令和元年11月23日、水戸歩兵第二連隊・ペリリュー島慰霊会ではペリリュー島の玉砕の日(11月24日)に合わせて今年も茨城県護国神社にて慰霊祭が執り行われました。 永井敬司さんのご逝去により、ついに今年をもってペリリュー島で戦った戦友会員がゼロとなりました。今後は、遺族と崇敬者のみでの運営が大きな課題となります。
アンガウル玉砕戦生還者最後のお一人、倉田洋二さんがご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。痛恨の極みです。 生前、私にポツリと漏らされた言葉が心に残っています。 「僕はね、靖国神社へ行けないんだよ。自分だけ死に損なって戦友にどんな顔をしたらいいか、申し訳なくてね。」
松戸飛行場より出撃する飛行第18戦隊震天制空隊の飛燕
隼の二型ができました。これで全部揃いました。尾翼の矢印は加藤隼戦闘隊で有名な飛行第64戦隊です。
終戦間際、雑餉隈(ざっしょのくま)で完成した戦闘機。その名は「震電」 製造した九州飛行機の工場は雑餉隈にあり、その敷地は12万坪。蓆田飛行場(現在の福岡空港)にほぼ隣接である。
今日のイラストは隼の三型です。知覧の屋外に展示してある「俺は君のためにこそ死ににいく」で使われた機体と同じ振武隊仕様です。片翼に増槽、片翼爆装、涙が出ます。
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天野さんのお話を元に再現しました。高度計はマイナスを差していたそうです。
飛行予備学生13期で、一式陸攻機長兼メイン操縦員だった、田中修元中尉が亡くなられました。96歳でした。 田中中尉の原稿は現在執筆中ですがご高覧頂けなかったこと、誠に悔いが残ります。 田中中尉のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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