テニアン島戦跡(2)ブロードウェイは死へのカウントダウン
前回からの続き。
セスナ機はテニアン国際空港へ着陸した。
とは言ってもサイパンから10分。電車の初乗りとさほど変わらない。
空港でレンタカーを借りる。カウンターで簡単な手続き
(日本の免許証とクレジットカードを見せればOK)を経て出発。
島にはタクシーや公共交通機関は一切ないので、ツアー
以外で訪れて自由に動きたい場合はレンタカーが唯一の手段。
ブロードウェイを下りて行く。
遠くに見える大きな建物がテニアン・ダイナスティーホテル&カジノ。
テニアンは静かな島で、サイパンから足を伸ばす観光客は僅かしかいない。
対向車や人と行きあうことも稀だ。
▲ブロードウェイ~原爆投下への道
ブロードウェイという名称はテニアン島がニューヨークのマンハッタン島に
似ていることから同様に名付けられたものだが、このブロードウェイを北上するとき
ぜひとも触れておかねばならない歴史がある。
1945年(昭和20年)7月26日
アメリカ海軍の重巡洋艦「インディアナポリス」がテニアン港に入港する。
重巡インディアナポリスはこのとき、人類史上、最も恐ろしいミッションを
帯びていた。後に広島、長崎へ投下される原子爆弾の輸送である。
インディアナポリスから陸揚げされた原子爆弾は、輸送用車両に積み替えられ
このブロードウェイを通って、ノースフィールド飛行場まで運ばれた。
広島に原爆が投下される11日前の出来事である。※1
我々日本人がこのブロードウェイを北上するとき、死へのカウントが冷酷
にも確実に刻まれているような、そして場合によっては震えが止まらない
恐ろしい錯覚に陥るかもしれないが、それは何ら不思議な事ではない。
過去の出来事ではあるが、アクセルを踏み込む足も重くなる。
そんな気持ちと相反するかのように、空は青く澄み渡り、
吹き付ける風が肌に心地よい。
原爆投下ミッションとその戦跡については後述する。
▲北にサイパン島が見える。
※1
インディアナポリスが輸送したのは原爆本体であり
核弾頭は航空機で空輸された。
なお、原爆を陸揚げした二日後の7月28日、
インディアナポリスは出港、単独レイテに向かったが
日本の潜水艦「伊58」の雷撃を受け、沈没する。
当初、原爆投下計画の極秘任務が漏えいし狙われたものと
思われ、アメリカ当局はパニックとなったが、日本海軍側が
意図するものはこれといって無く、撃沈は全くの偶然であった。
インディアナポリスは単独航行が災いし発見と救助作業が遅れ
クルー1199人のうち大部分が戦死し、生き残ったのはわずか316名
にすぎなかった。
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