JR山手駅から歩いて2、3分のところにある
「横浜根岸外国人墓地」を訪れた。
住宅街を見下ろす丘の上にあり、閑散としている。
もともとは横浜外国人墓地が手狭になったの折、ここ根岸に新設されたもので
関東大震災で犠牲となった外国人を埋葬したほか、船員など異国の地で
亡くなった名前のわからない者も多い。墓石は多様である。
ここに横浜の裏の歴史がある。
この慰霊碑は片翼の天使を象ったもので、飛べなかった天使
すなわち生きることを許されなかった嬰児を表現している。
横浜は1945年の敗戦以降、アメリカ軍の進駐によって
面積の大部分を接収され、混迷の時代が始まった。
アメリカ軍兵士による日本人女性に対する性的犯罪が横行し
望まれない混血児が多く誕生した。
こうした嬰児は20万人ともそれ以上とも伝えられているが
戦後混迷も相まって、現在でもその事実について
自治体は明確な言及を避けられている。
慰霊碑や周辺に明記は無い。
しかし集められた証言によると、ここに埋葬された嬰児の数は
800から900と言われ、横浜外国人墓地に夜中遺棄される事も日常であった。
さらに朝鮮戦争の特需によって活気沸いた横浜の街であったがこれは裏の姿である。
風紀は乱れ、生活の術を身を売ることでしか得ることのできなかった日本人女性が
娼婦となって現れ、ベトナム戦争の終結まで続いた。
墓地を歩くと時折、風で舞った落ち葉の擦れる音が耳に残る程度で
あとは自分の足音だけが響く。駅前の喧騒が嘘のようだった。
市営であるため、墓守によって掃除が行き届いているものの
横浜外国人墓地とは様相がまったく異なり、訪れる者は皆無で
その存在は地元でも薄れたものになっている。
名も無き天使たちの安息を祈る。
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