独立飛行中隊一覧データベース
独立飛行第1中隊(あきつ丸)/対潜哨戒飛行隊
◆使用機種
九九式軍偵察機、三式連絡機
◆部隊史
三式連絡機8機をもって陸軍はじめての
航空母船あきつ丸を母船とし、朝鮮地域において
主として関釜連絡航路の対潜哨戒を実施。
◆編成/昭和19年7月20日海雲台
◆復帰/昭和20年8月15日、海雲台
◆歴代中隊長
神谷正男少佐
船舶飛行第2中隊/対潜哨戒飛行隊
◆使用機種
カ号観測機
陸海軍史上初となるオートジャイロ部隊。
航空母船あきつ丸での運用試験実施後
壱岐筒城浜飛行場
◆編成/昭和19年10月広島市宇品
◆復帰/石川県七尾において終戦
独立飛行第3中隊/戦闘機隊
◆使用機種
甲式四型戦闘機(ニューポール・ドラージュ NiD 29)
◆部隊史
飛行第四連隊で編成、第一次上海事変に派遣
◆編成/昭和7年2月
◆復帰/大刀洗昭和7年5月、事変終結により帰還
◆歴代中隊長
神谷正男少佐
独立飛行第3中隊/重爆撃機隊
◆使用機種
九八式軽爆撃機、イ式重爆撃機(フィアットBR.20)
◆部隊史
飛行第七連隊にて編成。天津旧飛行場に前進。
第一飛行団長の指揮下に入り、昭和12年9月の第一軍の
京漢鉄道沿線および山西省の作戦に協力。昭和13年はじめ
伊式重に機種改編。昭和13年8月15日、飛行第98戦隊に改編。
◆編成/昭和12年7月8日浜松
◆復帰/昭和13年8月15日、王賓飛行場
◆歴代中隊長
島谷亭大尉
独立飛行第4中隊/偵察機隊(満洲第691)
使用機種
九四式偵察機
◆部隊史
飛行第四連隊第一中隊を基幹として編成。12年7月27日天津に前進、
平津地区の戦闘に協力。滄州、保定、石家荘、徳州、済南に移動地上作戦に協力。
12年8月27日北京に移駐。永定河右岸地区の戦闘、山西省広靈の戦闘に参加。
其の後上海、南京方面に参戦常に地上兵団の耳目として活躍
編成/昭和12年7月15日大刀洗
復帰/昭和13年7月27日、安慶
◆歴代中隊長
神崎清大尉、田中正藏大尉
独立飛行第6中隊/偵察機隊
◆使用機種
九四式偵察機
◆部隊史
飛行第四連隊第二中隊を基幹として編成。
12年7月27日天津に移駐。平津地区の地上作戦に協力。
12年8月15日上海派遣軍に編入。
12年9月1日上海に移駐。第十軍の上陸後、
進撃開始と共に敵の退却部隊の捜索と爆弾による攻撃を徹底して行い、
第十軍司令官より感状を授与
◆編成/昭和12年7月23日大刀洗
◆復帰/昭和13年7月27日、安慶
◆歴代中隊長
河村考三郎大尉、押目音次郎大尉
独立飛行第7中隊/偵察機隊
◆使用機種
乙式一型偵察機(サルムソン 2)
◆部隊史
飛行第四連隊より編成
2年5月18日天津に派遣(山東出兵)
2年10月済南に移動
◆編成/昭和2年5月17日大刀洗
◆復帰/昭和4年5月17日原隊復帰
◆歴代中隊長
川添長太郎少佐
独立飛行第8中隊/偵察機隊
◆使用機種
乙式一型偵察機(サルムソン 2)、八八式偵察機
◆部隊史
飛行第六連隊より乙式一型、四機。八八偵、二機で編成。
関東軍司令官の指揮下に入り、奉天に前進、地上部隊の戦闘に協力。
6年11月11日平壌に帰還
◆編成/昭和6年9月19日平壌
◆復帰/昭和8年6月17日、平壌
◆歴代中隊長
平田辰男少佐
独立飛行第9中隊/偵察機隊
◆使用機種
八八式偵察機
◆部隊史
6年10月15日満州派遣
編成/昭和6年9月19日承徳
復帰/昭和8年6月17日関東軍
飛行隊飛行第10大隊に編入
独立飛行第9中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九五式戦闘機
◆部隊史
飛行第六連隊第一中隊にて九五戦十二機で編成。承徳に前進、
南口の守備隊が敵の増強により孤立し、
輸送機三十機による空輸挺身により敵の後方に当隊の
掩護の下に強硬着陸、南口の危機は回避された。
12年10月第二軍の石家荘作戦、更に第一軍の山西作戦に協力
◆編成/昭和12年7月 平壌
◆復帰/昭和14年2月、彰徳
◆歴代中隊長
鈴木五郎大尉
独立飛行第10中隊/戦闘機隊
◆使用機種
甲式四型戦闘機(ニューポール・ドラージュ NiD 29)
◆部隊史
甲式四型戦闘機八機で飛行第六連隊より編成。
関東軍司令官の指揮下に入り奉天に前進、
地上部隊の戦闘に参加。6年11月11日平壌に帰還
◆編成/昭和6年9月19日平壌
◆復帰/昭和8年6月17日関東軍飛行隊
飛行第11大隊第4中隊に編入
◆ 歴代中隊長
花沢喜美大尉
独立飛行第十中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九五式戦闘機、九七式戦闘機、一式戦闘機(隼)
◆部隊史
九五戦十五機をもって飛行第八連隊にて編成。王賓飛行場に前進。
12年12月3日大校飛行場攻撃、イ十六・七機を撃墜。
13年4月徐州作戦協力。13年9月漢口攻略作戦協力。
14年12月第百号作戦(蘭州進攻)の為運城展開。
16年5月中原会戦協力。16年12月4日広東前進、
16年12月8日大東亜戦争の開戦の第一撃で香港飛行場を急襲し在地10数機を壊滅。
第二十三軍司令官より感状授与。
第一次第二次淅カン作戦に参加。17年1月5日第十四軍飛行隊の隷下
◆編成/昭和12年9月6日ヘイトウ
◆復帰/昭和17年10月20日、漢口
◆歴代中隊長
安部勇雄大尉、木村清大尉、渋谷民雄大尉(戦死)、高月光少佐、森正幹大尉
独立飛行第11中隊/爆撃機隊
◆使用機種
九三式軽爆撃機
◆部隊史
九三式軽爆撃機十機をもって飛行第八連隊より編成。
12年10月16日上海方面航空部隊増強のため王賓飛行場に前進、
第三飛行団長の指揮下に入る。
12年10月17日大場鎭の敵陣地に対する爆撃を開始。
12年12月3日南京進撃戦において大校飛行場を爆撃。
その後句容を経て上海に移駐
◆編成/昭和12年9月6日ヘイトウ
◆復帰/昭和13年7月27日、安慶
◆歴代中隊長
野中俊雄大尉、前島美佐男大尉
独立飛行第14中隊/戦闘機隊
◆使用機種
◆部隊史
飛行第八連隊より編成。天津附近に進出
◆編成/昭和12年7月屏東
◆歴代中隊長
独立飛行第15中隊 爆撃
◆使用機種
九三式重爆撃機、九七式重爆撃機
◆部隊史
飛行第十四連隊において、九三重六機で編成、
第三飛行団長の指揮下に入る。12年10月王賓飛行場に前進、
敵陣地を爆撃。第百一師団の大場鎭占領に寄与。
13年5月九七重に機種改編。13年8月敵航空兵力封殺のため
戦爆四十八機で運城より西安に進攻し飛行機軍事施設を破壊
◆編成/昭和12年9月28日嘉義
◆復帰/昭和13年8月15日、王賓
◆歴代中隊長
滝昇中佐、野本重男少佐
独立飛行第15中隊/戦闘機隊
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
◆部隊史
沖縄において活躍
◆編成/昭和19年10月台中
◆歴代中隊長
独立飛行第十六中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式偵察機
◆部隊史
飛行第三大隊より編成。漢口攻略戦の第二軍に協力。
航空兵団長より感状を授与。14年5月南苑にて航空兵団直轄となり
奥地進攻のための偵察に従事。15年4月第三飛行集団司令部の
直轄として奥地の偵察に従事、第百一号作戦に寄与。
16年8月第百二号作戦にて四川省方面の敵情捜索遂行
◆編成/昭和13年8月1日
◆復帰/昭和16年9月20日、彰徳
◆歴代中隊長
衣川悦司大尉、竹下光彦大尉、大平英夫少佐
独立飛行第16中隊/司偵防空戦闘機隊(燕第18999)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
中部軍管区にて内地防空作戦に参加
◆編成/昭和19年7月30日大阪
◆復帰/昭和19年9月15日、児玉
◆歴代中隊長
武藤廣喜大尉
独立飛行第十七中隊/直協
◆使用機種
九二式偵察機、九八式直接協同偵察機
◆部隊史
飛行第三大隊より編成。漢口攻略戦に協力。
14年3月第三飛行団長の指揮下に入り、第十一軍の南昌作戦に協力
◆編成/昭和13年8月1日
◆復帰/昭和15年9月3日飛行第44戦隊に編入
◆歴代中隊長
釘宮清重大尉、河村宗彦大尉
独立飛行第17中隊/司偵防空戦闘機隊(帥第34214)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
東部軍管区内で内地防空作戦に参加
◆編成/昭和19年3月31日調布
◆復帰/昭和19年9月15日調布
◆歴代中隊長
北川禎佐大尉
独立飛行第18中隊/司偵防空戦闘機隊(隼第2383)
◆使用機種
九七式偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
司偵としては最古参。13年3月?13年8月北支方面遠距離捜索。
13年9月-12月漢口攻略作戦協力戦略捜索。
13年12月第一飛行団長の指揮下に入り、奥地進攻のための偵察。
14年1月?2月奥地航空進攻作戦(重慶、蘭州)の捜索。
14年4月飛行第四十四戦隊に編入。15年9月再び独立飛行第十八中隊に復帰。
15年10月ハノイに移駐海軍航空隊のビルマ、ルート及び
昆明等奥地攻撃のための捜索に協力。
16年4月台湾を経て漢口に移駐重慶地区及び奥地飛行場群を捜索。
16年9月広東に前進桂林その他の飛行場群の攻撃。16年12月香港攻撃作戦。
17年3月ハノイに移駐、昆明等奥地飛行場群の捜索及び仏印作戦。
17年8月漢口に帰還。奥地進攻作戦(重慶衡陽零陵等)の攻撃に参加。
粤漢作戦のため漢口?広東間の航空写真撮影実施。感状四回受賞
◆編成/昭和13年2月中国
◆復帰/昭和19年10月31日漢口
◆歴代中隊長
古林忠一大尉、荒蒔義次大尉、片倉怒大尉、青木秀夫大尉、児玉眞一大尉
独立飛行第19中隊/司偵防空戦闘機隊(靖第21204)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
西部軍管区内の防空作戦に参加
◆編成/昭和19年7月30日小月
◆復帰/昭和19年9月15日、小月
◆歴代中隊長
自在丸庫一少佐
独立飛行第20中隊/輸送飛行隊(威第15382)
◆使用機種
百式輸送機(MC輸送機)
◆部隊史
18年6月23日新田原出発、ソロモン、ニューギニアを経て、
19年6月20日飛行第七師団長の隷下に入り主力はネグロス飛行場、
一部はアンボン島リアン飛行場に移駐。
12月25日バンバン、メナド、クラーク飛行場を経て
マニラ東飛行場に前進、ネグロス夜間空輸。
20年5月28日台湾、比島等を経てビナバック到着警備輸送に従事
◆編成/昭和18年5月15日
◆復帰/5月30日比島にて復帰
◆歴代中隊長
大石秀次大尉
独立飛行第23中隊/戦闘機隊(誠第41)
◆使用機種
三式戦闘機(飛燕)
◆部隊史
2月17日台湾ヘイ東に前進、要地防空と台湾及び南西諸島に於ける
防衛戦闘に参加。10月30日台中に移動要地防空。12月28日ヘイ東に
帰還要地防空。20年2月28日花蓮港に前進、台湾及び南西諸島に
おける天号作戦に参加、その後花蓮港において戦力回復
◆編成/昭和19年1月20日大刀洗
◆復帰/9月2日花連港にて停戦
◆歴代中隊長
馬場園房吉大尉
独立飛行第24中隊/戦闘機隊(誠第16500)
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、三式戦闘機(飛燕)
◆部隊史
飛行第五十四戦隊第一中隊を基幹として編成。
19年3月1日パレンバンにて、防空任務に従事。
19年9月30日フィリピン転用ファブリカに進出、
船団掩護及防空に任ず。20年3月2日スマトラ島マナ、
タンジュンパト、ベトンに移駐。5月30日帰還。
7月17日台北経由宣蘭着
◆編成/昭和19年2月29日広東
◆復帰/8月15日宜蘭にて終戦
◆歴代中隊長
菊地幹二大尉(戦死)、岩本繁明大尉
独立飛行第25中隊/戦闘機隊(羽第16682)
◆使用機種
二式複座戦闘機改(屠龍)
◆部隊史
鞍山において南満防空に従事
20年8月5日一部を湯崗子羽攻撃飛行隊に派遣。
20年8月11日日ソ開戦熱河省林西方面敵機械化部隊攻撃。
20年8月15日ソ軍白城子トウ南方面戦車群攻撃
◆編成/昭和19年8月25日鞍山
◆昭和20年8月15日、終戦
◆歴代中隊長
永井要大尉、池田忠雄大尉、松本武夫大尉
独立飛行第31中隊/重爆隊(威第18902)
◆使用機種
九七式重爆撃機
◆部隊史
飛行第五十八戦隊の一中隊が航空通信学校で電探中隊に改編。
隊長以下五十名空中輸送にて南方移駐。
地上部隊は白石中尉以下百九名船舶輸送で移動。
19年11月3日比島バンバン結集。
20年1月14日空中部隊台湾前進、地上部隊北部ルソン移駐。
20年2月13日地上部隊ツゲガラオ到着。
20年3月10日第三十六航空地区司令部の指揮下に入る。
20年5月1日臨時歩兵第二十二大隊に編入
◆編成/(2)昭和19年6月20日水戸
◆昭和20年5月30日比島復帰
◆歴代中隊長
藤井一夫大尉
独立飛行第41中隊/襲撃・対潜哨戒機隊(誠第16683)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
関東軍臨時襲撃中隊を改編。第五航空軍の指揮下に入る。
19年11月30日上海に前進、同地において東支那海の
対潜哨戒に参加。20年3月25日第十方面軍の指揮下に入り
台北に移駐その後台北、台南、宣蘭等において南西諸島の作戦に参加
◆編成/昭和19年8月20日満洲
◆復帰/9月2日宜蘭にて停戦
◆歴代中隊長
金子精一郎少佐
独立飛行第42中隊/対潜哨戒隊(誠第19104)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
北部軍直協飛行隊を改編。
20年1月17日第五航空軍司令官の隷下に入る。
20年1月19日広東飛行場に前進、対潜哨戒の任務に従事。
20年3月27日第八飛行師団長の指揮下に入り、20年3月29日台北飛行場に前進、
同地において台湾及び南西諸島における天号航空作戦に参加
◆編成/昭和19年10月30日潮洲
◆復帰/8月15日、台北
◆歴代中隊長
森孜郎大尉
独立飛行第43中隊/対潜哨戒隊(誠第19108)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
中部軍直協飛行隊を改編。同地において対潜哨戒に従事。
20年1月17日南支宝安に移駐。
20年3月27日沖縄天号航空作戦のため樹林口飛行場に前進(特攻及び特攻誘導)
20年5月27日宣蘭に移駐、同地において昭和20年第一期航空作戦に参加
◆編成/昭和19年10月30日恒春
◆復帰/8月15日、宜蘭
◆歴代中隊長
井出覚少佐
独立飛行第44中隊/対潜哨戒隊(冀/台第18970)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
西部軍直協飛行隊を改編。
19年7月20日比島ニコラス海軍航空隊に移駐、
同地において第二飛行師団長の隷下にあって哨戒および
輸送船団の護衛に従事。
19年10月13日アパリ、マリキナを経て空中勤務者の
主力と地上整備員の一部がボルネオのアブアンに前進、
哨戒および輸送船団の護衛にあたる。20年5月30日現地復帰
◆編成/昭和19年6月10日郡山
◆復帰/昭和20年6月23日、ケニンゴー
◆歴代中隊長
塚田清大尉
独立飛行第45中隊/対潜哨戒隊(翼第18971)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機
◆部隊史
朝鮮軍直協飛行隊を改編。
19年12月8日レイテ作戦に参加。20年1月戦闘激化により戦力低下。
20年2月戦力回復のため昭南に移動、残存空中勤務者は
特攻要員として内地帰還。20年3月在比部隊は米軍セブ島上陸に
伴い全機損害をうけ部隊人員は山嶽地帯に入り地上防衛戦闘に参加しつつ
自活活動に入る
◆編成/昭和19年10月20日比島
◆復帰/8月15日、比島にて終戦
◆歴代中隊長
永田輝雄少佐
独立飛行第46中隊/対潜哨戒隊(誠第19170)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
東部軍直協飛行隊を改編。19年10月20日台湾に展開、
第八飛行師団長の隷下に入り、沖縄作戦を準備。
20年4月~6月特攻隊(赤心、武克飛行隊)として沖縄作戦に参加。
同作戦間部隊は大損害をうけ部隊総員百六十名中、
戦死百三十名、生死不明七名
◆編成/昭和19年10月20日東京
◆復帰/9月2日、台湾にて停戦
◆歴代中隊長
佐藤勇男大尉
独立飛行第47中隊/戦闘機隊
◆使用機種
一式戦闘機(隼)、二式単座戦闘機(鍾馗)、キ60(三機のみ試作)
◆部隊史
赤穂義士にあやかり命名され俗称空の新撰組といわれ
増加試作機(二式戦)の胴には山鹿流陣太鼓のマークを画く。
16年12月9年サイゴンに進出、第三飛行集団長の指揮下に入り
仏印、マレー、ビルマなど南方作戦に参加。
17年4月25日本土防空のため調布に帰還。柏に移駐
◆編成/昭和16年9月5日福生
◆復帰/昭和18年10月3日柏
◆歴代中隊長
坂川敏雄少佐、神保進大尉、貴島俊男大尉
独立飛行第47中隊/対潜哨戒隊(誠第9910)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
第六直協飛行隊を改編。台湾主として台東にて
台湾及び南西諸島における作戦、特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加
◆編成/昭和19年10月20日台東
◆昭和20年8月15日、台東にて終戦
◆歴代中隊長
不明
独立飛行第48中隊/対潜哨戒隊(誠第9911)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
第七直協飛行隊を改編。
20年3月26日~6月20日台湾及び南西諸島における
天号航空作戦、特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加。
8月6日台中に移駐、第八飛行師団より感状を授与
◆編成/昭和19年10月30日花連港
◆8月15日、台中にて終戦
◆歴代中隊長
高橋一茂大尉(戦死)、伊藤俊之助大尉、奥平正人大尉
独立飛行第49中隊/対潜哨戒隊(誠第9912)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
第八直協飛行隊を改編。
20年3月26日~6月20日台湾及び南西諸島における天号航空作戦。
特攻及び特攻機誘導、艦船攻撃に参加、第八飛行士団長より感状を授与
◆編成/昭和19年10月30日台北
◆復帰/9月2日、台北にて停戦
◆歴代中隊長
永山菊次郎大尉(戦死)、鈴木信也大尉(戦死)、脇本末男中尉
独立飛行第50中隊/司偵隊(隼第8350)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第十五戦隊第一中隊より編成。
16年10月18日サイゴン展開、マレー半島隠密捜索。
11月下旬コンポントラッシュで第三飛行団長の指揮下に入り、
航空撃滅戦のための捜索。第二十五軍のマレー作戦に直接協力。
17年2月クルアンに展開、パレンバン空挺作戦更に
パレンバンに前進、ジャワ攻略作戦参加。
3月19日ミンガラドンに前進、ビルマ攻略作戦協力。
4月新京帰還、第二航空軍隷下に復帰。訓練及び特殊任務に服す
◆編成/昭和16年7月29日新京
◆復帰/昭和19年1月31日、新京
◆歴代中隊長
佐藤清彦大尉
独立飛行第51中隊/司偵隊隼第8351
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第十五戦隊より編成。第二十五軍司令官の指揮下に入り、
ハノイ、サイゴンに進出、
南部仏印進駐作戦に参加。
16年8月11日広東移駐。タ号、キ号作戦に協力。
11月15日第七飛行団長の指揮下に入り、マレー方面の
高々度隠密写真撮影を行い南方作戦資料収集に大きく貢献。
11月27日根本中隊長は昆明に対する陽動作戦のための
先行偵察で未帰還。後任少佐大室孟(45)
12月10日プノンペン進出、第一撃の捜索ビルマ航空撃滅戦の捜索。
12月28日コタバル進出シンガポール航空撃滅戦のための捜索。
17年1月アエルタワル進出、シンガポール航空作戦、
要地攻撃、スマトラ攻略作戦協力。
3月ビルマ作戦のためランパン進出。4月23日新京帰還
◆編成/昭和16年7月29日広東
◆昭和19年1月31日、新京
◆歴代中隊長
根本正大尉(戦死)、大室孟少佐、佐藤繁雄大尉
独立飛行第52中隊/軍偵隊(威第10655)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
教導飛行第二百六戦隊より編成。
16年11月第十独立飛行隊長の指揮下に入り
ヘイ東に展開
16年12月8日開戦と共に比島作戦参加。バンダイ、
カルメン、クラーク、マニラに移駐。
17年3月バタン、コレヒドール、セブ、パナイ、
ミンダナオ攻略作戦、全比島戡定作戦協力。
19年5月第四飛行師団の編組に入り、比島周辺海上護衛。
19年9月3日カロカンに移駐。富永第四航空軍司令官より賞詞を授与。
19年10月20日~20年1月10日捷一号作戦参加。
20年3月7日エチアゲにて臨時集成飛行隊を編成。
20年6月14日米軍の進入により残存した一機を台湾に向け飛行させ、
主力はピナパガンに後退、遊撃戦を展開
◆編成/昭和16年7月29日白城子
◆復帰/昭和20年9月16日、ヨネスにて解散
◆歴代中隊長
大森茂大尉、林靖博大尉(殉職)、手島丈夫大尉
独立飛行第53中隊/軍偵隊(翼)
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
衙門屯において教育訓練。
18年5月佳木斯(チャムス)に移駐
◆編成/昭和17年3月31日衙門屯
◆復帰/8月31日、佳木斯
◆歴代中隊長
鈴木剛一大尉
独立飛行第54中隊/直協隊(隼魁第8354)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
教導飛行第二百六戦隊より編成
17年4月八面通移駐、満州各地において空地連合の演習と教育訓練を実施。
7月10日太原に移駐。北支方面軍司令官の指揮下に入り多くの地上作戦に協力。
駐蒙軍に協力し蒙古における対ソ作戦準備を行う。
19年5月漢口に転進、第十一軍の湘桂作戦その他の作戦に協力。
20年6月「と号」作戦。
20年8月9日飛行隊(中練)を配属され特攻訓練を行う。
20年8月13日ソ軍の不法侵入により張家口に展開、偵察と攻撃を行う
◆編成/昭和16年7月23日白城子
◆昭和20年8月15日、杭州にて終戦
◆歴代中隊長
芝田武治少佐、熊倉惨大尉、森川偉大尉、岡本良夫少佐
独立飛行第55中隊/司偵隊(隼第2386)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
第十五独立飛行隊において編成。
17年<2項より補足>8月25日南京に移駐。
第三飛行師団の指揮下に入り重慶進攻作戦のため作戦路の
写真撮影と捜索及び中南支敵航空状況監視の任に服す。
18年5月4日漢口に展開、第一飛行団長の指揮下に入り、
在支米空軍に対する航空作戦参加。
19年3月24日南京において戦力整備。
5月湘桂作戦に協力、敵状捜索及び監視に任ず
◆編成/昭和17年3月31日ドムアン
◆復帰/昭和19年10月31日、南京
◆歴代中隊長
石田芳郎大尉
独立飛行第63中隊/司偵隊(鷲)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第二十八戦隊第二中隊より編成。
第二飛行師団の直轄として温春において解く主任務に服す
◆編成/昭和16年7月30日温春
◆復帰/昭和19年4月、温春
◆歴代中隊長
川村良吉大尉
独立飛行第66中隊/軍偵・対潜哨戒隊(靖第9171)
◆使用機種
九九式軍偵察機、九八式直接協同偵察機
◆部隊史
飛行第二十九戦隊第二中隊より編成。
16年<2項より補足>8月北支大原に移駐第三十五軍の鄭州攻略と
第一軍の山西省西辺地区撃滅戦に協力。
17年7月30日八面通に移駐。10月20日海林に移駐。
18年10月15日海浪に移駐。
各駐屯地において教育訓練。
20年2月3日海雲台に移駐、第二百六独立飛行隊の指揮下に
入り主として関釜連絡航路の哨戒に当る
◆編成/昭和16年7月29日連浦
◆復帰/昭和20年8月15日、海雲台
◆歴代中隊長
伊丹武雄大尉、青木正好大尉
独立飛行第70中隊/司偵隊(司第9641)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第十戦隊第一中隊より編成。
16年12月25日第十飛行団長の隷下に入り
仏印クラコールに前進、ビルマ方面の捜索に従事、同方面航空撃滅に貢献。
17年11月南太平洋方面に転用され濠北方面捜索に任ず。
18年12月ハルク島に移駐。19年10月セレベス島リンプンに移駐。
20年4月ジャワ島のマランに移駐、ホランジア以西の捜索とボルネオ周辺の哨海を担当
◆編成/昭和17年7月28日チチハル
◆復帰/昭和20年8月15日、ジャワにて終戦
◆歴代中隊長
大平忠夫大尉(戦死)、佐々木駿爾大尉(戦死)、市川蔵康少佐
独立飛行第71中隊/軍偵・戦闘機隊(誠第9180)
◆使用機種
九九式軍偵察機、一式戦闘機(隼)
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第一中隊より編成。
16年12月~17年2月マレー半島。2月11日シンガポールの
敵軍に対し降伏勧告文を投下。
2月~11月ビルマ。11月~18年1月ジャワのチモール島。
2月~12月ビルマ各地で大東亜戦争に従事。
12月明野飛行学校において戦闘機に機種改変。
19年4月~20年6月北部スマトラ並びにアンダマン諸島の
防空任務に服す。
2月24日マレーのアロルスター飛行場に移駐、
同地において訓練警備。
6月30日本土作戦のため一式戦十三機で
整備員三十四名搭乗の九七重三機を護衛、台湾に移駐
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆昭和20年8月15日、一部アロールスターにて終戦
◆歴代中隊長
西篤大尉、勝田悦男大尉、家田西行大尉、後藤芳夫大尉
独立飛行第73中隊/軍偵隊(司第9181)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式軍偵察機
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第三中隊より編成。海林に於て警備並びに次期作戦準備。
大東亜戦争に参加し、マレー攻略作戦、ジャワ攻略作戦。
チモール島周辺の哨戒及船団掩護飛行場港湾設備偵察。
第二次濠洲進攻作戦セレベス島周辺の対潜哨戒及び船団掩護海上交通保護作戦。
比島捷号作戦などに参加。
19年8月独立飛行第八十二中隊の一部を編入。
20年2月ジャワ島に移駐、クレテンにて反攻邀撃々作戦に従事
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆復帰/昭和20年9月2日、ジャワにて停戦
◆歴代中隊長
南隆耕大尉、島田三郎大尉(戦死)、春成兼正少佐
独立飛行第74中隊/直協・司偵隊(翔第9643)
◆使用機種
九八式直接協同偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第十戦隊第三中隊より編成。
16年12月比島ピガンに前進、第十独立飛行隊長の
指揮下にて比島作戦に従事。
18年2月~5月八街において司偵に機種改変。
7月26日ニューギニア方面に移駐、同島周辺航空撃滅戦に参加。
其の後比島を経てパレンバンに展開。
20年4月高々度戦闘中隊編成。5月12日ゲルンバンに移駐
◆編成/昭和16年7月28日衙門屯
◆昭和20年8月15日、ゲルンバンにて終戦
◆歴代中隊長
調正三大尉、堀貞夫大尉(戦死)、角田雄三大尉、湯地定三大尉
独立飛行第76中隊/司偵隊(洋・高第9642)
◆使用機種
九七式司令部偵察機、百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第十戦隊より編成。
開戦と共に第五飛行集団長の隷下に入り比島カガヤン方面
クラーク地区の敵状及び気象状況を捜索し第十四軍主力の上陸作戦に協力。
17年10月南太平洋方面ラバウルに進出、ソロモン、ニューギニア方面の捜索に活躍
◆編成/昭和16年7月28日衙門屯
◆復帰/昭和18年6月10日、ラバウル
◆歴代中隊長
高田勝重大尉、桐田日出夫大尉(戦死)、篠原英夫大尉
独立飛行第81中隊/司偵隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
飛行第二十八戦隊第一中隊より編成、温春において教育訓練。
第六飛行師団に編入。18年8月ニューギニア、ウエワク中飛行場に
進出、連日にわたり捜索活動に従事。
同地に対する敵機の攻撃は日を追ってはげしく戦力は9月下旬零となった。
独立飛行第八十二中隊と交代し満州に帰還
◆編成/昭和16年7月30日温春
◆昭和19年4月、温春
◆歴代中隊長
森本三郎大尉(戦死)、斉藤三郎大尉
独立飛行第81中隊/司偵隊(羽第9162)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、二式複座戦闘機改(屠龍)
◆部隊史
19年7月30日鞍山飛行場に移駐、鞍山防空に従事。
20年6月20日奉天を経て新京に移駐。
7月20日対ソ戦準備のため臨時司偵隊を編入、
新京西飛行場において編成完結
◆編成/昭和19年4月1日温春
◆復帰/昭和20年8月15日、新京にて終戦
◆歴代中隊長
大和田進少佐
独立飛行第82中隊/軽爆隊
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機
◆部隊史
第二十一独立飛行隊の指揮下に入り広東地区で活躍
◆編成/昭和14年7月6日広東
◆復帰/昭和17年10月15日飛行第34戦隊に改編
◆歴代中隊長
岡田武夫大尉、鈴木秋水大尉、藤井辰次郎少佐
独立飛行第82中隊/司偵隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
第二十八独立飛行隊において編成、温春において教育訓練。
19年1月1日独立飛行第八十一中隊と交替し、ニューギニア、ホランジアに進出。
豪北方面の捜索任務に従事。5月1日ホランジア失陥により森玉飛行団長の
指揮の下、地上行軍により5月末、サルミに到着
◆編成/昭和17年12月温春
◆復帰/昭和19年10月29日内地帰還
◆歴代中隊長
不明
独立飛行第82中隊/司偵防空戦闘機隊(天鷲第19529)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
大阪を主活動地域とし高々度戦闘に従事
◆編成/昭和20年2月25日大正
◆復帰/昭和20年8月10日第28独立飛行隊に編入
◆歴代中隊長
成田冨三大尉
独立飛行第83中隊/軍偵隊(天風第19530)
◆使用機種
九九式軍偵察機甲型、九八式軽爆撃機
◆部隊史
14年9月より中国全土にわたり多くの飛行場において各種作戦に参加。
18年5月南方ウエワクに移駐、第六飛行師団長の指揮下にて
第一線協力、高級ブインの空輸、指揮連絡、敵の軍事施設、
飛行場、上陸基地の攻撃を行う。
11月主力ラバウルに前進。
19年8月一部は独立飛行第七十三中隊に転属
◆編成/昭和14年8月1日彰徳
◆復帰/昭和19年7月25日、現地復帰
独立飛行第83中隊/司偵防空戦闘機隊
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)、百式司令部偵察機改(百改)
◆部隊史
内地を主活動地域として高々度戦闘実施
◆編成/昭和20年2月25日
◆復帰/昭和20年7月30日
◆歴代中隊長
不明
独立飛行第84中隊/戦闘機隊
◆使用機種
九七式戦闘機、二式複座戦闘機(屠龍)
◆部隊史
第二十一独立飛行隊の指揮下に入り広東地区の防空に任じ
翁英作戦、南寧作戦、賓陽会戦に於て地上兵団に協力。
北部仏印進駐と共にハノイに前進。
16年7月南部仏印進駐と共にサイゴンに移動。
12月ナトランに移駐、上陸船団掩護。
17年1月二式複戦に機種改変。4月一部を
マニラに派遣、比島防空、上陸掩護等の任務に従事。
6月広東に移動、桂林進攻
◆編成/昭和14年7月6日広東
◆昭和17年10月20日、ハノイ
◆歴代中隊長
原弥治大尉、長野綱男少佐
独立飛行第84中隊/戦闘機隊(翔)
◆使用機種
不明
◆部隊史
主として蘭印において活動
◆編成/昭和20年2月25日パレンバン
◆昭和20年5月30日
◆歴代中隊長
不明
独立飛行第85中隊/司偵隊(鷲)
◆使用機種
百式司令部偵察機(新司偵)
◆部隊史
不明
◆編成/昭和17年秋温春
◆昭和19年1月31日
◆歴代中隊長
渡部行男大尉
独立飛行第87中隊/軍偵隊(満洲)
◆使用機種
九九式軍偵察機、九七式軽爆撃機
◆部隊史
飛行第二十九戦隊にて編成。
16年8月北支太原に移駐。16年9月16日
第一次長沙作戦協力のため白螺磯に前進。
17年1月第二次長沙作戦に参加。
17年5月南昌に前進、淅カン作戦に参加。
17年7月30日八面通移駐。17年10月海林移駐
◆編成/昭和16年7月29日連浦
◆昭和19年2月5日、海林
◆歴代中隊長
中川範治大尉
独立飛行第89中隊/直協・軍偵、司偵隊
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九八式直接協同偵察機、九九式軍偵察機、二式複座戦闘機改(屠龍)
◆部隊史
飛行第八十三戦隊第三中隊より編成。
16年12月第八十三独立飛行隊に属し、
海上輸送によりサイゴンに前進、マレー作戦に従事。
17年2月9日軍砲兵隊のシンガポール島制圧の弾着観測を行う。
17年4月ビルマ作戦のためトングーに前進、シンゲン基地で第十五軍に協力。
18年9月軍偵に機種改変。
18年10月末ビルマ方面軍指揮下に入り、
南ビルマの写真撮影、海上哨戒等の任務に服す、インパール作戦に協力
◆編成/昭和16年7月29日海林
◆復帰/昭和19年3月31日、ラングーン
◆歴代中隊長
黒川正憲大尉、長沢清大尉、坪井利大尉
独立飛行第90中隊/軍偵隊
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
第二十九独立飛行隊より編成。
同隊の隷下として、17年5月南昌に前進、淅カン作戦に参加。
7月15日新郷に移駐。訓練整備を行う。10月海林に移駐
◆編成/昭和17年4月太原
◆復帰/昭和19年2月5日、海林
◆歴代中隊長
中野猪之八大尉
独立飛行第91中隊/直協隊
◆使用機種
九八式直接協同偵察機
◆部隊史
17年4月ビルマ、トングーで第八十三独立飛行隊長の指揮下に入る。
18年7月24日第三航空軍の隷下となる。9月ジャワ島バリシアンにて作戦参加。
18年末サイゴンに移駐、同方面の哨戒及び訓練を行う
◆編成
◆復帰/昭和19年3月31日、ラングーン
◆歴代中隊長
中村虎之助大尉
独立飛行第96中隊/直協隊
◆使用機種
九九式軍偵察機
◆部隊史
不明
◆編成/昭和16年7月25日
◆復帰/昭和19年2月5日、海林
独立飛行第101中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
◆部隊史
内地を主要行動地域とす
◆編成/昭和16年7月20日調布
◆復帰/昭和17年4月21日、調布
◆歴代中隊長
安田岳彦大尉
独立飛行102中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
◆部隊史
内地を主要活動地域とす
◆編成/昭和16年7月20日加古川
◆復帰/昭和17年4月21日加古川
◆歴代中隊長
山本礼二大尉
独立飛行103中隊/司偵隊
◆使用機種
九七式司令部偵察機
◆部隊史
内地を主要活動地域とす
◆編成/昭和16年7月20日小月
◆復帰/昭和17年4月21日小月
◆歴代中隊長
木村正義大尉
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