Ae8r9936_2

Ae8r0044

Ae8r0077

Ae8r0374

Ae8r0382

久し振りに日光サーキットです。
 
青いマシンが私。
19歳で免許取って、20代でジムカーナやって
つくばでA級ライセンス取りました。以来15年間この車で
走ってきました。
   
赤が後輩のゆうくんです。彼も17歳で
この車買ってから、ずっと乗ってます。
もうとっくの昔に追い抜かされてます。
 
彼の度胸と実力は凄いです。ブレーキを踏まず
コーナーギリギリまで迫ってゆく、遠ざかってゆく
彼の後姿を見て「ああ、勝てないのだな」と思います。
 
二人で一緒に走ろうと、2年くらい前から
申し合わせをしており、念願叶いました。
もう、お互い車が古くて
仲間もほとんどいなくなりました。
 
今度こそ最後かもしれない!!
 
いつも思ってます。
 
午前中はウエットでしたが午後はドライでした。
「二人でGTRとポルシェをぶっちぎろう」が合言葉です。
  
カメラマンはナミちゃんです。
私は彼の写真が好きです。
車を撮っても風景を撮っても女性を撮っても、腕が良いので、
プロになってほしいのですけど、
なかなか仕事が忙しくて、今回は無理を言って
来てもらいました。
 
そしてそして、
栃木はモータースポーツの聖地です。
若者の車離れが激しい昨今、
もっと車文化を根付かせたいと考えています。
男ならスマートフォンより、メカキチガイになれ!と思ってます。
 
ここまでやらなくてもいいけれど
自分の車で走る楽しさ、四本のタイヤが地面を捕える感覚
ハンドルを握って遠くへ出かける
楽しさ、あるいは油まみれになってメカをいじる
充実感を伝えていきたいです。

雨の日が楽しくなる曲

 
『Swing the Rain』
同タイトルのミュージカル映画主題歌。
雨と言えば、世界で最も有名な曲。
雨の日をこんなに楽しく過ごせるBGMを、この他に私は知らない。
 
 

 
『Rain / 秦基博』
日本のアニメ「言の葉の庭」から
新海誠作品。「君の名は」が大ヒットしたけれど
こちらの作品はそれよりも背景が細かく描き込まれていて美しい。
曲もいいけど絵が綺麗。

『かえるのうた』
誰もが知る童謡のアレンジ。ピアノソロ。
様々なアレンジが楽しめる童謡がしっとり美しい曲に。

2017年6月24日 (土)

オオルリ

Aa

ロゴを更新しました。
 
栃木県の県鳥でもある
オオルリ(大瑠璃)をイメージしました。

TAKATAの破産

TAKATAが潰れてしまいました。残念です。
ずっと心配していたことが現実になりました。
 
TAKATAはエアバッグやシートベルトを製造するメーカーで
トップシェアを誇っていました。
TAKATAの製品そのものは一流で、
グリーンのフルハーネス(レース用のシートベルト)は
憧れでした。
 
一番困るのは自動車メーカーと
消費者ではないかと感じております。
 
自動車メーカーはエアバッグを自社では
作れないのです。
ぜんぶTAKATAが下請けで製造していました。
 
事故をおこしたとき、
エアバッグの不具合で命を落とした人と
エアバッグのおかげで命が助かった人、
これを天秤にかけたとき、果たして、どうかと思います。
 
リコールで騒ぎになってもTAKATAから部品供給を受け、
作業を続けるしかなかった自動車メーカー。結局のところ
「TAKATAの他に作ってくれるところがない」が
本当の理由だと思います。 
 
そもそもの、安全装置というものは
リスクを減らすことはできるけれど
絶対ゼロにはならない。我々末端の消費者は
盲目になってはならないと、感じております。

2017年6月23日 (金)

J-Wings 8月号掲載

Dscn0699_2
私の独断と猛プッシュにより、推進してきました
蒼月遥ちゃん(ブルーホーネット応援の萌えキャラ)企画ですが
お陰様で航空誌『J-wings』8月号に掲載して頂きました。
全国書店にて発売中です。ぜひ、お手に取ってご覧ください。

2017年6月22日 (木)

新幹線運休の報道

昨夜の大雨の影響で新幹線が運休または大幅な
遅延が出てニュースとなっている。
原因は架線の不具合による停電だったが
どこのニュースでも足止めを余儀なくされた乗客を捕まえて
  
「困った」「うんざりした」「ひどく疲れた」
「迷惑だった」「徹夜で仕事に向かわねばならない」
 
などとコメントを報じている。  
 
極めつけは朝日新聞の報じた
 
「もう新幹線を嫌いになった」
 
との乗客のコメントである。
 
遅延した最後の列車が博多駅に到着したのは午前4時半だった。
しかし、新幹線は全線で6時の始発から平常運転を再開した。
これは神業と言っても言い過ぎではない。
 
ニュースが伝えるのは、乗客が迷惑した事のみで
同様に徹夜の作業となった、保線に従事する作業員や
駅員の苦労は一切、報じない。
日本の鉄道は世界一正確で安全だが
何事もなく動いているときは、その有難味は感じないのだろう。 
 
豊かになった我が国の根本的な欠陥はここにあるのだろう
と普段から感じている。
 
新幹線で窓際に座って飲むコーヒーは何にも代えがたい
格別なものだ。富士山を眺めながら時速200キロで景色は流れて行く。
あのコーヒーは一杯1万円とったっていいと私は思う。
 
どれだけの乗客が、コーヒーがこぼれない理由を
考えたことがあるだろうか、その技術を根底から支える
日本の技術屋、職人の魂がそこには目に見えない形で
確かに存在する。
 
こうした技術屋や作業員、駅員の方々に
感謝の心を持ち、敬意を払うことを
我々日本人はすっかり忘れてしまった。
新幹線が定刻通り走るのは当たり前じゃない。
 
私は以前、電気工事の仕事をしていた。
電気工事といっても多様だが、私はシーケンス屋だった。
日産自動車の大工場で、ベルトコンベアーやロボットを
動かすための電線を引いたり、それを動かすラダー図を
コンピューターで作製していた。ソフトからハードまで全部やった。
鋳造工場では、グラグラとマグマのように溶けた真っ赤な鉄を
入れた鍋がすぐ近くを通過して地獄のような暑さだった。
 
ここで働いていた時、
社長からポツリと言われたもっとも印象的な一言がある。
  
「いつか飛行機の落ちる時代が来る」
 
理由は簡単で少子高齢化で優秀な技術者が減ってしまう。
伝承者も少ないという危惧からである。これは現場で痛烈に感じた。
 
社長のパソコンの待ち受け画面はマチュピチュの遺跡で
「いつか引退したら妻や家族を連れて行きたい」
とニコニコしながら常々言っていた。
でも、社長が引退できる日は現実的に考えられなかった。
人員不足でほとんど休みはなかった。
  
私はリニア中央新幹線なんて大反対である。
造るまでは良いだろう。だけれども維持管理はどうする。
アルプスを貫く長大なトンネルを、一体誰が面倒を見るのか。
 
トンネル外壁の一部が剥がれおちただけで、
責任がなんたらと、報道が騒ぐだけ、それは目に見えている。
もう明らかな人手不足としか言えない。
 
今後、50年60年先の見通しがあるのか。
 
話を少し戻して、私は日産の工場で
日産のフラッグシップである、フェアレディZを
製造するロボットのメンテナンスを行っていた。
 
だから、街を走るフェアレディZを見かけると
自分が関わったことだから、少し嬉しかったし誇りに感じた。
仕事のやりがいとはこのようなものかと思った。
 
就職難と言われて久しいが、実のところ求人率は
バブル期に次いで二番目で
仕事は選ばなければたくさんある。
 
終戦の焼け野原から、復興を遂げて世界第二位の経済大国に
成長している過程で
重厚長大(じゅうこうちょうだい)というものに
若者は憧れを持っていた。重厚長大とは
重く・厚く・長く・大きな製品を扱うことである。
こういった仕事がかっこよかったのだ。 
 
昨今はスマートで薄く、小型シンプルなものが
何でもかっこいいとされる。
お洒落なシアトル系カフェで、コーヒー片手に
タブレット端末を片手で操作するのがステイタスなのだ。
だけどそれを支えているのは誰なのか。
 
天才物理学者のアインシュタインは優れた哲学家でもあった。
アインシュタインは
「私は生まれ変わったら配管工になりたい」
そう言った。
 
日本の若い人たちは
こうした下支えをする技術職をやりたいと思わないのか。
誇りを感じないのか。
 
大自然相手に新幹線が運休しただけであまりに酷い報道。
そうした気持ちを助長させている気持がしてならない。
だから思うまま書いた。
 
どうか、新幹線を嫌いにならないで欲しい。

2017年6月20日 (火)

男体山が活火山に認定

男体山

日光の男体山が今日付けで活火山に認定されたそうです。
いや、いきなり「なった」と言われましても
何とコメントしたら良いのやら。
 
1万年以上噴火しなかった、とされる説がこのたび覆され、
実はもっと最近、7000年前に噴火した火山灰の
地層が見つかったそうです。
  
きっと、明日は地元紙の一面トップです。

原宿駅

Dscn0668_2

原宿駅の改札前。
千駄ヶ谷の小学生が書いたレポートが掲示されており
宮廷ホームについて書かれています。

宮廷ホームとは山手線で
代々木を出て原宿に向かう途中、左側に見えるホームのことです。

都会のド真ん中に突然出現する、殺風景な無人駅。
知らない人が初めて見ると
びっくりするかもしれません。
これはお召し列車が発着する
天皇陛下専用のホームです。
 
レポートにも記載があります通り、宮廷ホームは
大正14年に設置され、
合計30回使われました。
新幹線が開通してからは殆ど
陛下は新幹線を利用なさるので、
平成になってから使われたのは
6回です。
 
ん・・・・?下から二行目。
平成て・・・・??なんと!
先生は今上天皇という言葉を子供に教えてあげてください。
 
驚くべき事実、
原宿駅は多い時には一日20万人のお客さんが利用するそうです。
駅員の数は35人。単純計算すると、駅員さん一人あたりで
5,700人以上のお客さんの面倒を見てくれていることになります!
恐れ入ります!

2017年6月 8日 (木)

航空自衛隊7人の侍

 
昭和31年3月1日
日本空軍復活の日、はじめて築城基地で日本人パイロット操縦による
ジェット戦闘機F-86Fが飛んだ。この出来事が鮮明なニュース映像で残っている。
 
ニュース映像に写っているのは、右から
鈴木瞭五郎 二等空佐(海兵68期。攻撃第501飛行隊長等・終戦時大尉)
石川貫之 二等空佐(陸軍士官学校50期・246戦隊長等・終戦時少佐)
指宿正信 二等空佐(海兵65期赤城分隊長・横須賀空飛行隊長等・終戦時少佐)
調査中
  
※ニュース内では名前が紹介されていないので、篠原調べ。
  
戦時中、
指宿さんは「ゼロ戦」
石川さんは二式単戦「鍾馗」、鈴木さんは艦爆隊を経て「銀河」
等の飛行機を操縦していた、いずれも陸海軍のエースである。
 
昭和30年8月12日
F-86F高等操縦学生9名が米国に留学(31年2月26日帰国)
アメリカ人パイロットにF86Fの操縦技術を学んだ。
 
うち七人が第一期生として帰国し、「航空自衛隊七人の侍」と呼ばれた。
この、七人の侍が教官となり、
はじめて日本国内において日本人が日本人に操縦技術を指導することが
可能となった。現在に繋がる航空自衛隊戦闘機パイロット養成は
この七人の侍から派生していると言っても言い過ぎではない。 
 
航空自衛隊七人の侍
当初、渡米組は9名であったが
英語教育の進行が遅れた2名が若干、遅れての帰国となった。
9名のうち、調査で判明した7名をここに記す。
なお、この頁では、以下、帰国まで僅かの差であったことと、
同様に尽力された事実を考慮し9名全員を七人の侍として記載する。
 
◆石川貫之 二等空佐
陸軍士官学校50期、飛行第16戦隊-飛行第246戦隊長
軽爆から戦闘機転科、終戦時少佐。
 
◆指宿正信 二等空佐
海軍兵学校65期、戦闘機。
赤城分隊長-翔鶴分隊長-261空飛行隊長-201空-横須賀空飛行隊長
終戦時少佐
 
◆鈴木暸五郎 二等空佐
海軍士官学校68期、攻撃第501飛行隊長。艦爆。銀河等
終戦時大尉
 
◆桑原泰郎 三等空佐
陸軍士官学校54期
 
◆竹田五郎 三等空佐
陸軍航空士官学校55期、飛行第244戦隊先任飛行隊長
終戦時大尉
 
◆小松利光 三等空佐
陸軍航空士官学校56期
終戦時大尉
 
◆酒井史郎 一等空尉
海軍水上機出身
 
◆刈谷一等空尉
  
  
飛燕の小林照彦少佐や、加藤隼戦闘隊の黒江保彦少佐など
名立たるパイロットが航空自衛隊戦闘機パイロットとして
活躍するが、またこの後の話である。
 
なぜならば、当時見たことも無い、
「ジェット戦闘機」そのものの概念が、なかなか伝わらず
パイロット募集にほとんど人員が集まらなかったとされる。
 
私は、この七人の侍のうち、3名の親族にお会いすることができた。
お一人はご存命である。残り5人。
航空自衛隊七人の侍探しの旅は続く。
 
出典
『築城基地開設五十周年史』総務課記(104頁)
元空将前川國雄氏の記事(106頁)『自衛隊十年史』 (1961年)

2017年6月 7日 (水)

梅雨入り

Imgp9401

関東も梅雨入りが発表されましたね。

ペトリオットミサイル(PAC3)発射機見学

Imgp9181

Imgp9141

Imgp9149

Imgp9154

Imgp9171

Imgp9144

Imgp9186

Imgp9172

航空自衛隊府中基地開庁60周年記念 オープンフェスタで
第1高射群(1st ADMG)所属の
ペトリオットミサイル(PAC3)発射機(LS)を見学。

Imgp9202_2

公式マスコットキャラクターのパックさん。
 
http://www.mod.go.jp/asdf/1admg/pac/index.html
航空自衛隊第1高射群公式ページによれば
四人家族らしい。ぜんぶ見たかった!

名前:パックさん 性別:男の子 職種:PAC-3搭乗員
祖父は、修行を重ねて「アジャックスの杖」を造る。
父は、その杖を束ねて「ハーキュリーズの杖」に作り替えた。
パックさんは、受け継いだ杖を伝説の「パックの杖」に鍛える旅を続けている。
※第一高射群公式ページより。

 

Pic01

Pic03



 

Imgp9200

Imgp9127 
航空自衛隊府中基地は現在、気象観測基地として日夜
航空機の安全に寄与している。なお、敷地は旧陸軍燃料廠跡。

Imgp9129

Imgp9192

Imgp9193

Imgp9194

予科練平和祈念館の零戦

Imgp9235_2

Imgp9294

Imgp9269_2

Imgp9220

Imgp9285

Imgp9265

Imgp9262

Imgp9211_2

Imgp9243

Imgp9249

Imgp9288

茨城県阿見町の予科練平和祈念館へ再度、ゼロ戦を見に
行ってきました。
 
今日は日曜日で、朝から快晴だったので格納庫から
引き出してくれて
いました。これが見たかった!
飛行機の背景には青空が映える。零戦が屋外に展示
されているのは、全国でここだけです。

MRAP 市街地を走る


 
陸上自衛隊中央即応連隊所属のMRAP(ブッシュマスター)
装甲車。市街地を走る。我が国に存在するMRAPは
中央即応連隊に配備された4両のみ。

Dscn0532

宇都宮飛行場(北宇都宮駐屯地)

Imgp9337_2

Imgp9347

Imgp2867 
宇都宮飛行場(北宇都宮駐屯地)滑走路北端。

Imgp2931

Imgp2906

Imgp2890

Imgp2958

Imgp2925

Imgp2938

Imgp2923_2 
飛行訓練中のTH480B(ブルーホーネット)

Imgp2969

Imgp9378

飛行場が一望できるカフェ「ソフトクリームカフェ」

Imgp4803

ヘリコプターってこんな動きができるんですね。ブルーホーネット
の知名度も上がってきました。先日のイベントではたくさんの
ご来場ありがとうございました! 

Dscn0492

Dscn0507

Dscn0498

Dscn0510

Dscn0506_2

2017年6月 3日 (土)

飛行第244戦隊歌(飛燕戦闘機隊々歌)航空自衛隊航空中央音楽隊演奏


YouTube: 飛行第244戦隊歌(飛燕戦闘機隊々歌)航空自衛隊航空中央音楽隊演奏

 
平成29年(2017)6月3日、航空自衛隊府中基地開庁60周年記念
オープンフェスタにおいて初めて演奏されました。
演奏/航空自衛隊航空中央音楽隊演奏
作曲/古関裕而、作詞/南郷茂宏(川崎航空機社員)
編曲/田中裕香三等空曹
特別協力/竹田五郎元大尉・元統合幕僚会議議長
楽曲再現/久保亜未、篠原直人
演奏までの経緯
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2...
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2...
https://soranokakera.lekumo.biz/tesr/2...