ボーイングB-17フライングフォートレス
B-17フライングフォートレス
欧州連合エアバス社と米国ボーイング社が大型旅客機の二大シェアを占める
今日であるが、1930年代、ボーイング社は倒産の危機にあった。
ボーイング社を救ったのがB-17の正式採用である。傑作機の仲間入りを果たした
本機は総計1万2千機以上が生産され、ボーイング社の赤字からの一挙大躍進
のきっかけとなった。都市への戦略爆撃の可否はここでは触れないが、
本機の存在がなければ日本を焦土と化したB-29も、ハワイ旅行へ連れて
行ってくれるボーイング747もなかったのは事実である。
太平洋、特にソロモン戦域ではB-17は単機もしくは数機で飛来し
高度1万1千メートルを飛行したため、零戦での邀撃は極めて困難であったと
多くのパイロットが戦記に記している。太平洋戦線では早々に引退し
後継機としてコンソリーテッドB-24リベレーターが主力となったが
アップデートされたB-17G、F型は欧州戦線に大量投入された。
本機大編隊によるドイツ本土爆撃は有名である。
欧州戦線におけるB-17のクルーは、25回の爆撃を達成すると
帰国を許されたが、これは無謀な数字である。確かにB-17による
戦略爆撃はドイツ降伏に貢献したがその代償は極めて大きいものであった。
下図は英国のラウンデルが描かれているが、ドイツへの爆撃状況を
連合国側から見たものである。
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