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2016年8月29日 (月)

竹田五郎さんのお話「飛燕」高度1万メートルの戦い(2)

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Q、篠原
竹田さんがお乗りになった戦闘機は

九七戦、一式戦(隼)、二式単戦(鍾馗)、三式戦(飛燕)、
最後は五式戦、いうことでよろしいでしょうか。四式戦(疾風)以外全部ですね。
 
A、竹田五郎氏
そうですね。九七戦から始まって、一式戦、二式単戦、三式戦、五式戦と
乗って、四式戦だけなかった。
 
Q、一式戦(隼)が旋回性能で二式単戦(鍾馗)が一撃離脱で
 

まあ、旋回性能というのは一式(隼)のほうが良いでしょうね。
何せ軽いですからね。小回りがききましたな。さらに、その前の
九七戦はもう本当に自由自在で、軽快な飛行機でした。
スピードは二式単戦(鍾馗)は重たいから突っ込みがあるし、
速度も出ます。着陸の速度も10キロかそこら多かったと思います。
なんとなく重たいという感じはします。
一式戦(隼)の操縦者が二式単戦(鍾馗)に乗り換えると
ちょっと苦労したと思いますね。
だけど飛行機は飛行機。そんなに変わったことはない。
 
Q、隼と鍾馗の開発者、糸川英夫博士は一式戦(隼)を短剣
二式単戦(鍾馗)を
長槍として、ペアとして運用を考えていたそうですが、
それぞれ、特徴をいかして戦法を変えたりはされましたか。
 

それは特に考えたことは無いですね。
同じように飛びました。ただ、一式戦のほうが小回りきくでしょうな。
 
Q、三式戦(飛燕)は如何でしたか。
 

三式戦(飛燕)は水冷ですからね。ちょっと使い方が違う。
だけど操縦そのものは変わらないですからね。
機首が長いですから、離陸の時ちょっと前が見えないだとか
違いはありますが、だけど飛行機は飛行機。
 
ただ水冷と空冷となれば、水冷のほうが事故は多かったでしょうな。
特に南方では三式戦(飛燕)は事故が多かったですね。
水漏れ、油漏れっていうのがありました。
 
Q、五式戦は如何ですか。
 

五式戦はよかったですね。五式戦がもう少し早く出ておれば、
だいぶ高高度戦闘にはよかったと思います。
やっぱり八千メートル以上になると、二式戦も三式戦もダメで、
四式戦は多少は良いかもしれないけど八千
メートル以上になると難しくなる。
 
八千メートル以上になると編隊が組みにくかったですなあ。
八千から八千五百メートル位ですよ。まだやれるのは。
一万メートルになる頃にはバラバラです。
 
編隊組んで最初はついてきてるけれど、映画に出てくるような
一万メートルで9機編隊なんてやったことない。
2機でくっついて
動けるのが精一杯でしょうな。
ちょっと旋回すれば失速するというような
状況ですからね。
一人でフラフラ飛んでいるような状態です。
B-29はゆうゆうと飛んでいる。
 
Q、飛行第244戦隊の飛燕でB-29を邀撃されたお話しをお伺いします。
 

もう攻撃と言ってもね、後ろから攻撃なんて八千~九千メートルでは
出来ないですな。というのは九千メートルで攻撃しようと思ったら一万メートル
で待っとかにゃならない。一万ではもうフラフラですよ。ただ、よっぽど良い時に
運よくB-29の前に居れば攻撃出来るでしょうけどね。
 
こちらが一万で、むこうが九千くらいなら、まだやりやすいですね。
B-29が離れたところにおれば、もう旋回しているうちに落ちていきますから、
前方攻撃は難しいですけれどね。ただ、大型機の編隊は簡単には回りませんから
高度さえあれば落とせるんですよ。
 
確か小林照彦戦隊長が体当たりしたというのは、
B-29の高度が九千五百メートル位。小林戦隊長の飛燕が一万五百メートル
から
攻撃かけて、失速状態の突っ込みですからね。最後は舵が利かないですよ。
 
Q、昭和19年11月1日に東京にはじめてB-29が偵察に来ました。
そのとき、最初に上がったのが竹田さんでしたね。
 

あのときは一面青空でした。キラーンと光るB-29の機影に、
見事な飛行機雲ですよ。
 
私だけでなく、各飛行隊あがったけれど
あんまり傍まで寄ったのは無いです。仰ぎ見ただけです。
B-29とは高度差五百メートル以上はあったでしょうね。
後を追いかけるったって、旋回がフラフラしてますから
追い付けない。あの飛行機を攻撃した者は誰もおらんでしょう。
見たものも少ないでしょう。
 
Q、竹田さんご自身がB-29攻撃された模様を教えてください。
 

それは何回もありますけれど、私はお恥ずかしいけれど
戦隊の中で撃墜王と言われるような事はそんなにやっておりません。
私が撃墜したB-29は1機だけです。撃破したのは2機。
 
そのときは単機です。上がってゆくスピード、飛行機のちょっとした
馬力の差(僚機)で
旋回させるとついていけなくなる。もうバラバラです。
 
Q、その撃墜した一機はどんな状況だったのですか
  

これはもう、相手が海の方に帰っていくやつを。もしかしたら
既に撃破されていたかもわかりません。
高度五千くらいだったですかな。
追いかけて行って、撃墜しました。
 
Q、B-29のどの辺りを狙うのですか
 
A、
胴体の真ん中狙うと、エンジン四つありますからな、結果的には
それのどっかに
当たったんでしょう。
 
時速250キロから300キロ同士くらいでこう、ぶつかる。
とにかくB-29が5機6機、7機編隊になりますとなあ
雨あられですよ。飛行機から撃ってくる弾を見たときは
翼端からこうパパッと避けて行く。夏みかんをパパッとさくみたいな、
それが距離近付くと
火の玉のような、よく絵に描いてありますが。
 
B-29の火砲は
前だけでも少なくとも4門はこちらを向いている。
それが9機編隊だと36門向いている訳です。こっちは2門位ですからね。
そういう状況ですから
一瞬の間ですからね。
 
私の飛行隊は非常に戦果をあげてますけれど、
飛行隊毎の待機位置が決まっていて
うちの部隊は富士山の北の大月上空が待機場所だった。はじめはね。
 
次の部隊が荻窪上空。
 
最後の部隊が宮城(きゅうじょう)直掩隊でした。
 
Q、B-29、2機の撃破をされていますが、それはどういう状況ですか
 

編隊組んで、前方法で攻撃しました。ほとんど前方から。
そしたら煙吹いて。そのまま追い続ける暇ないですから。
次の編隊が来ますから。
 
Q、被弾して不時着された時のお話をお聞きします。
 
不時着は何回もしましたよ。田んぼとかなんかにね。
落下傘降下もしました。
 
それから私は、夜間邀撃で友軍の高射砲に当たった。
夜間の高高度邀撃は手も足も出ないというのが本音ですね。
ただし夜間はB-29も低空ですからね。三千メートルくらいで空襲に来る。
 
それに照空灯(サーチライト)がつけば、という条件が揃えば
攻撃できます。照空灯がつかなければ真っ暗で見えないですから。
運の良い人は照空灯がなくても月夜の晩で
突っ込んで行ってね、月の光で落としたんですけれどね。
一度の攻撃で二機落としたのが居りました。
 
私の場合は、B-29を追いかけている時にバっとエンジンの回転が
変わったんですな。高射砲が飛燕のエンジンを貫いたんでしょう。
B-29には当たらんで私に。
 
あるいは
その晩、海軍の飛行機も上がってましたから、それの弾
かもわかりません。
自分の機体に当たったから、松戸の飛行場の
上空まで来て
「高射やめ」と無線で言った。それで松戸の飛行場に
不時着しました。
 
Q、戦友の思い出を聞かせて頂けますか
 
A 
四宮徹中尉は私が中隊長だった頃の先任将校でベットは隣。
よく一緒に飲みに行って、遺言状だとか家族に宛てた手紙だとかを
預かっているんです。この人は本当にB-29に体当たりで翼(ヨク)の
この辺り(日の丸の辺り)から切って突っ込んでいきました。
その飛行機をみんな間違いなく見ていました。
最後は特攻隊でした。
 
それから、この板垣政雄君(軍曹・震天制空隊)というのは落下傘降下して。
 
体当たりしようとしてB-29の上に乗っかったのが中野。
体当たりは二回やったかな。
 
生野(生野文介大尉・そよかぜ隊)は体当たりしてない。
生野は飛行隊長で特攻隊員じゃないですから。
彼は夜間飛行でだいぶ落としてますけれども。
友軍高射砲に撃墜されたようなものでしたよ。
 

うちの飛行隊で一番落としたのは7機落としたのが居りますよ。
要するに、良い時期に良い位置で、発見が早い事が必要なんですね。
自分が一万メートルの高度をとっていれば何とかなるでしょう。
特攻隊員でない者で、体当たりしたのは小林戦隊長だけです。
 
Q、それが五式戦だったら随分戦えましたか?
 

随分はないですね。「いくらか」ですね。
五式戦でB-29の邀撃したことはないけども、たぶん、よかったろうと思います。
性能はよかったから。五式戦で邀撃は一回かな。ほぼ知覧におって
攻撃任務に使いましたから。
 
Q、戦闘機とも空戦して撃破されていますね。
 

五式戦で相手したのは艦載機ですね。グラマンF6FとF4U。
私が撃破したのは、F6Fかな。昭和20年7月です。
最後までは見ておりませんが、あの様子なら海の中に落ちたとは思うんです。
 
その時、弾が出なかったんです。
試射した時はちゃんと出たんですけれど
いざ攻撃したら故障なんです。それでも最初、10発ぐらい撃って
F6Fを撃破した。F6Fは白い煙を噴いていきました。
 
F6Fの後ろの位置(斜め上後方)につけていたので、
あれは当たらん筈はないです。
ただ、弾が出なかった。
それで残念だったけど、引き上げる時に、
今度は私の方に敵機の
弾が当たって。それが五式戦の
風防の枠に当たっていた。
  
 
 
つづく
 
平成28年7月インタビュー
 
証言者プロフィール
竹田五郎元陸軍大尉
大正10年生まれ
第244戦隊で三式戦、五式戦で本土防空戦を戦う。
戦後、航空自衛隊F86Fパイロットを経て、空将、航空幕僚長を
務める。
 


YouTube: 飛行第二四四戦隊歌(飛燕戦闘機隊々歌) 唄:御堂諦

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