杉田 庄一(上飛曹) パイロットデータベース
杉田庄一(上飛曹)すぎたしょういち
丙種3期
大正13年新潟県の山村に生まれ
農学校を中退して15歳で海軍に志願。
17年3月、6空(204空)配属
ミッドウェイ海戦に出撃したが空戦の機会なく
同年秋、ソロモン進出。ブインを拠点に作戦従事。
一年近く空戦の日々を送る。B-17に単機で突進。
体当たりを持って敵機の右翼をもぎ取り、撃墜。
昭和18年4月18日
海軍甲事件。8機の護衛戦闘機隊の一員として
山本五十六連合艦隊司令長官座乗の一式陸攻護衛にあたる。
来襲した敵機2機を撃墜したが、長官機は撃墜される。
8月26日
被弾、落下傘降下。
全身火傷を負って内地へ帰還した。
7月8日、263空の残存5機(重松康弘大尉指揮)で
パラオ転進の途次、ヤップ付近で空戦となる。この空戦で
生き残ったのは杉田庄一上飛曹一機のみだった。
同月263空が解隊となると201空に編入される。
20年1月、新編成された二代目343空(源田実司令)
301飛行隊へ編入され紫電改で本土防空および
沖縄航空戦に活躍したが、鹿屋飛行場を離陸中に狙われ戦死。
戦死後二階級特進、少尉。