テニアン島戦跡(4) 日の出神社
前回の続き
人の営みあるところには必然と神社が祀られる。
テニアン島「日の出神社」跡である。
1920年(大正9年)テニアンはパラオやサイパン同様、第一次世界大戦での
ドイツ敗北によって、国際連盟より正式に日本の委任統治領となった島で
以後、日本語で「天寧」と表記されるようになった。 テニアン島における
南洋開拓は南洋興発株式会社が基軸となり、 内地からの移民を募って
推進された。主に砂糖やコーヒーの生産が行われ、
また鰹節の生産も盛んであった。
昭和19年6月時点での人口は日本人15,700人(軍人除く)で
このほか朝鮮人2,700名、 チャモロ人26名が住んでいた。
その勢いたるやサイパン島に引けを取らないものだった。
その参道の規模から推測しても当時は賑やかだったことがうかがえる。
▲一の鳥居
ここテニアンを永住の地と決めた人々にとっては心の拠り所であり
悲しい事や嬉しい事、とにかく事あるごとに神社に足を運んだに違いない。
人々が集まり、生活を営む上で神社が祀られる。
神様は人々においでくださいと懇願され、呼ばれてやって来るのだ。
いまでは参道を歩く者は誰もおらず
ひとり残された神様だけが社に鎮座している。
ここは日の出神社。今も昔も神様のいるところ。
続く
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