つまらないものですが
取材先のお宅にお邪魔するときなどは、必ず
手土産を持参しますが、お渡しする折、私は
「つまらないものですが」という言葉を添えています。
何かのきっかけで、それを若い人にお話ししたら、
「篠原さん、知らないんですか?最近は『つまらないものですが』っていう
セリフは言っちゃいけないんですよ!そういう場合は『コレコレこーいう訳で
すごく美味しいお菓子なんですけど、よかったらどうぞ!』って言って渡すほうが
絶対印象いいですよ!」
と、言うんです。
そうだったのか!
恥ずかしいことをしてしまった!
早速、家に帰ってからヤホーで問題の語句を検索してみました。
そして数多存在するマナーについて書かれたインターネットコラム等に
目を通してみました。
確かに、最近はあまり使わない表現のようでした。記事の中には
「そのセリフはマナー違反です!」との鋭い指摘も。
でも、よくわからないんですけど
何故「つまらないものですが」が不適切なのか、具体的に
説明されている記事はほとんどありませんでした。
強いていうなら「時代遅れ」かな。
ならば!私は次のような見解を唱えることに致します。
謙遜せず、「これは上等な品物です」と言い切る事例が認められつつある・・・
多様な価値観を共有していこうという考えには私も賛成です。
「すごく美味しいお菓子だから貴方にも召し上がってほしい」
それはそれでいいと思います。そう言われたら嬉しいですもんね。
しかしながら多様な価値観を認める、という事は、古いものを
捨て去る、または否定するのとは訳が違うと思うんです。
両方あってもいいと思います。
だから「つまらないもの」はありです。
新渡戸稲造『武士道』によると
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アメリカでは贈り物をするとき、贈る側は受け取る人に向かって
その品物をほめそやす。しかし日本ではその品物の価値を
軽く言ったり、悪く言い立てたりさえする
アメリカ人の心情はこのような場合
「この品物は素晴らしいものです。これが良い品物でないとすると
あなたに差し上げようなどとは思いもよりません。良い品物でないものを
差し上げることはあなたを侮辱することになります」ということになる。
これに対して、日本人の理論はこうである。
「あなたは立派な方です。どんな贈り物も立派なあなたにはふさわしく
ありません。私があなたの足許に置く品物は私からの感謝のしるしとして
しかお受け取りになれないでしょう。どうぞこの品をその物の価値でなく
私の心からのしるしとしてお受け取りください。最上のものでも
あなたにふさわしい、といえばあなたの品格を傷つける侮辱となるでしょう」
この二つの考え方を並べてみると、つまるところの思想は同じである。
どちらもおかしいことではない。私たちの立居振舞ひとつひとつに
日本人の礼儀作法の感覚があらわれているかといって、その中の
些細な事柄を取り上げて、それを典型として一般化し、原理そのものを
判断するのは誤った推理の方法である。
真実を語る事と、礼儀正しい事、どちらが大切か、という問いに対して
日本人はアメリカ人と正反対の答えをする、と言われている。
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引用おわります。
私は日本語の奥ゆかしさが大好きです。
日本人の奥ゆかしさの根底には、他人に対する誠の思いやり
が存在しているからです。
奥ゆかしさの中に存在する思いやり、根底は何ら変わらない、
欧米ではそれを愛と呼びます。
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