父の一周忌と新盆
昨年の今頃は父が長い癌との闘病の末、他界し
残された母と共に非常に辛い一年を過ごしました。
父の闘病生活は壮絶なものでした。
私は子供のころから父にクワガタや魚獲りに連れて行ってもらったり、
憧れの新幹線に乗せてもらったり、キャッチボールをしたりと、
とにかくたくさん遊んでもらい、やりたいことは何でもやらせて
もらったので、感謝しかありません。
父の辛い闘病生活から解放された思いと、若すぎる死に対しては
もっと生きてほしかった気持ちと両方あります。
私自身、自営業で親が危篤と雖も、休むことができず
最期の日々を父と過ごすことが出来なかったのが何より悔しかったです。
本当に忙しい一年で「葬式は悲しむ暇さえない」と言われるのは本当で、
今頃になって、悲しい気持ちが募って参ります。
父の闘病生活がいかに壮絶なものだったか、いつか書きたいと
思っていますが、今は悲しみのあまり難しいので、良い思い出を
この機会に少し書きたいと思います。
父との思い出は色々ありますが
父から貰ったもので一番嬉しかった
贈り物(プレゼント)と思い出(エピソード)を
ひとつずつ書いてみます。
父から貰ったもので一番嬉しかったものは「直人」という名前です。
私はこの名前がとても気に入っていて、その名に恥じぬよう、
真っ直ぐに生きることを生前、父に誓いました。
次に、父との思い出で一番嬉しかったのは、私は小さい頃から
航空宇宙が大好きな航空宇宙オタク少年で、初の月面着陸を行った
アポロ11号の実物(帰還した司令船とパラシュート)が来日した際、
どうしても見に行きたくて父に連れて行ってもらいました。母も一緒でした。
そこで実物を見学し、大満足だったのですが、物販コーナーで
アメリカが打ち上げた量産ロケット「アトラス」の打ち上げ時に
散らばった破片の一部が手のひらサイズのアクリルに封入して売られていました。
5000円くらいだったと思います。私は物欲の無い子供でしたが、
それが大宇宙を望むロマンを感じ、どうしても欲しくなりました。
財布を握る母に所望したのでしたが、母は、それの価値がわからず
買ってくれませんでした。高価でただのアクリルと金属片の置物ですから。
それがむしろ普通でしょう。諦めて会場を後にしようとしたところ、
父が私に聞こえないように母に次のように言ったのでした。
「俺の小遣いで買ってやってくれ。足りない分は来月の小遣いから出す」
私は、大喜びで会場を後にしたのでした。父の粋な計らいを母から聞いたのは
私がもう少しだけ大きくなったときでした。
打ち上げられたロケットから剥がれ落ちた破片。
私はそれを「空のカケラ」と名付け、現在屋号にもなっています。
アクリルに封入された空のカケラはいまでもアトリエの一番目立つところに
大切に飾っています。
合掌。