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2016年2月17日 (水)

国吉大尉のジャワ攻略戦~待ち望んだ神兵の伝説

陸王(陸軍)サイドカー付き

 
戦友会でお世話になっている 国吉大尉(仮名とします。当作戦時、
階級は中尉)のジャワ島上陸の回想を書くことにします。
聞き取った内容をなるべく純粋に 記しました。資料となれば幸いです。 
 
国吉大尉の回想~ジャワ攻略

私は第二師団へ騎兵で入隊したのですが
大東亜戦争の時、既に機動力の要は自動車です。
馬からオートバイに乗り換えたので、騎兵連隊も呼び名が
変わり 捜索連隊となりました。
 
昭和17年3月、 
師団は開戦直後に海軍の掩護もあってジャワ島に上陸しました。
上陸前のことを覚えています。戦争に勝っている頃ですから、
何十隻もの輸送船が大船団を成して進んでゆく様は壮観でした。
「嗚呼、堂々の輸送船」 という歌がありますが、ああ、これが
堂々の輸送船かと思いましたね。 上陸後は陸王のオートバイ
(サイドカー付き)に乗って内陸へ進軍するのですが そのときの
運転士が震えあがってしまい、駄目なんですよ。それで私は
「代われ」と言って彼を側車に乗せまして、 代わりに私がハンドル
を握りました。 敵陣の中をブァーーーッツと走りました。
 
しばらく内陸へ走ると、道端に 豪州空軍の車両が停まっているんです。
これはどういうことなのか、 車輌の周りを調べていると、陰から 敵兵が
10人ばかりゾロゾロ出てきました。 我々が上陸してきたことは報されて
いたのでしょうが、逃げ遅れたのかもしれません。 バッタリ遭遇した
日本兵に敵さんも驚いたのでしょう。
 
「ジャアパニーズ???」 と大声で訊くものですから、私は
「イエス!!」と答えました。 そうしたら、あまりに至近距離だったもので
殴りかかってきて来て取っ組み合いになりました。
一対十ですよ。 そこで私は腰の軍刀を抜きまして、刀の紐が柄に
引っかかって、すこしもたついたんですが バサっと斬り倒しました。
一人をやっつけると あとは全員、いなくなっていました。
 
その後は地元の住民がよく協力してくれました。 自動車に乗って、
あっちこっち道案内してくれるんですね。 非常に親切でした。
当時、ジャワ島はオランダの植民地でした。 どうやら地元の住民は
「いつの日か自分たちと同じ顔の人間がやってきて 植民地から解放してくれる」
そういった言い伝え、伝説があったそうなんです。(※1) それを信じて待っていた
ようなんです。 肌の色、同じですからね。 食事も用意してくれて、非常に
好意的でした。 師団はジャワ攻略で勝利を収めていますが、私は 部下を
一人だけ失っているのを 忘れません。
 
回想以上。
 
(※1)「同じ顔の人間」と書きましたが、別の説もあって
「いつか自分たちと同じ肌の色、顔をした神がやってきて・・・」という伝説も
あります。そういった意味で「神兵」という表現も間違いではなさそうです。
  
ジャワ島は昭和20年、ふたたび戻ってきたオランダ軍との独立戦争に勝利し
新国家インドネシアが誕生する。
 
あれこれと思いつくまま、聞き取った回想記を書いています。
リクエストがあれば優先的に書きますので、「これの続きが知りたい」
と思う話があれば、ぜひリクエストをお願いします。
最後までご覧くださり、ありがとうございました。 
 
画像の陸王(オートバイ)はイメージです。
 
途中になっているノンフィクション記事一覧
ペリリュー島のラストサムライ 永井敬司さんのお話(1)
ベトナム解放戦線 ベトナム独立をかけて   (1)
ベトナム解放戦線 解放戦線に加わる者たち (2)
水野中隊長の初陣 戦友の遺骨を抱いて
飛燕戦闘機隊 高度一万mB29との戦い 竹田五郎さんのお話(1)
撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない 原田要さんのお話(1)

 
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コメント

自分は数年前の「丸」で台南空の斎藤司令が「いつか自分たちと同じ肌の色、顔をした神が白い大きな手に包まれて来る」という内容の伝説を聞いたと書いてあったのを読んだ記憶があります。
丁度、落下傘が白い大きな手に包まれたように見えたので、落下傘部隊は伝説の神様だと歓迎されたそうです。
ジャワ島かどうかは分かりませんが、インドネシアは平和だったらしく捕虜のオランダ兵に自動車の運転を習ったり、買い物に出かけるなど呑気な話を聞いたことがありますw

金澤さん
ありがとうございます!その話を探しておりました!
「空の神兵」もそういった意味で捕えると感慨深いものがあります。
捕虜の扱いも多様なんですね。

2月11日には海軍落下傘部隊がセレベス島メナドへ降下。
続く14日には陸軍落下傘部隊がスマトラ島パレンバンへ降下。
パレンバン降下の時、上空を援護したのが飛行第六十四戦隊、加藤隼戦闘隊ですね。

落下傘部隊の歌として「空の神兵」が有名です。
また、1944年、東宝映画「加藤隼戦闘隊」もあります。
映画の中では一式戦「隼」を始め、九七重爆、九七輸、九七戦といった実機を飛ばしています。飛行機好きの方は必見だと思います。

金澤様が仰っていた「いつか自分たちと同じ肌の色、顔をした神が~~~~~~」ですが、私が読んだ本、確か台南航空に関連した戦記本だったと思います、その事が書かれていました。
言い伝えが現実になった、、不思議といえば不思議ですよね。

結果、日本は敗戦しましたが、インドネシアは独立を果しました、その独立戦争を一緒に戦った日本将兵の皆さんのことを忘れてはならないと思います。


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