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2017年5月31日 (水)

渋谷の大盛堂書店

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渋谷のスクランブル交差点の先にある
大盛堂書店。
 
創業者は船坂弘氏である。
 
船坂氏は
栃木県西方村(現在の栃木市)出身。
宇都宮五十九連隊第一大隊砲兵隊軍曹。
パラオ・アンガウル島玉砕戦の生還者。
アンガウル島の日本軍守備隊将兵1200名、玉砕戦で
生還した十数名のうちの一人である。
 
戦後は、この渋谷の一等地に大盛堂書店を開業し
書店の経営と並行して、多くの著書を残した。
 
船坂氏が残したかったもの、それは著書を読めば解る。
船坂氏は、著書の出版に際して、戦友遺族の家を一件一件
訪ねて回り、一人一人、漏れることなく、戦没者名を刻んでいった。 

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大盛堂書店は繁盛し、著書も売れた。
 
船坂氏はその資金で、アンガウル、ペリリュー、ガドブスの各島に
自費で慰霊碑を建立。そして今日に至る遺骨収集隊の先駆けとなった。
 
ところが、
戦争が終わって、誰が予想したであろう豊かな時代が訪れると、
人は欲深くなるのだろうか。
 
私心を捨てて、戦友の弔いに尽くす船坂氏とは対照的に
それを妬む者が現れた。

「本で大儲けして」 
「たかが軍曹のくせに」
「ペリリューの事など知らないくせに」
 
船坂氏はこんなバッシングにも負けず
生涯を戦友の慰霊に捧げた。
 
慰霊とは何か。まずは感謝と祈り
そして、誰がどこでどのように戦って死んだのか
記録に残すことではないだろうか。
 
船坂氏はまさにそれを戦後、貫き通した人物であった。
 
この話は本には載っていないけれど
船坂氏と、戦後の混乱期を
知る人物から取材して聞いて回った話だから
私は、少しだけならこうして書ける。 
 

大盛堂書店、今は船坂氏のご長男が経営されている。
 
スクランブル交差点を行き交う人の群れの中で、
こんなに人は多いけれど、
そんなことを考えているのは、たぶん私だけだろうと思う。

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渋谷の街は再開発が進んでいる。

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スペイン坂を上り切ったところに
A.D.2019とAKIRA金田のバイク。
西暦2019のネオ東京。
SFの世界もすぐそこか。
  
時代は過去から現在、未来へと繋がってゆく。
  

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関連エピソード
三島由紀夫と船坂弘の関孫六三本杉

2017年5月25日 (木)

ブルーホーネットグッズ

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5月28日、北宇都宮駐屯地にて
ブルーホーネットの展示飛行が行われます。
 
当日限定でいくつかグッズを用意しました。
ブルーホーネットTシャツ、ポストカード
防水ステッカー、クリアファイル等です。
いずれもキャラクターありと、機体のみの
両バージョンをご用意しました。
 
一日限りの限定品につき数があまり多くなく
売り切れの際はごめんなさい。
ぜひ会場にお越しくださいね。

2017年5月24日 (水)

京都・関西方面へ

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京都・関西方面へ行ってきました。
関西では一式陸攻のパイロットだった方や
「月光」のパイロットだった方に
お目にかかって参りました。
引き続きインタビュー・書き起こしを継続して参ります。

神奈川方面へ

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神奈川方面へ。今回は
「銀河」隊の方のお話しをお伺いしてきました。
 
引き続きインタビュー・書き起こしを継続して参ります。

男体フォーメーション

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自宅の窓から撮りました。
爆音を轟かせて男体フォーメーションが行く。

日曜日の航空祭の予行練習です。
 
先頭の7機はTH480(ブルーホーネット)
次いでUH-1が3機。殿(しんがり)をUH-60Jの3機。
 
男体とは日光男体山の意。

2017年5月19日 (金)

航空自衛隊黎明期事故による殉職者

 
航空自衛隊黎明期に殉職され
その礎を築かれた方々のお名前を記します。
現在、航空自衛隊の黎明期を研究しており、何かお役に
立てればと検索データベースの作成に至りました。
 
航空自衛隊創設から昭和35年8月までですので
ブルーインパルス発足前となります。
 
左からお名前、階級※殉職後の特進階級です
事故発生日、出身地、事故の内容を記載しました。
 
----------------------- 
鈴木光・2尉・昭和29年9月26日・北海道
 
東海林迪夫・2曹・昭和30年8月8日・岩手県
第1操縦学校所属T-34、連絡飛行中京都府日向町に墜落
 
土田忠夫・1曹・昭和31年2月6日・宮崎
  
平塚勝・3佐・昭和31年6月26日・神奈川
第二操縦学校所属T-6訓練中松島で空中衝突
 
竹内慶文・3佐・昭和31年6月26日・茨城

 
中田弘正・2士・昭和31年7月28日・長野
 
宇野進・3佐・昭和31年8月16日・愛知
臨時築城派遣隊所属T-33A、連絡飛行中宮城県松島海上に墜落
  
三木琢磨・2佐・昭和31年9月29日・愛媛 三木琢磨大尉(海兵70期)
臨時築城派遣隊所属T-33A、離陸直後に墜落
 
玉利清治・防衛庁技官・昭和31年9月29日・鹿児島
上記臨時築城派遣隊所属T-33A機に同乗。
 
谷嶋広美・1曹・昭和31年11月2日・長崎
 
指宿正信・1佐・昭和32年1月9日・鹿児島(海兵65期)
第二航空団所属F-86F、2機訓練中接触天竜川河口と遠州灘に墜落
指宿二佐殉職、S空将補ベイルアウト成功
  
五日市芳武・士長・昭和32年2月19日・岩手
 
後藤守正・2佐・昭和32年3月4日・福岡
臨時美保派遣隊所属定期便C-46、美保飛行場着陸時海上に墜落
 
岩本繁明・2佐・昭和32年3月4日・熊本 岩本繁明大尉(航士54期)

 
吉井富男・1曹・昭和32年3月4日・栃木

 
野村久光・1曹・昭和32年3月4日・東京

 
入山芳夫・1曹・昭和32年3月4日・茨城

 
高野衛・2曹・昭和32年3月4日・茨城

 
丸山好行・2曹・昭和32年3月4日・東京

 
古渡清文・2曹・昭和32年3月4日・茨城

 
高橋唯清・2曹・昭和32年3月4日・長野

 
岩本勇・3曹・昭和32年3月4日・大分

 
近藤実・士長・昭和32年3月4日・島根

 
河井重友・防衛庁技官・昭和32年3月4日・岡山

 
小川光昭・1尉・昭和32年5月20日・大阪
第2航空団所属F-86F、千歳へ移駐の際、苫小牧および千歳付近に
各1機墜落
 
小林照彦・2佐・昭和32年6月4日・東京(飛燕・244戦隊長)
第1航空団所属T-33A、離陸時の事故によって
火災発生消失
 
天野裕・2佐・昭和32年6月4日・新潟
〃小林機に同乗
 
肱岡勝雄・3佐・昭和32年6月13日・鹿児島
第2航空団千歳派遣隊所属F-86F、計器飛行訓練中苫小牧北方に墜落
 
中村博・2佐・昭和32年6月20日・神奈川(海兵71期)
第1航空団所属F-86F、夜間訓練中天竜川河口南方海上に墜落
 
時任二三夫・士長・昭和32年7月30日・宮崎
 
松本力・2佐・昭和32年9月30日・福岡
臨時築城派遣隊所属T-33A、訓練中飛行場東方海上に墜落
 
佐藤正・3佐・昭和32年9月30日・大分

 
吉田誠一・2佐・昭和32年11月16日・東京
第一航空団所属F-86F、訓練中高松市松島埋立地に不時着大破消失
 
酒井康夫・3佐・昭和32年11月21日・京都
第一航空団所属F-86F、訓練中浜名湖南方海上に墜落
 
岡野武雄・3佐・昭和32年12月26日・福岡
第二操縦学校臨時松島訓練隊所属T-6、航法訓練中山口県岩国沖に墜落
 
西川尚信・1尉・昭和32年12月26日・広島

 
鶴井平・1曹・昭和33年3月13日・愛知
第一航空団所属F-86F、訓練中爆発天竜川河口に墜落
 
田代孝・3佐・昭和33年4月6日・和歌山
 
新川久三・士長・昭和33年4月13日・福島
 
半田要一・3佐・昭和33年5月21日・群馬
第一航空団所属F-86F、2機、訓練中接触尾鷲市南東海上に墜落(要確認)
 
上田雄二・2曹・昭和33年5月21日・熊本
第二操縦学校分校所属T-6、訓練中宮城県田尻町付近に墜落(要確認)
 
倉原正典・1士・昭和33年6月24日・大分
 
大田忠敏・1士・昭和33年7月11日・山口
 
加治佐稔・1士・昭和33年7月24日・鹿児島
 
猪原瑞夫・2曹・昭和33年10月23日・熊本
第二航空団所属F-86F、訓練中北海道島松演習場に墜落
 
山川稔・1尉・昭和33年12月10日・長崎
第二操縦学校所属T-6、訓練中福島県箕輪山に墜落
 
中村俊英・1曹・昭和33年12月10日・鹿児島

 
諸隅武夫・3曹・昭和33年12月11日・佐賀
 
村上忠敏・1尉・昭和34年1月2日・大分
 
高橋光雄・士長・昭和34年3月11日・秋田
 
藤原敏之・1尉・昭和34年5月4日・岡山
 
土井幸信・2曹・昭和34年5月19日・東京
第三操縦学校所属T-33A、訓練中築城飛行場外に墜落
 
今石琢造・1尉・昭和34年6月5日・福岡
第一航空団所属、F-86F、訓練中松島飛行場に墜落
 
桐原健男・1曹・昭和34年7月3日・宮崎
 
坂本誘・3曹・昭和34年7月3日・山口
 
弘川勝信・2曹・昭和34年7月22日・佐賀
第16飛行教育団所属T-33A、訓練中宇部沖に墜落
 
渡辺昶夫・3曹・昭和34年8月17日・栃木
 
山本哲夫・3曹・昭和34年9月5日・栃木
 
藤田明・士長・昭和34年9月26日・茨城
 
鶴田茂・1佐・昭和34年10月5日・鹿児島
第二航空団所属F-86F、2機、訓練中空中接触
によって三沢沖に墜落
 
山本秀成・3尉・昭和34年10月5日・鹿児島

 
脇信良・士長・昭和34年11月30日・鹿児島
 
白善誠一・1曹・昭和34年12月23日・京都
第一航空団所属F-86F、訓練中静岡県安倍郡山中に墜落
 
吉田博昭・1曹・昭和34年12月24日・新潟
第四航空団所属F-86F、訓練中金華山沖に墜落
 
井島直次・技官・昭和34年12月30日・静岡
 
木暮辰雄・1尉・昭和35年5月9日・群馬
 
平原良彦・2尉・昭和35年5月24日・鹿児島
第14飛行教育団所属T-6、夜間訓練飛行中海上に墜落
 
米谷哲雄・1尉・昭和35年6月29日・北海道
第一航空団所属F-86F、射撃訓練中熊野灘に墜落
 
鈴木義英・1尉・昭和35年8月4日・東京
第一航空団所属T-33A、訓練飛行中愛知県下に墜落
 
三崎義信・1曹・昭和35年8月16日・熊本
第一航空団所属F-86F、2機、編隊飛行訓練中
空中接触によって遠州灘に墜落

2017年5月18日 (木)

疲れ切った人へ

帰路、京王線で新宿へ向かう途中、前を走る電車が人身事故に
遭遇して、運行が止まってしまった。
 
隣に居た東京在住の友人によれば、
確実に1時間は動かないと言う。
JR武蔵野線の駅まで歩いて、横浜方面まで出た。 
結果的には時間がかかり、運休した電車に座っていても
それほど変わらなかったと思う。
 
人身事故というのは大方、自殺だろう。
 
友人が東京で電車の運転手をしている。
確実に1時間動かない理由を話してくれた。
どんなに見込みがないバラバラの遺体でも、法的には
要救助者である。レスキューが必要なのだ。
 
鉄道職員だけでの死亡判定はできない。
だから警察の到着を待たねばならず、それで
どんなに早くても復旧迄1時間はかかるそうだ。
 
以前は、法規が曖昧で、
鉄道職員だけで現場を処理し、すぐに運行再開が可能だった。
  
友人は、電車の運転中に人身事故に4度ほど遭遇している。
定年退職まで一度も事故に遭遇しない運転手もいれば
自分のように、何度も遭遇する者も居る、それが不思議だと言う。 
 
ホームから飛び降りる人間は一目見て、すぐにそれだと解る。
だがブレーキをかけても間に合わない。
 
どうしようもない。
 
身投げした人間が運転席のガラスを突き破り、 
それが右側だったから運よく助かった。
折れ曲がった足が、顔のすぐ傍まで来ていた。
その足を力いっぱい、払いのけた。
運転席の計器類が血まみれで、代えのきかないマスコンキーは
水で洗ってそのまま使った。
 
別のケースでは、線路上で撥ねて、
緊急ブレーキをかけて停止。
まだ息のあったので、救命に努めた。
 
足は胴体から離れていたので、ショックを受けるから
彼にそれを見せないよう、
足だけ持って、死角に移動したのだが、
とても重かった。これはもう助からない、と思ったが。
 
息を引き取る瞬間、彼と目が合って、
それが、とても悲しそうな目をして
何かを喋ろうとしていた。彼がこの世で最後に見たのが
自分の顔だったのか、と。
 
現場の惨状には慣れたが、
その悲しそうな目がずっと忘れられないという。
 
運転手や鉄道職員はもう精一杯である。
 
私達に出来ることは何か。
 
自殺する人間に
死ぬ勇気があるなら生きる勇気もある筈と
言う者がいるが、それは的確でない。
 
人間の身体は魂の器に過ぎず
死を考える直前の人間など、その重い身体を
ようやくひきずって歩いている状態なのだと思う。
 
だから、どこか軸がずれていて、アンバランスに歩く。
魂はホームの後ろ側に置いてあって、体だけが
コントロールが効かず、線路のほうへ滑り落ちて行くのだと思う。
 
死ぬのは勇気などではない。
疲れ果てて眠りに落ちるのに似ている。
 
物理的に、ホームドアの設置や高い策を設けるのは有効である。
でも、少し余裕があるのなら、ホームに
ベンチを設けたらどうかと思う。
  
そこに座っていれば、少しは気持ちが落ち着くかも
しれない。一度座れば重い体を起して立ち上がって
線路内に滑り落ちて行くことも少ない。
  
だから、そのベンチに荷物を置いて占領してはいけない。
誰か、疲れていそうな人が来たら、その荷物を膝の上に避けて
どうぞ、と促してやる。
 
スマートフォンに目を落としていると、疲れて、悲しそうな
目の人が隣に居てもわからない。無関心は孤独を助長する。
  
あなたの隣に一人分でいいから、疲れた人が
休める場所を作ってやるのが良い。

2017年5月17日 (水)

動物愛護センターのわんこ

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動物愛護センターのわんこ。家の近くにあるので
たまにこうして見に行く。いつでも見ることができる。
ただし引き取り手がいないと処分されてしまう。
左から二番目のわんこがちょっと潰されてかわいそうだが可愛い。

ブルーローズ

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何年か前に作った、ブルーローズと
スプレーバラとアイビーとカスミソウのアレンジ。

アイビー(ヘデラ)はいつでも使えるように、
何種類か庭に生えているので、それを引っこ抜いて使います。
ブルーは色を合わせるのがとても難しい。

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流木をちょっと使うと荒々しくなってかっこいい。
流木は熱帯魚を扱うペットショップとかに売ってる。
田舎なら川で拾ってくる。

朝日新聞の記事

おそれ多くも私が会長代行として運営のお手伝いをさせて頂きました
第二師団戦友会の模様が、朝日新聞の記事になりました。
 
戦友会で交された数々お話しは短い記事で
表せないほど深いものがありますが、

この記事を書かれた大久保さんという
女性のベテラン記者の方は

なんと、一年半にもわたり、会に足を運んで頂き、
長期の密着取材でございました。感謝申し上げます。
  
https://soranokakera.lekumo.biz/photos/02/dscn04282.jpg
 

2017年5月16日 (火)

地獄の一丁目

宅配便の営業所へ行ったら
母の日の直前で大忙し。荷物がボックスからはみ出て
山積みになってました。

荷物が期日内に届かない可能性があるとのこと。
 
前のお客さんは「早く届かないと困る」と言ってましたが、

 
私は繁忙期に某宅配便屋さんの都道府県ベース店で
バイトしてたことがあるので
繁忙期の地獄のような忙しさはよく理解できます。
 
都道府県ベース店は最も規模の大きな物流拠点で
その都道府県に配られる全ての荷物が集められます。
そこからトラックで各市町村の営業所へ分配される仕組みです。
(市町村の営業所でも働いたことあります。同じ自給なら
絶対こちらが楽です。都道府県ベース店は地獄)

 
都道府県ベース店へ運ばれてくる荷物には営業所コード(番号)
シールが貼られていて、それを見分けて、何番は〇〇市、
何番は××市、などと区分けしていきます。
 
勤務は夜10時から朝6時まで。

 
深夜、大型トラックがベース店に到着すると、

強制的にベルトコンベアが動いて、仕分けする荷物が流れてきます。
 
このベルトコンベアが無慈悲で。
 
自分の持ち場(若く体力のある者ほど最上流に配置されますが)で

担当地区の荷物を死守します。目を光らせ
百人一首の札のように、次々、受け持ちの荷物を取っていきます。
小さな箱ばかりではありません。園芸品など大きいですから
ガバっと、倒れ込むようにとびつき、あとは後続の者に
ズルズルと引き寄せてもらいます。ベルトコンベアに
待ってとは言えません。
もう、次の荷物が来てますから
繁忙期はごちゃごちゃと重なってます。 
 
最悪荷物にタッチして「コレは俺の地区のだ!」と
意思表示すれば、
バックアップの者が取ってくれることもあります。
自分がコンベアに乗って流れていきそうな勢いで身を乗り出して
やってます。
特に重いのが冷凍のカニ、長くて扱いにくい
新巻鮭などです。紐がついているとありがたいですね。
アレを掴んでグっと引き寄せていけますから。
 
たまーに「精密模型!扱い注意」などと赤字で
大きく書かれているのを
一瞬チラっと見たような・・・・?
大きく書いてあると、少しは目に留まるので、ラフはラフでも
ちょいと優しい目のラフになります。大切に
運びたい方は大きく赤い字でその旨書くと良いかもしれません。 
(いやそもそも繁忙期に破損し易い大切な荷物は送らない方が・・・・) 
 
取り逃がした荷物は、コンベアが停止した隙に
最下流まで取りに行かなければなりません。最下流には
怖いベテランの女の先輩が待っていて「なんで取り逃したんだ
バカ早くしろ」と
怒鳴ってきます。それに繁忙期、
コンベアはほとんど止まることは
ないのです。
夜10時から朝4時、5時くらいまでは流れっぱなしです。

 
もう体力の限界ですが、ベルトコンベアは恐ろしい。
休めませんものね。
 
私の足元では、お歳暮の高級ハムが箱から中身が出ちゃって
そのままデロデロ溶けながら、朝を迎えます。
誰も拾えない、拾う余裕などない。
 
荷物は破損弁償扱いになりますが、壊したからと言っておとがめを
受ける
ことはありませんでした。これはもう割り切っていた。
それよりも迅速さを欠くほうが責められた。
 
だから言いたいのは、梱包は厳重にしてください。
 
休みたくても休めない、スピードアップするベルトコンベア。

 
全ての仕分けが終わって、
朝6時までに営業所行きのトラックに仕分けのボックスを積んだら
おしまいです。トラックの運転手さんは運転手さんで
時間に遅れると大変ですから、私に早くしろ早くしろと

言います。朝6時の出発時間は死んでも守れ!
  
全国単位ですけど年に一人くらい、荷物に潰されて
本当に人が死にます。私も怪我して労災認定受けたんですけど
手続きが慣れていてスムーズでした。
 

で、そこから各営業所へ運ばれて、営業所では
家庭へ配達されるバンに、さらに細かい町名ごとに仕分けされて
のっけて、最悪遅くても8時には出発するかな。
 
すっかり明るくなって、帰って寝たら
またすぐに夜が来ます。
  
物流は命懸けであります。
あまりスピードを求め過ぎると
犠牲者が出ます。どうか大目に見てください。

2017年5月15日 (月)

タンクローリーが好き

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私、タンクローリーが大好きです。
特に出光のカラーリングが一番のお気に入り。
  
運転しているとなかなか写真が撮れないのですが
たまたま信号待ちで出光ローリーさんゲット。
   
下の写真は鹿児島空港で撮影したタンクローリーの王様、
レフューラー。(もしくはリフュエリングカーともいう)
飛行場内での運用のため、車検取得の必要が無く
艤装品等の制限がない。よってゴチャゴチャして
とても素敵。

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このマシーンで出光のバージョンがあるのですが撮り損ねました。
軍用のレフューラーもいいですね。
  
大型バイパス沿いか、貨物ターミナルあたりで張り付いていたら
良い写真撮れそう。タンクローリーの同人誌が出したいです。

2017年5月14日 (日)

エンストロムTH480

Th4802

エンストロムTH480を描きました。
宇都宮航空学校ブルーホーネット仕様。
 
2017年の展示飛行は5月28日(日曜日)
北宇都宮駐屯地にて行われます。
ぜひお越しください。
  
公式ページ
http://www.mod.go.jp/pco/tochigi/event/kitautu1.jpg

Kitautu1

ベルH13

A4

海上自衛隊(もしくは警備隊)黎明期のお写真を
拝借してきました。ここはどこの飛行場だろうか。

かすかに山の稜線が写り込んでいるのがヒントになりそう。
昭和28~31年頃だと思います。鹿屋か浜松か?
 

機体はヘリコプター専門家の方によれば
ベルH-13とのことです。
 
こちらは私が鹿屋で撮影したベル47。
ヘリコプター、当時はオートジャイロと呼ばれていたかな。
それの最初期の機体です。

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2017年5月12日 (金)

お月様

昨夜は満月でした。この時期の満月は特別です。
田植え前の鏡のような水田にお月様が反射しますから
眩しいぐらいに明るい。畦道を歩くと眩しいお月様の光で
自分の濃い影ができるのです。遠くの景色まではっきり。
  

しかし残念ながら昨夜は曇り。
 
お月様といえば、落後・目黒の秋刀魚で次のような枕があります。
(これは秋の話ですけど)
 
以下はお大名と侍従の会話です。
 

大名「これこれ、三太夫、今宵は満月であるな」
侍従「左様にございます」
「お月様は出ておるか?」
「殿、畏れながら申し上げます。殿は月は月と呼び捨てに願います。
敷島の道におかれましても月と一言にございます。」
「余がお月様とは、おかしいか」
「おかしゅうございます」
「では今一度、申し上げる」
「ははっ!」
「三太夫、月は出ておるか」
「一点隈なく冴え渡ってございます」
「星めらはどうじゃ?」
 
何も悪く言わなくたって良いのですけれど。
 
目黒の秋刀魚は古典落語の中でも傑作で
登場人物が、平和ボケした時代のお大名としっかり者の侍従。
このやりとりが憎めず、面白い。そして風情があります。

「目黒の秋刀魚に限る」いうのは落ちですけれど、
それに至るまでも様々なパターンが用意されていて
噺家によって違うのですが
 
浮世というものを良く知らないお大名が、侍従に
「下肥で育てた野菜は美味いと」聞かされ
鉢を差し出して「苦しゅうない、かけてまいれ」と
耳を疑うような事を言ってみたりと、
とんでもないギャグを連発してくれるのです。

2017年5月11日 (木)

こだま号

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こだま号に乗って静岡県の新富士というところへ行ってきました。
熱海のトンネルを数本抜けるとお出ましになる富士山を拝む。

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新富士の駅はこだま号が一時間に二本停車します。
ひかり号やのぞみ号が停車する駅と違い
のんびりしていて良い雰囲気でした。

2017年5月 9日 (火)

6月3日(土曜日)府中基地祭

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府中基地祭にて、航空自衛隊航空中央音楽隊が
「飛行第244戦隊歌(飛燕戦闘機隊歌)」を
はじめて演奏します。
 
基地の広報さんに確認したところ

演目にはありませんがアンコールで演奏するそうです。
午前か午後か、まだ未定。
私も会場に居ります。
 
急遽変更となる場合もありますので
ご容赦くださいませ。

2017年5月 6日 (土)

並べてみる

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公園のベンチ。同じ時間、同じ場所で撮影。
上がNikonのコンパクトのAFで
下が一眼のAF。
ここまで綺麗に撮れるならもう大満足です。

ついでに

ついでに近くをカシャカシャ。

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Nikonのコンパクト

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記録用にNIkonのコンパクトを購入しました。
F2.8まで設定可能なのはこれだけです。
 
早速、試し撮り。

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通りすがりのカエルさんにモデルになってもらいました。
マクロ撮影に最適な感じです。まだ使い方がわからず、
AFのみで、マニュアル設定できればもう少し綺麗に撮れるかも。

2017年5月 4日 (木)

環水平アーク

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環水平アークです。
午前11時20分頃、南東の空に現れました。
ちょうど300ミリを持っていたので一枚撮りました。

 
環水平アークは虹とは異なる、珍しい気象現象です。
太陽の角度が58度以上の条件下で大気中の氷晶に光が屈折して
起こります。
 
虹との違いは、直線で根元が無く、太陽と平行か、やや反った形で
現れます。根元がないので、空をよく見ていないとなかなか
気付かないかもしれません。

管制塔

先日、自衛隊の基地見学で
管制塔の業務を見学させてもらいました。
 
見習いの管制官が女性の方で、妊娠中(臨月に近い印象)でした。
もちろん、後ろで正規の方がちゃんと補助しています。
 
男女平等、やりたいことを続けたい、それはとても良いことだと
思うのですが、自衛隊なので、戦場ですよね。
戦場に身籠った女性が居ることについては
少し、いたたまれない気持ちになります。

こうあるべき、と意見が言いたいのではありません。
妊娠しても働き続けるのは、とても尊敬します。

でも、いたたまれない、と感じてしまうことも、
私の正直で自然な気持ちです。
 

自衛隊の規則が今年から変わって、女性でも
戦闘機パイロットにも志願できるようになったそうです。
男女均等はいいけれども、戦闘機パイロットのように体を酷使したら
子供は諦める覚悟がいるんじゃないかな。

先祖供養

お彼岸と田植えの時期のお墓参りといえば、
思い出したんですけど、
 
アルファークラブの営業の人が訪ねてきて
「おたくの菩提寺はお布施が高い!」とスバリ言うんですよ。
 
いきなり不思議な事を仰るなと思ってたんですけど、
お話を色々うかがううちに、先祖供養のありかたについて
本当に勉強になりました。
 
本を書いている間は、画像とツイッター的な
短文をひたすら書いていきます。

公園の滑車

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赤いトラス

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川治ダムの放水

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金谷ホテル

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東照宮美術館

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杉並の旧街道を行く

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2017年5月 3日 (水)

日光連山

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雨上がりの翌日、空気が澄んでいます。
中央が男体山、右に女峰山、左奥の真っ白い峯が
日光白根山。

 
ここ宇都宮から日光市街地まで40km。いろは坂を上って、
中宮司(中禅寺湖畔)まで50km。戦場ヶ原を抜けて、奥日光
湯本温泉から、片品村へ抜ける標高1800メートルの金精峠は
例年通り、除雪が終わって、大型連休前に合わせて開通。
これで群馬県へ抜けられるようになります。