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2013年12月31日 (火)

2013年

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今年も様々な出来事がありました。
多くの方々にお世話になり、また支えられた一年でした。
感謝申し上げます。
 

今年は西日本の戦跡をすべて巡礼すべく走り回り
概ね目標達成を致しました。兎角
四国の素晴らしいおもてなしの心、九州の人柄に
感動しました。どれもこれも思い出深いのですが
ひとつあげるとするなら、二度の硫黄島派遣です。
生まれて初めて航空自衛隊の軍用機に乗せてもらいました。
 

硫黄島は想像していたのと違って、実に美しい島でした。
内地は真冬でも硫黄島では初夏のような風が心地よく、
深い緑と群青の海が広がっていました。
 

ところが遺骨収集の現場に於いては
言葉に表せない悲しみがあり、
ぜひとも、この気持ちを持って帰って、戦争を知らない
若い世代に伝えたいと、改めて強く決心しました。

 
ご遺骨を抱いて輸送機が内地の基地へ着陸して、久しぶりに
街の姿をながめたとき
ケータイに触れながら行き交う人々を見て
違和感を覚えるのと同時に、
日本は元来、こんなに豊かな国ではない。
いつかツケがまわってくるのではないか、と
不安に襲われました。

 
高齢の方も、櫛の歯が欠けるように
この世を去って行きました。

 
来年も出来る限り、そういった方々の気持ちを
残し続けるのと同時に、若い世代へのバトンを渡す
役割を担えれば幸いと考えております。

 
バトンはただ渡すだけではダメなんです。
上手に渡さなければ。

 
来年もそうぞよろしくお願い致します。

2013年12月29日 (日)

飛行場が無い小笠原の急患対応

小笠原には飛行場がありません。
 
内地への唯一の交通手段は定期船
「おがさわら丸」で25時間かかります。
 
幻の小笠原飛行場
「戦時中は洲崎に軍用飛行場があった」と、当時
小笠原で働いていた方が教えてくれました。お話によれば
一式陸攻が滑走路いっぱいを使って離発着したそうですが
記録によれば小笠原の飛行場は小さいものだったので、軽量の
戦闘機を運用するくらいが精一杯で
大型の一式陸攻を飛ばすにはだいぶ無理があります。

  
一式陸攻の謎
それにしても、なぜそんな話が生まれたのか疑問です。
実は、戦後しばらくの間、滑走路近くに一式陸攻の残骸が残されておりました。

(現在は撤去されています)
 
もしかしたら機体トラブルか被弾などで

やむをえず不時着を敢行した事があったのかもしれません。
それでないまぜになっている可能性があるなと感じました。
 
夢のある話だとは思います。
 
急患発生時の対応
さて、話を現代に戻して、もし
小笠原の住民に急患が発生した場合、
海上自衛隊に協力を要請することとなります。
 
要請を受けた海自は硫黄島基地に待機中のヘリコプターを
父島へ派遣します。急患を乗せたヘリは、一旦硫黄島基地へ
Uターンし、基地で飛行機に乗り換えて、内地へ向かいます。
この場合、東京までの合計所要時間は3時間ですが
仮に、父島から東京から直行しても、ヘリは速度が遅いので
4時間もかかってしまいます。Uターンしても
飛行機に乗り換えたほうが1時間も早く到着するのです。
 

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ひとつ合理的な手段があります。
V-22オスプレイの運用です。V-22オスプレイは現用ヘリより
スピードが速いので、内地へ直行することが可能です。
 
災害時やその他緊急時にも役立つでしょう。
自衛隊にオスプレイ導入の動きがあるので
近い将来実現するかもしれません。
 
最後に蛇足ながら
船で25時間かかるから価値があるし、世界遺産の
自然も残っている。この先も飛行場は作らないほうが
小笠原にとっていいのかもしれません。