2016年12月 5日 (月)

西住みほ撮影

西住みほ,コスプレ

都内のコスプレ専用スタジオにて
杏樹ちゃんの撮影を仰せつかりました。今回は
アニメ映画「ガールズ&パンツァー」のみぽりんです。
教室や廃墟など、様々なシチュエーションで2000枚
くらい撮りました。キャラクターになりきるのに
ウィッグの色選びからカラコン、メイクのやり方が
非常に難しいようでした。これから背景にIV号戦車を
組み合わせていきます。

Imgp4341



いろは坂の深夜

いろは坂

日光いろは坂(下り)あ さ き ゆ め み し
 「ゆ」のコーナーで撮影しました。
   
みんカラ投稿企画!愛車と夜景のコラボ写真を投稿してください! 
以上の企画に応募しましたお写真でございます。

2016年12月 1日 (木)

1/18 エリートフォースの零戦21型

1/18 エリートフォースの零戦

1/18エリートフォースシリーズ(BBI社製 ELITE FORCE)の
零戦です。量産品で手に入る限り一番大きな
零戦の模型です。これ以上大きなものはありません。
大きさ比較のため杏樹ちゃんに持ってもらいました。 
 
暗緑色ですが、これは零戦21型です。
機体のカラーリングは虎110号機。
第261海軍航空隊(虎)での内地訓練仕様です。
帯の色は諸説ありますが、これは黄色と白のパターン。
 
製品は彩色済みなので、箱から出して組み立てるだけです。
脚出し、収納いずれか選択可能。またキャノピー(風防)も
開閉選択可。増槽も取り外し可。おまけにパイロットフィギュア付き。
 
物足りないという方には
ディティールアップのベースにもいいかもしれません。
ただ、大きいなりに、既に相当数のリベットが打たれています。
 
一般的なモデルが1/48、あるいは1/32。
昔バンダイから出ていたのが1/24でしたから
それよりもっともっと大きいです。

海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編

中島さんに教わったお話しで、ゼロ戦とはまた違う話ですので
番外編としてここに記します。海上自衛隊黎明期には
技術畑でもたいへんな苦労がありました。
旧海軍の技術士官がメーカーに入って現在の
メーカーの礎を築いたという記録でもあります。
 
以下、中島さんのお話し。
 
---------------------
 
昭和33年頃の話です。私が海上自衛隊に居った頃だったんですが、
あの頃は旧海軍の技術士官の方が、日本無線とか、東芝とか日立製作所とか
メーカーに就職しておられたんですよね。あの頃は技術者が少なかったんです。
 
各メーカーは防衛庁の仕事は儲からんから、やりたがらなかったんですよ。
検査がうるさいしとか言ってね。そういうことでね、我々防衛省側ですからね、
メーカーに「頼むからこれ作ってくれ」と、頭下げて
頼みよったですよ。
そういう時代が昭和30年代のはじめでしたね。
 
それで、メーカーには
旧海軍の技術士官の方がおられるから、
そこへ行って
お願いしますと頼み込んでね。だいぶお世話になりました。
で、そういう関係で、官民仲良く仕事をしようじゃないかという
ことで、会を作りました。
 
そういうことで会で旧海軍の先輩たちとお会いして
いろいろと教えを頂いて、旧海軍はこうだったとかね。
話をよくきいたりなんかもしましたからね。
  
当時、業界との付き合いは
今みたいに線を引いてやる形じゃなかったですから。
 
私が今でも一番憶えているのは、私はもともと海上自衛隊で
パイロット採用でしたが、
それからエレキの勉強して、整備に変わって
それからまた技術の部門にかわったんです。
 
昭和34年、六本木に着任したとき、旧海軍の技術士官の人が
課長だったんです。で、その課長から言われたことが
今でも印象に残っているんです。
 
「おい、お前今までオペレーターだったけれどね、
これから技術幹部になるんだからね、しっかり技術の勉強してくれ」
 
と。それから
言われたことが、旧海軍は海軍工廠ちゅうのを持ってた
わけです。物
を実際に自分たちでつくってたわけです。
だから海軍の技術士官は海軍工廠でも働いてたわけですけどね
行政だけじゃなくて、で実地をよく知っているし
実物がどうやって物ができてくるか知ってるわけですよ。
 
だけど現在の海上自衛隊には海軍工廠がないんだと。
だからね、
 
「メーカーを
海軍工廠だと思え」
 
と。これには僕もびっくりして。
みんなの前でですよ。
  
だから仲良くなれと。

例えば検査にいったときなんかにね、夕方5時になって帰ろうとしたらね、
「御夕食でもどうですか」と言われたらね、誘いに乗れと。
誘いに乗って、一緒に飯を食って、仲良くなってくれと。
友達付き合いをしっかりしてね、そうしないと仕事うまくいかんから。
 
メーカーでもどういう仕事をやっているのか知らんといかんからね。
技術幹部というものは。
昔はそういう勉強の場があったけど
今はないから。
で、会社と仲よくなれと。で最後に言ったのが今でも
忘れられない。ただ、コレ(小指)とコレ(¥マーク)はだめよと。
 
いくらでも飲めと。付き合って仲よくなれと。堂々と言われましたからね。
だから本当に会社から誘われたときは飲んでましたね。
 
当時、私飲めなかったんでね、会社の人も営業も技術の人も
俺をだしにして飲んでるなと(笑)
 
で、家に帰って夕食を食べるときは缶ビールの350のを一本
飲んで、あ、当時は350じゃない。小瓶ちゅうのがありましたかね。
それを一生懸命に飲んで練習したんですよ。
 
悪酔いしないように。そういう古きよき時代でしたね。
だから課長になったら、正月になったらメーカーの人も
ここに私の家に来るし、もちろん会員も2日の夜はここで
集まるようになってましたんで、70~80名
いれかわりたちかわり来て(笑)
 
お酒は買わなくていいんですよ。メーカーの人が
みんな持ってきてくれるから。だから料理だけ用意すれば
よかったんですよ。だからだいぶ世話になったんですよ。ワイフにも。
 
で、現役と会社の人でワイワイやってた。
それが出来た時代ですよね。今はそんなことやったら大問題ですけどね(笑)

2016年11月30日 (水)

新商品

新商品を製作しました。
 
今回は戦車です!10式戦車とIV号戦車!
商品画像を撮っていないのでまだ店頭に並べていないのですが 
既に入荷しており近日発売です!小ロッドのため、数に限りがございます。
販売開始の折には、こちらで発表させて頂きます。
 
商品化アイデアはほとんど皆様から頂戴したものです!
リクエストお待ちしております!

Iv_3

2016年11月29日 (火)

青木中尉の雷電

Raidenn_3

デジタルライブラリに新しく画像を追加しました。
青木中尉の雷電です。

Y.S氏ヒアリングノート 酸素魚雷について(寄稿)

拝啓 篠原直人様(南溟の桜)様
こんにちは。お忙しい中、失礼致します。
本日は、生前に坂井三郎さんから教わった
【酸素魚雷=九三式魚雷】について、お話しようと思います。  
 
【酸素魚雷~日本海軍最高機密の一つ】
日本海軍が世界を凌駕した兵器に「酸素魚雷」がある。これは、世界で唯一、
日本海軍のみが実用化に成功した、酸素を使用した魚雷の事である。
正式名称は、「九三式魚雷」という。この「九三式魚雷」は主に、水上艦艇の
重巡洋艦(重巡)と駆逐艦の魚雷発射管に装填されていた。
 
一方、潜水艦用に魚雷径を小さくした酸素魚雷には「九五式魚雷」がある。
因みに、航空機から投下する魚雷(=「九一式航空魚雷」。この魚雷は
浅海面用であり、内部にジャイロスコープが内臓され、天地が安定するように
なっており、空中でローリングするのを防いでおり、頭部に木製のカバー、
尾部には木製の補助安定板が付いており、着水すると、衝撃で木製部品は
外れるようになっていた。
 
又、尾部を上げ舵にしてしる為、深く沈み込まない。この航空魚雷は真珠湾
攻撃の為に開発された、通常型魚雷。尚、航空機による雷撃の神様は、村田
重治少佐が有名。南太平洋海戦〔1942年・昭和17年10月26日〕で戦死。)
は、この酸素魚雷ではない。
 
【魚雷の仕組み】
第二次世界大戦以前の魚雷の動力は、石油又はアルコールを使用した
燃料と空気を使用した酸化剤を加熱室に吹き込んで点火燃焼させ、この
燃焼ガスでエンジンを回していた。 燃料を燃焼させるには、燃料に対して、
14~15倍の空気量が必要とされていたが、空気中に含まれる20.9%の
酸素のみが燃焼に役立つだけで、残りの約79%は燃焼に不要な窒素だった。
 
この窒素は水に溶けない為、気泡が発生し、魚雷の航跡が目立った。 そこで、
もし、酸化剤に、空気の代わりに酸素(=純酸素)のみを使用すれば、酸化剤の
容積は従来の5分の1程度で済み、しかも、その浮いた容積に燃料を搭載
すれば、長大な射程と高雷速が得られ、又、燃料の代わりに炸薬を搭載
すれば、強力な破壊力を得られた。
 
もちろん、燃料と炸薬の両方を搭載すれば、今までに無い、射程・雷速・破壊力
を得る事が出来た。 又、従来の魚雷は、海水に溶けない窒素が燃焼ガスに
含まれる事から発生する白い航跡が出るのに対し、酸素魚雷では、酸素を
酸化剤として使用する為、発生する二酸化炭素が比較的水に溶けやすく、
雷跡は試射場でも目視困難だったと言われる。
 
この発見の困難さは、敵に航跡が発見され、回避される可能性の低さに繋がり、
より命中弾を得やすかった。但し、酸素魚雷は、始動直後の燃焼には空気を使用
していた為、発射後300~400mは、雷跡が残った。尚、九三式魚雷の後期型に
なると、この空気の代わりに、水に溶けやすい四塩化炭素を使用し、改良が加え
られている。(注:現代の最も進化した魚雷は、旧ソ連時代に開発された魚雷で、
現在のロシア海軍でも使用しており、酸素の変わりに、過酸化水素を使うため、
燃焼しても水しか発生しない為、航跡は全く出ず、且つ、【バブルパルス】や、
【バブルジェット】などの水中爆発の研究が進み、雷速も格段に向上し、さながら
水中ミサイルの様である。)
 
【各国で酸素魚雷 の開発競争~しかし、日本のみ成功した!】
各国は酸素魚雷の開発に熱心に取り組んだが、やがて、頓挫する。
理由は、酸素は燃料と化合すると、忽ち爆発を起こし、その取り扱いは非常に
難しく、各国は開発を断念せざるを得なかった。 実際、英海軍では、酸素魚雷
の開発に一度は成功したものの、搭載した軍艦で爆発事故を起こした為、
危険兵器と見なされ、放棄されている。
 
【水雷戦闘の要求~日本海軍の重巡や
駆逐艦に魚雷発射管が装備されている背景】
一方、日本海軍でも、1916年(大正5年)に燃焼実験で爆発事故を起こし、
一度は開発が中止された。 しかし、日本海軍では、ワシントン軍縮会議の
結果、その不利を克服する為、魚雷を主力兵装と位置付け、戦術と併せて
開発を進めたのだった。
 
この時点での水雷戦術は、日本海海戦で示された通り、主力海戦で損傷
した敵艦隊に対し、至近距離から「とどめ」として投入する事が考えられていた。
しかし、こうした投入方法は、冷走魚雷・乾式魚雷・湿式魚雷(注:専門的
過ぎるので各魚雷についての説明は省略。説明しても恐らく理解は難しい
だろうから。)と、魚雷の構造的発展が得られた事や、材料強度の向上、
大型化、多連装化などの発展により変化したのだった。
 
第一次世界大戦では、昼間の海戦でも主力艦に対して打撃を与え得る戦例
が見られるようになった。 そこで、日本海軍では、列強の先端を行く、主力艦
の水線下防御を突破して、確実に撃破し得る大型魚雷を装備した、大型
駆逐艦「睦月(むつき)型」の導入に踏み切って行ったのだった。
 
そして、より確実な水雷戦闘力を求めて、更に大型の駆逐艦「特型」を
導入するのだった。 戦術としては、前型の「睦月(むつき)型」が6射線で
あったものを9射線に増強し、敵主力艦が回避可能な範囲全てをカバー
するように、駆逐隊単位で一斉に雷撃するというものであった。 敵艦隊の
防御火力も強力な事を算定し、12~16隻の駆逐艦を投入。水雷戦隊として
突入する。
 
そして、その盾となる突破支援に指定されていた条約巡洋艦戦隊
(=重巡戦隊)も雷装し、生き残った味方艦は、全て敵主力艦を攻撃する
戦術を考案したのであった。
 
こうした戦術から条約巡洋艦(=重巡)を切実に必要としていたのは、
日本海軍だけであった。それは、各国は、主力艦戦力に余裕があった為である。
 
【魚雷は実弾発射訓練が比較的容易~練度を上げ易い兵装】
又、魚雷は構造上、演習時には炸薬に換えて、水などを充填する事が出来た。
この水は、気室内の空気により排出する事が可能で、主力艦艦砲のように
砲身の損耗を懸念する事なく、演習発射、及び、回収を行えたのであった。
従って、実弾発射訓練が比較的容易に可能であり、練度を上げ易い兵装
でもあった。
 
このような国際情勢から、日本では、1928年(昭和3年)より酸素魚雷の
開発が再開され、1933年(昭和8年)には、遂に、世界初で、我が日本
海軍の呉海軍工廠魚雷実験部に於いて、酸素魚雷の開発と発射実験に
成功したのだった。
 
これは、魚雷が始動されると、まず空気で燃焼を行い、徐々に酸素の濃度を
上げて行けば、魚雷が爆発しない事を、日本海軍だけが発見したからである。
 
その後、岸本鹿子治実験部長(=後の三菱重工・長崎兵器製作所第4代所長)
及び、朝熊利英設計主任らを中心に、兵器として使用する為の様々な改良が
加えられ、1935年(昭和10年)に「九三式魚雷(=重巡・駆逐艦搭載用酸素
魚雷)」として制式化。そして、1937年(昭和12年)には、潜水艦用直径
53cmの「九五式魚雷(=潜水艦搭載用酸素魚雷)」も制式化。
  
その後、長崎兵器製作所に於いて、潜水艦用の魚雷を受注。椋木寿
(くらき・ひさし)技師が出張研究に呉に派遣され、1937年(昭和12年)から、
量産を開始した。
 
【優秀だった(長)印の魚雷】
長崎兵器製作所製造を示す(長)印の魚雷は、当時、「呉生まれより、
長崎生まれの方が優秀!」との、連合艦隊の折り紙付きであった。
  
【大村湾での発射テスト】
尚、これらの発射テストは、一本一本、大村湾堂崎鼻に於いて、何度も
繰り返され、その結 果、他国の爆発事故を尻目に徹底した安全管理が
なされ、この頃になると、爆発事故は皆無となり、安全性、直進性などの
完成度が、飛躍的に向上したとされる。そして、翌1938年(昭和13年)頃
より、実戦配備が開始されたのだった。
 
【酸素魚雷は日本海軍の最高機密~「酸素」という言葉自体が
艦艇や潜水艦乗組員では、建前上、使用禁止用語だった!】
生前に坂井三郎さんから教わったお話では、坂井さんが、佐世保海兵団に
入隊して、砲術や雷撃の教育を受けておられた頃、教官から、酸素魚雷は
海軍の最高機密として、建前上、「酸素」という言葉自体が使用禁止用語
だったと、仰っておられました。
 
でも、現実には、潜水艦などで敵の攻撃にさらされた時などは、
艦長が機関長に「現在の艦内の酸素濃度は?」と質問したりする際には、
平気で「酸素」の言葉を使用していたそうです。飛行機乗りたちも、高空に
上がったら、酸素マスクを使用した位ですから、実に馬鹿げた珍命令だった
と、坂井三郎さんは回想されておられました。「『酸素』なんて普通の
日本語じゃないか。馬鹿馬鹿しい。」と。
 
【酸素魚雷の飛び抜けた射程距離~米海軍からは
「長槍(ロング・ランス)と恐れられていた!」】
「酸素魚雷(=九三式魚雷・九五式魚雷)」は、当時の列強の魚雷に比べて、
全てが桁外れに優れていた。言わば、魚雷の「超弩級」と言える。中でも注目
されたのが、その射程距離である。雷速によっても異なるが、当時の列強の
一般的魚雷の射程距離が6km~10kmに対し、日本海軍の酸素魚雷
(=九三式魚雷)は、雷速50kt(ノット)で22km。36kt(ノット)で、なんと、
40kmもあったのである。それは、敵主力艦の主砲の射程距離にも匹敵した。
 
その為、日本海軍では、敵戦艦と等距離から撃ち合える兵器の出現と目
(もく)された。又、当時の米海軍の将兵は、この兵器を「長槍(ロング・ランス)」
と呼んで、大変恐れていたと言われている。故に、終戦まで「酸素魚雷」の
存在を知らなかった欧米連合国側は、当時、なんで撃沈されたのか、
皆目、見当も付かなかったという。
 
【日米の魚雷の射程距離を比較】
〔日本海軍の九三式魚雷(=酸素魚雷)の場合〕
(注:1ノット=1海里/h=1.852km/h)
射程 22km……48kt.(ノット)
射程 32km……40kt.(ノット)
射程 37km……20kt.(ノット)
射程 40km……36kt.(ノット)
射程 78km……10kt.(ノット)
と、雷速を調整する事で、射程距離も変わる。尚、波の衝撃波の影響もあり、
単純に射程と雷速の関係を公式化する事は出来ない。あくまで、実際に、
試射場で出た数値が目安とされていた。
 
一方、〔米海軍を代表する魚雷=マーク15魚雷(通常型魚雷)の場合〕
射程 5.5km……45kt.(ノット)
射程 9.0km……33kt.(ノット)
射程 14km…… 26kt.(ノット)
つまり、一般的な戦艦の主砲(40cm.口径)の射程が、当時、約30km。
(注:戦艦大和…46cm.口径。仰角45゚で、射程約42km)よって、酸素魚雷は、
戦艦大和の射程に匹敵するだけの射程を有する事になる。
 
【日米の魚雷の炸薬量の比較】 列強の魚雷径が53.3cm.であるのに対し、
日本海軍の九三式魚雷(酸素魚雷)は、魚雷径61cm.。又、列強の炸薬量
300kg.に対し、日本海軍は、480kg.。列強の雷速は最速45kt.(ノット)に
対し、日本海軍は最速50kt.(ノット)だった。
  
一説には60kt.(ノット)出たという証言もあるが、現在となっては検証は
不可能である。但し、ズバ抜けて、「射程が長かった!」と言う事は出来るだろう。  
 
【九三式魚雷(酸素魚雷)の並外れた炸薬量】
九三式魚雷(酸素魚雷)の炸薬量は、480kgである。これは、長門型戦艦の
装備した16インチ(40cm)主砲の1t砲弾に匹敵する炸薬量だったが、後述
する回天〔=人間魚雷〕では、この炸薬量は、3倍以上の1.55tに増加されて
いる。
 
【酸素魚雷の問題点~初期は信管が敏感過ぎた!】
当時の米海軍の魚雷やドイツの魚雷と比較すると、数値上の性能は高かった
ものの、太平洋戦争初期、信管が敏感過ぎて、敵艦に到達する前に横波の
衝撃波の影響で自爆したり、敵艦の航跡に入って自爆したり、敵艦の艦首波
を受けると自爆するといった欠陥もあった。
 
そして、信管の過敏設定については、各国共通の難題でもあった。特に「酸素
魚雷」は高速過ぎて、着発信管しか使えなかった。尚、近接信管である磁気信
管そのものは、日本海軍も後に開発するものの、
この「酸素魚雷」には付いて
はいない。(尚、余談だが、ドイツでは、第二次世界大戦末期には、音響魚雷を
開発した。これは、スクリュー音に向かって自走する魚雷で、日本には無い
魚雷である。)
 
さて、この信管過敏設定問題は、スラバヤ沖海戦で露呈され、対策として、
信管の感度をやや鈍くする事と、魚雷頭部の形状を尖鋭化する事で解決した。
そして、これが、後の第1次ソロモン沖海戦や、ルンガ沖夜戦などでは、
その威力を 遺憾なく発揮する事が出来たのであった。  
 
【酸素魚雷はメンテナンスが厄介という問題】
酸素魚雷の整備・調整には、空気配管内(=魚雷発射管内)の油分を完全に
除去しなければならなかった為、4日~5日間もの事前整備作業日数を必要
とした。(注:空気配管内に、僅かでも油分が残っていると、簡単に爆発事故
を起こしてしまう為、このメンテナンスは、大変厄介な難物だったそうである。)

【酸素魚雷は高価過ぎるという問題~お値段は、酸素魚雷3本で零戦1機分!】
又、酸素魚雷は高価過ぎるという問題もあった。当然の事ながら、本来、魚雷は
使い捨ての兵器である。しかし、酸素魚雷は、余りに高価、且つ、生産量の少な
い兵器で、大量使用には不向きであった。 因みに、どれくらい高価かと言うと、
酸素魚雷3本で、零戦が1機買える。
 
酸素魚雷は1本1本、特殊鋼(注:ニッケルモリブデン鋼。艦艇の側面防弾用にも
使用される特殊鋼。)から削り出す1品物。それ故、演習時には、使い捨てせず、
回収して、何度も使う。そのうち、1本1本のクセまで覚えてしまうそうである。
 
ある魚雷手などは、1本1本、艦の身内の名前を付けて、「身内の名前〇〇
発射!不発!駄目じゃねぇか~。彼女(=敵艦)に嫌われてるぞ!アハハ……。」
と下ネタ混じりで冗談を言ったりした者もいるとか。「 砲雷長の名前〇〇!発射!
轟沈!!どうだ、ワスプちゃん(空母ワスプ)は俺様を受け入れて、愛の魚雷に
溺れたぞ!」と言った具合。潜水艦乗りの世界では、各国共通で、結構、
下ネタを言う者が多かったそうである。(注:興味のある方は、ドイツ映画
『Uボート』をご覧下さい。結構、下ネタが多いです。)
 
こんな調子で、思い入れ(笑)が強すぎて、不発にしたくないから、信管を
過敏に設定し過ぎるという、何とも、日本らしい、涙ぐましい、可哀想になる
ようなエピソードもある。 つまり、「費用対効果」で見れば、決して優れた
兵器ではない。(=資源の乏しい日本固有の考え方である『量より質を重んずる』
余り、簡単には使いたくない兵器という心理(=将棋なら『玉より飛車を
大事にし』の心理が働いてしまうのだった。
 
これは、例えば、戦艦大和をレイテ湾に突入させずに反転し、結果、戦機を
逃すような例もある。将に、『宝の持ち腐れ』である。この教訓は、
『勿体無い精神』という日本人の美徳である一方で、貧乏性でもある我々
日本人の国民性かも知れないが……。)
 
又、日本海軍の魚雷という兵器の使い方に関する評価を酸素魚雷が
一手に引き受けてしまうケースもある。 それは、そもそも、日本海軍では、
酸素魚雷とは、「決戦兵器」という位置付けであり、極論すれば、敵の戦艦を
沈める為の必殺兵器とも言え、日本海軍の「通商破壊戦」に対する淡白さと
連動する問題であり、ドイツなどのように、「魚雷とは、商船を沈める為の
兵器であり、重要なのは命中率である。」の考え方とは対極にあると言える。
 
しかし、日本海軍の酸素魚雷は、対主力艦用兵器として相応の戦果を
残しており、ドイツの「通商破壊戦」の戦果も同様に、それぞれ、別の視点
から評価されて然るべしではなかろうか。
 
【長射程による問題】 この酸素魚雷は、「長射程過ぎて、当たらない」という
問題もあった。最長射程に設定すると、発射から命中まで約35分。つまり、
35分後の敵の未来位置を予測して撃たなければ当たらない。これは
事実上、狙って当てるのは不可能な兵器だとも言える。
 
故に、「魚雷が到達する所に、敵がウヨウヨ居そうな海域、例えば、ガダル
カナルの敵上陸輸送船団やレイテ湾の敵上陸輸送船団に対して、長射程を
生かして、重巡・駆逐艦・潜水艦の酸素魚雷を湾内に集結している敵に、
各艦より、扇状に、一斉発射したなら、下手な鉄砲数撃ちゃ当たると言った
具合で、敵船団を混乱させて、かなりの数を上陸前に撃沈する事も可能
だった。」と、生前に坂井三郎さんから教わりました。
 
又、「制空権が無い海域でも、伊号潜水艦を多数レイテ湾に向けたなら、
話は違ったはずだ。但し、夜戦に限るが。問題は、敵のレーダーだ。」と、
坂井三郎さんは仰っておられました。 よって、日本海軍では、重巡や
駆逐艦でも、やたらと沢山の魚雷発射管を搭載していた訳である。だが、
水雷戦術は、雷跡が発見されにくい、夜戦でないと、ほぼ勝ち目は無いのも
事実である。
 
【長射程によるエピソード】
伊号19潜水艦が、空母ワスプを狙った魚雷の事が上げられる。これは、
空母ワスプに対して、6本の九五式魚雷(=酸素魚雷)を発射し、内3本が
命中。空母ワスプは沈没した。
 
尚、残った魚雷は、普通の魚雷なら最大射程に達したら、ブクブクと沈み、
それで終わりだが、そこは長射程の酸素魚雷。たまたま、別で行動して
いた空母エンタープライズを旗艦とする機動部隊に突入。戦艦ノースカロ
ライナと駆逐艦オブライエンに、それぞれ1本ずつ命中。駆逐艦オブライ
エンは、この時の損傷が原因で後に沈没している。一方の戦艦ノースカロ
ライナは、修理に半年を費やす事となったのだった。
 
【酸素魚雷の優位性の崩壊~レーダーの登場】
酸素魚雷を凌ぐ魚雷は、太平洋戦争中、遂に登場しなかった。日本海軍の
優位は、魚雷という兵器のみで見れば保たれたかに見えたが、その優位は、
思いもかけぬ方向から崩れ去った。
 
【レーダー開発の遅れ】
酸素魚雷の成功に溺れた日本海軍では、レーダーの開発が遅れた。
実は、酸素魚雷が最も威力を発揮するのは、夜間戦闘に於いてである。
夜間、敵から発見されにくい超長距離からの攻撃が可能な事にある。
だが、レーダーが発明されてしまえば、そんな優位は帳消しになる。
それどころか、遥か彼方から、日本海軍の動きは敵に察知されてしまう。
つまり、日本海海戦以来、伝統の夜間攻撃は、逆に米軍有利へと
反転してしまったのである。
 
【人間魚雷・回天】
戦争末期に登場したこの魚雷の名前は、「回天(かいてん)」。人間が
乗り込み操縦する、通称「人間魚雷」と呼ばれた特攻兵器である。
(注:「回天」に関しては、篠原直人様(南溟の桜)様の「回天」のカテゴリーに
大変詳しくご説明されておられますので、解説はそちらに譲ります。)
 
「回天」は、かつて、日本海軍が世界に誇った酸素魚雷の、最後の進化した
姿であった。その悲劇には、涙を禁じ得ない。
 
[参考文献]
伊藤正徳著『連合艦隊の栄光』(角川文庫)
北村堅志著『虚構戦記研究読本』、
『機密兵器の全貌』(興洋社・1952年刊)
 
記事・西日本新聞社朝刊長崎版『三菱長崎造船所秘話・74回「酸素魚雷」』
(昭和45年9月9日)、写真資料:国立国会図書館蔵

以上を参考にさせて頂きました。
本日は、この辺でペンを置かせていただきます。最後までお読み下さり、
ありがとうございました。
 
敬具  平成28年(2016年)11月26日 Y.S.より

2016年11月28日 (月)

NHK Eテレ12月6日午後10時-10時45分放送
先人たちの底力 知恵泉
「ゼロ戦開発の光と影~世界に通用する技術を生むには~」
 
告知させて頂きます。今回は
上記の番組内で使われるゼロ戦のイラストを描かせて頂きました。
45分間のドキュメント番組となっております。
万障お繰り合わせの上、ぜひご覧ください。

2016年11月25日 (金)

撮影に行ってきました

女子高生

女子高生

 
この度はネットアイドルの
杏樹ちゃんのカメラマンを仰せつかり
スタジオで撮影してきました。
 
本人の許可を頂戴しまして
ほんの少しだけ掲載させて頂きます。
 
撮影お疲れ様でした!
今後ともよろしくお願い致します!

女子高生と車

女子高生と車

車を運転する女子高生 
P.S
車も使って撮影しました。というのも、杏樹ちゃんマニュアル車大好き。
モータースポーツファンで、夢は赤い跳ね馬(もちろんHパターンの
マニュアル)
に乗る事だそうです。
 
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こういう感じで様々な状況で撮影承っております。人物も頑張ります。
年齢問わずモデルさん募集中であります。

【蒼穹の戦士】
ある特攻隊員と少年の実話~黎明の蛍
パラオの零戦/誇り高きサムライ~吉田久光上飛兵
ご遺族と共に最後に飛び立ったペリリュー飛行場へ
パラオの彗星/墜落現場へ~永元俊幸大尉
ガドブス島探索~第263海軍航空隊(豹)のエースたち
帝国海軍から航空自衛隊へ~指宿正信大尉の見た空
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」
富安俊助中尉とエンタープライズ
岩本徹三中尉の戦後
赤松貞明中尉の戦後
篠原弘道准尉 ホロンバイルの荒鷲
零戦の雑学 21型から52型 64型まで
われら雷電戦闘機隊
幻の怪鳥「烈風」改
紫電改と343空 第343海軍航空隊全搭乗員リスト
江草隆繁少佐の九九式艦上爆撃機
一式陸攻の見学
さらば!空中戦艦「富嶽」
1/144航空母艦「飛龍」大ミッドウェイジオラマを作ろう
YS-11宇都宮への定期飛行スケジュール
青木義博中尉(稲妻の雷電)
彩雲パイロット杉野さんのお話
飛燕戦闘機隊々歌完成
坂井三郎氏ヒアリングノート(Y.S氏の記録)


【原田要さんの話】
(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

【紫電改パイロット笠井智一さんのお話】
零戦と中部太平洋戦線
紫電改と第343海軍航空隊

【「翔鶴」「隼鷹」零戦隊パイロット増山保雄さんのお話】
航空母艦への着艦・発艦方法を語る(動画)

【一式陸攻搭乗員天野さんのお話】
(1)一式陸攻のイロハ(クルーの役割)
(2)東京初空襲とミッドウェイ海戦
(3)ソロモン海戦水面スレスレでの雷撃敢行

【飛燕パイロット竹田五郎さんのお話】
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(1)
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(2)

【ペリリュー島第二連隊生還者 永井敬司さんのお話】
(1)ペリリュー島のラストサムライ




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パラオ全図島
■パラオ全図(各島詳細)


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