永元俊幸(海軍大尉) パイロットデータベース

永元俊幸大尉(海兵69期)
操縦士。第121海軍航空隊(通称雉)第二分隊長。
ペリリュー派遣隊長。
 
大正10年1月2日生まれ
山口県山口市出身
 
昭和19年6月18日付戦死(戦死後少佐)
23歳。
 
昭和16年12月
第11連合航空隊飛行学生
 
17年8月27日、第61連合航空隊就業
18年2月27日、宇佐航空隊付兼教官。艦攻・操縦
第8分隊士兼第2飛行士
 
7月23日、宇佐航空隊付兼教官 予備学生指導官吏
 
18年10月、香取開隊
10月5日、第502空付 茂原基地
 
昭和19年2月1日、121空、第二分隊長(通称雉)
 
5月16日、テニアン進出。
 
5月31日、ソロン進出
 
6月14日、アンボンへ待避。
 
6月15日、ペリリュー進出。
 
6月18日、ガドブス島残存の零戦隊を率いて
マリアナ沖に出撃。未帰還。同日付戦死。
 
平成12年3月、パラオ共和国ウルクターブル島にて
島民のコウモリハンターが墜落した機体を発見。
後の調査により機体は彗星で、永元機と判明。
コクピットより遺骨を回収。