多田督知参謀長 陸軍将校データベース

多田 督知(ただ とくち)大佐
第十四師団参謀長
 
明治34年10月9日生、神奈川県出身。
大正13年7月陸軍士官学校卒、同年少尉
歩兵第一連隊付、昭和2年10月、中尉。
昭和7年11月、陸大卒。昭和8年8月大尉。
歩兵第一連隊中隊長、同年12月兵本付(軍事調査部)
昭和11年4月東大経済学部派遣、12年8月参本部員、13年3月少佐
同年10月、兼陸大教官。14年9月参本付・大本営参謀(八課)
16年3月、中佐、第三十八師団参謀。16年10月第二十三軍参謀
17年2月、香港占領地総督部参謀、17年8月、朝鮮軍参謀
 
昭和18年11月より第十四師団参謀長。19年3月、大佐進級。
十四師団南方派遣、パラオ地区防衛の任に就く。
司令部をコロールのちパラオ本島に置いて
ペリリュー島、アンガウル島の防衛の作戦立案にあたる。
同年11月、両島玉砕。パラオ本島(バベルダオブ)でも
徹底抗戦に備え防備を厳とする。バベルダオブ決戦で
自ら玉砕を覚悟するも上陸戦が行われることなく終戦を迎える。
 
昭和20年9月、米海軍護衛駆逐艦「アミック」艦上で
多田参謀長とともに降伏文書に調印する。
病気がちの井上師団長にかわり、十四師団の指揮をとる場面も多々
 
昭和24年、B-24爆撃機より落下傘降下した米兵殺害容疑
BC級戦犯指定を受け逮捕、グアム海軍軍事法廷で裁かれた結果
重労働4年の判決。ただし裁判は戦勝国にものであり、
判決は、必ずしも公正無私ではないことを前提とする。
25年7月仮釈放。
 
昭和38年7月14日没