2013年3月20日 (水)

硫黄島を守備する自衛隊員

硫黄島
 
 
硫黄島
 
 
 ここが日本の最前線なのだと実感がわく。在島自衛隊員は表情こそ穏や
かだがいずれも肝の据わった兵ばかりだ。私はその精鋭某部隊を育成する
在島教官から、次のような話を聞いた。
 
「 精鋭部隊志願者の採用基準は体力や精神力ではない。それは次第に身に
付けるものであり、先ずは、お父さんやお母さんを大事にしていますか?
といった旨を尋ねる。家族を愛する気持ち、それは国を守ることに等しい」
栗林中将の思いを受け継いでいるようだった。

2013年3月16日 (土)

南洋フルーツいろいろ

パラオには美味しい果物、フルーツがたくさんございます。

 
中でもどこの庭にも生えていて一般的なのがパパイヤなんですが
少々クセがあるので、好みがわかれるところです。
甘味はとても高いです。成長が早いのも特徴。
収穫の際にはまだ青いうちに棒でつついて落とし、追熟させます。
スーパーマーケットでも手に入りますが・・・そこらじゅうにあるので
ローカルの方たちはあまり買わないと思います。
 
実が大きくなるように様子を見ながら間引きをします。
間引いた未熟な実は捨てず、千切りにしてサラダにします。
葉っぱも大きいので魚料理のさいにお皿として使ったりと
捨てるところがありません。
 
007
 
20100206_249
 
そしてこちらがバナナ。
同じく青いうちに収穫して追熟させます。
黄色くなるのを待っていたら虫に食われてしまうからです。
 
「轟沈」という唄の節で
『可愛い魚雷と一緒に積んだ 青いバナナも黄色く熟れて』
という歌詞が有名ですね~。
 
Imgp5006
 
最後にコプラの実です。
蛮刀で割って、中身のジュースを飲みます。
ココナッツの甘い味がします。街のストアーでジュース類と同じく冷蔵庫の中に
陳列されており購入できます。
 
20100206_244
 
20100206_246
 
20100206_247
 
最後に割って実を食べます。この白い部分が果肉です。
甘くカロリーが高く、昔は貴重な栄養源でした。
 
20100206_248

スコール

南洋のスコールは凄まじいものがあります。

戦闘中にスコールが来ると両軍ともに一旦中止したと
ペリリューの戦記にも記されております。
写真では伝わりにくいのですが、実際に初めて経験すると驚くでしょう。
 
Cimg1039 Cimg1037

2013年3月11日 (月)

石巻の桜

津波の1ヶ月半後、石巻と東松島へ復興支援の為、赴きました。
ここは石巻市内の小学校です。この場所も津波で冠水しましたが
それでも桜は開花し、綺麗だったので写真を撮りました。
奥に写っているのは陸上自衛隊の軽装甲機動車です。
 
24193482_1091225164_237large

2013年3月10日 (日)

ペリリュー島の台風被害

P2240396a

-
P2240385aP2260436a
-
P2240380aP2260439a
-
P2260442aP2260431a
-
被害甚大です。二月中旬に渡航した仲間が写真を撮ってきてくれました。
島南端の平和記念公園の様子です。この場所のみ外洋に面しており
高潮による被害が甚大です。巨木すら根元からもぎ取られ流されていまっています。
さらに島内道路の各所が倒木により寸断された箇所が多く
慰霊碑の修理は厚生省の管轄ですが道路は管轄外です。
重機すら無いこの島ですから復旧のめどが立たない状況です。
-
台風は島の東から接近し、北部の州事務所は30センチ冠水。ケイボーストアと
マユミインはキッチンと食堂の屋根が全て吹き飛ばされており、修復中です。
内陸部のジャングルも木々が倒れており歩行困難。
中山の東側は特にひどいものでした。
-
島民は日本軍が築いた強固な洞窟へ避難していました。
今回幸いだったのはパラオにおいては人的被害が皆無だったことです。
(この台風はパラオからフィリピンへ進み、1800名以上の死者行方不明者が出ました)
-
全てを外洋に囲まれたアンガウル島はさらに被害甚大
壊滅的との報告も入っています。

2013年3月 1日 (金)

硫黄島/蒼穹の旭日旗

硫黄島 硫黄島
硫黄島 硫黄島
 
窓から見えるのはエンジンカウルにマーキングされた

ステンシルくらいで景色は望めない。むき出しの配線や機器類。
私たちは吊り床のような輸送機の席に横並びで座っている。
フラップ作動による油圧音が鳴ると身体 が浮き上がる感覚を覚えた。
高度を下げているのだろう。

吹雪の入間基地を離陸してニ時間四十分、衝撃も感じないままに
輸送機は着陸したようだった。機体が停止するとリヤゲートが縦に開き
差し込 んだ光に目が眩む。

二月の硫黄島は内地の初夏を思わせる風と太陽が実に心地よく
蒼穹に掲げられた旭日旗が映える。輸送機から降りた私たちはエプロンを歩く。
陽炎立ち上る滑走路からの照り返しが眩しく、肌を差す。
半袖の制服を着た航空、海上各自衛隊員の出迎えを受けた。

飛行場からマイクロバスに乗り換えて島内道路を行くと遠くに摺鉢山を 望む。
当初、もっと殺風景なところだと想像していたが、その違いに驚いた。
火山島で半砂漠といえども、背は低いが木々が生い茂り
緑の美しい島という印象だった。

それにしても決して穏やかな雰囲気は無く、隆起し荒々しく切り立った
崖の先は、深々とした群青の海原が広がり、それは生まれて初めて見る
海の色だった。遮るものがない絶海の孤島は見渡す限りの水平線で
遥かに北硫黄島、南硫黄島を望む。

2013年2月18日 (月)

硫黄島帰還報告・英霊に奉げ銃

硫黄島硫黄島
硫黄島硫黄島

 その日も朝から青い空だった。

「兵隊さん、長い間お疲れ様でした さあ、ふるさとへ帰りましょう」

私はご遺骨を抱いてエプロンを歩く。陽炎立ち上る硫黄島基地滑走路では

在島隊員による「奉げ銃」そして音楽隊の「 海行かば 」で 内地へ帰還する英霊を見送る

儀式が行われた後、輸送機に搭乗、百十七御柱の英霊と共に故郷へ向けて硫黄島を後にした。

ご遺骨を抱いたまま数時間、やがて輸送機は曇天真冬の入間基地に着陸した。

ここで輸送機から大型バスに乗り換え千鳥ヶ淵墓苑へ向かう。

滑走路から隊門までの道を千二百人の自衛隊員が直立不動、敬礼して並び英霊の

帰還を迎えた。雲の晴れ間から富士山が見える。大型バスが交差点を曲がると

横断歩道の信号待ちをしている若者の姿に 今日の日本を垣間見た。

最前線の自衛隊基地の緊迫感と 英霊の悲しみ。ここは本当に

同じ日本なのだろうか。

2013年2月 4日 (月)

硫黄島派遣

明日から硫黄島派遣です。
民間人は原則立入禁止なので
なかなか立ち入ることが出来ないのですが
今回、念願が叶い渡航が実現しました。

こちらの飛行機に乗せてもらい連れて行ってもらいます。
航空自衛隊が誇る戦闘機動輸送機C-1です。

では行って参ります。

6a0120a4fad5df970b017c368c0344970_2
 

2012年10月31日 (水)

アルマテン砲台

0731_024

0731_013

0731_010

Imgp7677

アルマテン海軍砲台
安式四十口径十五糎速射砲(アームストロング式40口径15cm速射砲)
呉海軍造兵廠~明治36年~15サンチ速射砲

旧朝日村西に位置するアルマデン海軍砲台は、西水道を望む
高台に設けられ
トーチカに格納された砲が当時のまま残されている。
西水道は、外洋とコロール環礁内を繋ぐ交通の要衝で
最少幅110メートル、全長8.5キロに及ぶ狭水路であった。
 

アルマテン海軍砲台は、この狭水路に進入する敵艦艇に対し照準し
迎え撃つ構えであったが、
米軍はパラオ南端のアンガウルおよび
ペリリュー島攻略で大損害を受け
パラオ本島の攻略を中止。
兵糧攻めに徹した結果、砲台が活躍する機会なく終戦を迎えた。
 

海軍はこのほか、マラカル、アイライ、コイグルの各地に砲台を
設置し敵艦艇の侵攻に備えた。
 

※トーチカ格納の一門以外は戦後此処へ運ばれたもので
原型をとどめたものが三門と、解体され砲身のみとなった
二門が茂みに残されている。

6a0120a4fad5df970b017ee49a12c5970d

2012年10月17日 (水)

アンガウルの戦火に巻き込まれた少年

6a0120a4fad5df970b017c3295e4d0970_2

アンガウル平和慰霊公園に建つ少年の像です。
芸術家の戸田和子先生の作品です。

先日、戸田先生の展覧会が宇都宮で開催され、その折
ご本人とお会いし、製作の経緯を伺って参りました。

アンガウルの戦火に巻き込まれ亡くなった実在の
民間人の男の子をモデルにしました。

戸田氏のお話によると当初は男の子一人をデザインしていたのですが、
とても寂しそうだったので、手に飛行機の玩具を持たせてみたのですが
それでも寂しそうだったので、背後にお姉さんを立たせたそうです。

そして「日本はどっち?」とお姉さんに尋ねているところです。
指差す先に日本があります。

写真は小玉氏(甲種予科練十二期)提供です。