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2019年1月21日 (月)

東京ローズとP-51D

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東京ローズ (B-29/F-13のパーソナルネーム)と
P-51D、ジョージ・プレディ少佐機を描きました。
 
P-51D ジョージ・プレディ少佐機
ジョンC.メイヤー将軍より「彼は完璧な戦闘機パイロットだった」
と回想される米国空軍のトップエース。ノースカロライナ州グリー
ンズボロ出身。少佐はもともとは「納屋のパイロット」でした。
(農薬散布の自家用飛行機のパイロットの意)
当初海軍のパイロットを志しましたが、身体的理由で三度落選。
その後、空軍のパイロットを受験して合格。

プレディ少佐は初陣となるダーウィン空襲邀撃で
2機の日本海軍機を撃墜しました。
 
その後、P-74とP-51を交互に飛ばしながら
欧州戦線の第352戦闘隊に転属となります。
欧州戦線ではドイツ空軍と空戦を行います。
その間にもスコア(撃墜数)を重ねつつありましたが
ドイツ降伏の直前となる12月25日、友軍の誤射によって
戦死しました。
 
B-29(F-13)TOKYO ROSE
このB-29は19年11月に初めて帝都上空の単機侵入を敢行した機体で
厳密には偵察機型であるF-13Aと呼ばれる型式で第3写真航空群の
機体番号42-93852、後に「トーキョーローズ」の
パーソナルネームで勇名を馳せた機体です。
 
B-29(F-13A)はサイパン島のアイズレイ(イスレイ)飛行場を
早朝に離陸。13時頃、房総南端に現れました。日本側の電波
警戒機は機影をこれをキャッチしていましたが、
今までしばしば南方から帰還する海軍の哨戒機があったので
それと思い込んでおり、対応の遅れを招きました。
 
14時、帝都上空に侵入したB-29(F-13A)は
高度9800メートルから写真撮影を開始。
 
第10飛行師団はただちに在空警戒中の武装偵察機および
戦闘機隊に出撃させましたが、届かず
B-29(F-13A)は千葉から東京、川越、太田を経て利根川を下り
九十九里浜から南方に退去。
好天で1000枚以上の写真を持ち帰りました。
後の関東地区の空襲に寄与する大戦果でした。
 
機長のラルフ・ステイークリー大尉とその部下は
その功績を称えられるとともに、新聞で大きく報道され
英雄となりました。(写真あり)
 
日本が帝都上空への敵機侵入を許したのは昭和17年4月の
ドゥーリットル空襲以来でした。
 
「東京ローズ」は機体のパーソナルネームとなります。
命名の由来は米軍向けの英語プロパガンダ放送をしていた
日本人女性アナウンサーの存在です。ノーズアートにも
想像図が描かれています。
彼らは、その美しい声の女性に「東京ローズ」と名付け、
日本を占領した暁には、この女性アナウンサーに会えると
考えていたそうです。
  
東京ローズを竹田大尉が飛燕で追撃したエピソードは
こちらの本も書いています。

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