飛行第73戦隊「疾風」操縦士、青木一郎さん。
19年12月、戦隊はルソンへ進出。既に特攻作戦が始まっており、
73戦隊も特攻機を一機出せと命令が下る。
しかし極めて望みの薄い作戦、戦隊の操縦士二十数名、
自ら手を上げる者は一人も居なかった。
青木さん
「今日まで練度を上げつつも多くの戦友を失ってきた。
上空で何層にも待ち構える圧倒的多数の敵機に特攻機も直掩機も全てやられる」
と当時を回想。
よって、クジ引きで特攻隊員一名を決める。
青木さんは「何が何でも生き残って戦うつもりだった」と語る。
生粋の戦闘機乗りである。
▲青木さんと四式戦闘機「疾風」
南方進出前に、所沢にて撮影。