陸軍航空戦隊のデータベース
海軍航空隊は、全ての部隊がウィキペディアでも
書かれているくらい充実しているのですが、
陸軍の航空戦隊は有名な部隊を除いて
ほとんど知られていません。そこで一仕事。
検索して見つかるよう、
陸軍の航空戦隊データベースを作成しています。
概略だけでも完成に近付けたい。
海軍航空隊は、全ての部隊がウィキペディアでも
書かれているくらい充実しているのですが、
陸軍の航空戦隊は有名な部隊を除いて
ほとんど知られていません。そこで一仕事。
検索して見つかるよう、
陸軍の航空戦隊データベースを作成しています。
概略だけでも完成に近付けたい。
元戦車第二連隊でイリサンの戦車特攻に参加された
中山誉雄さんにお目にかかりました。
中山さんは戦車特攻と数々の玉砕戦に
参加し生還。若獅子語り部の会
『16歳の戦車兵』の御著書で、有名な方です。
昭和19年、11月、中山さんは
ヒ81船団所属の揚陸艦「神州丸」に乗船し、フィリピンへ向かいます。
ヒ81船団は陸軍空母「あきつ丸」海軍空母「神鷹」、高速タンカーと
揚陸艦等で編成されておりました。
途中、船団は米潜水艦スペードフィッシュの雷撃を受け、
隣を航行していた空母「神鷹」が被雷沈没。
神鷹が犠牲になったので、神州丸は助かったと、中山さんは
殊、回想されておりました。
その後、大東亜戦争では陸軍初の作戦となる戦車特攻に志願。
これが陸軍の戦車史に残る『イリサンの戦車特攻』です。
「特攻作戦であることは知らされておらず、察するとどまった。
当時、16歳の戦車兵、お国の為という考えも特に浮かばない。
いかにして少ない戦力で敵に大きな打撃を与えるか
戦術的なことをだけを考えていた」との由。
以下は概略であります。
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戦車特攻を目前に控え、山下奉文大将より直々に杯を受ける。
ダイナマイトの箱を車体にくくりつけた
九五式軽戦車は、イリサンの狭い山道を前進。
このとき中山氏は砲塔の後ろに乗っていた。
特に申し合わせは無かったが、我々の戦車が橋を通過すると、
工兵隊が橋を爆破した。
「たいしたものだ!」と思った。
これで敵の進軍は阻止された上に
我々は後戻りはできず、突っ込むのみである。
我が戦車隊は敵の死角となるカーブの藪に隠れて、待ち伏せする。
連合軍も同様に、車両一台がようやく通れる
狭い山道を、M4戦車を先頭に一列縦隊で進攻。
先頭は戦車隊、後方から歩兵と兵站が続く。
機会を伺っていた、我が戦車隊は死角から奇襲突撃。
敵M4戦車に体当たりし自爆した。
戦友は全員戦死。中山氏は天蓋が吹き飛ばされた際に
振り落とされ、奇跡的に無傷。
作戦は成功した。この突撃でM4戦車を二両を崖下に突き落とし、擱座させる。
戦車二両といえども、狭い山道で奇襲を受けた連合軍の大部隊は
進軍を停止。車両の撤去に一週間を要した。
この間、多くの日本陸軍将兵の転進を後押しする結果となった。
かくして成功したイリサンの戦車特攻は
散華した11名勇士の功により
多くの陸軍将兵の命を救った。

平成30年、あけましておめでとうございます。
新年は4日から営業開始となります。
メール等の返信は4日以降となります。
三が日はこちらの犬の絵を見て
お過ごしください。
よろしくお願い致します。

カイオオ堂、ネイモーハン氏不眠不休の尽力を
賜りまして完成致しました。
31日、空のカケラスペースにてお披露目致します。
どうぞよろしくお願い致します。
毎日新聞に杉野さんの記事が載っていました。
こちらです。
「太平洋戦争 悲惨さ語り続けた杉野さん死去 元少年飛行兵」
https://mainichi.jp/articles/20171217/k00/00e/040/188000c

神雷部隊の桜花搭乗要員、佐伯正明さんにお目にかかり、
お話を伺いました。
神雷部隊は、一式陸攻にロケット特攻機「桜花」を吊り下げて
必死の特別攻撃を敢行する飛行隊です。
桜花のパイロットは特攻作戦の前に、K-1と呼ばれる桜花の練習機を用いて
一度だけ訓練を行います。訓練では実戦同様、親機である一式陸攻に吊るされ、
規定の高度まで上昇し親機から分離、自由落下後、グライダーとなって旋回。
ソリを使って着陸します。
佐伯さんは、旋回中に失速、不時着。
負傷し、実戦前に終戦を迎えました。
今回は、主に一式陸攻から
桜花(K-1練習機)に乗り込む手順や、そのときの状況の
お話しを伺いました。
一式陸攻の床下から桜花に乗り込むと、目の前に計器は8つ。
桜花を切り離すメーンスイッチは一式陸攻側にあり電話連絡ののち
分離し滑空します。
実際の桜花に乗って生還された方は一人もいません。
しかし、乗り込んで滑空するまでの手順はK-1も同じですので
桜花特攻を知る上では、実に貴重な証言であります。