三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室で
零戦(ゼロ戦)と秋水を見学したので簡単にレポートする。
国内でも数少ない本物のゼロ戦と、世界で唯一の「秋水」を
保存している同史料室は、名古屋空港(小牧空港)、そして
航空自衛隊小牧基地に隣接する、三菱重工業名古屋航空
宇宙システム製作所の敷地内にある。
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
見学は無料だが原則、事前の電話予約が必要で、入場も
月曜日と木曜日の9時から15時までと限られている。
(祝日など工場休止日は休みとなる)
ここは観光施設でない。老若男女、国籍年齢を問わず
見学は可能であるが、あくまで三菱さんのご厚意で
見学させてもらっているので、困らせるようなことや、我儘を言ってはいけない。
それでも電話対応から見学に至るまで、三菱さんは
誠に丁寧に対応してくださり、頭が下がる一方であった。
史料室は格納庫一ヶ所をまるまる使っていて、
ゼロ戦と、秋水、MU-2の三機が展示されている。
まずは零戦から見学する。
もともと、この零戦はヤップ島に残されていた機体で、欠損していた部品は
ニューギニア等から回収してきたものと合わせてニコイチサンコイチで
復元された機体である。
ヤップ島、ということは
第261海軍航空隊(虎)、第263海軍航空隊(豹)
第265海軍航空隊(雷)、第343海軍航空隊(隼)あたりが拠点にしていた
飛行基地であるので、ベース機は、このいずれかの航空隊の機体で
ある可能性があると小生は推測する。展示機尾翼の機番号は未記入。
他の方のブログなどを拝見すると、
見学者が少ないときはコクピットに座らせてもらえるらしい。だが
この日はなんと、隣接する小牧基地でX-2(神心)の初飛行の前日だったので
見学者が多く、言い出せる雰囲気になかった。訪問日時を調整できる人は
暇そうな時期を狙うべき。
そういった事で、三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の
ゼロ戦はコクピットに座らせてもらえる日本で唯一の零戦。
三菱に感謝。もし、マナーの悪い者がいれば即座に中止になりかねない
極めてデリケートな計らいであるから、今後も続けてもらうべく、
着座の際は係員の注意をよく聞き、マナーに充分気を付けたいところ。
余談だが映画のセット(永遠のゼロで使用したもの)でよければ
大分県の宇佐に保存してあるので、こちらも検討されては如何だろう。
座って記念撮影もできる。詳しくはこちらの記事で→宇佐市平和資料館
零戦巡りの旅をしていて方々で零戦を見てきたが、この他には
海上自衛隊鹿屋航空基地資料館では座らせては貰えないが、
かなりコクピットまで迫れる上、係員が代わってコクピットの
操縦桿などを動かしたり、ラダーなどを動かしてくれた。
美しいフォルムである。
零戦は三菱製と云われているが、厳密にいえば
三菱が機体を設計製造、エンジンを中島飛行機が設計製造した。
当時の日本の二大航空機メーカーだが、マスプロ力(総合生産力)に優れていた
中島飛行機は三菱から設計図をもらって、ライセンス生産を行った。
海軍さんの命令によって、
三菱と、中島飛行機、両方の飛行機会社で造られたということになるのだが
結果的に終戦迄に中島飛行機がより多くの零戦を製造した。
ここにあるのはもちろん三菱製であるので
三菱製零戦の特徴がはっきりわかる。三菱製と思われる零戦は
靖国神社遊就館にある零戦と、大刀洗平和祈念館の三二型
浜松、あれも三菱製であるが、その他日本に現存する零戦は
ぜんぶ中島飛行機製のカラーリングだ。
塗装に関しても、当然、海軍さんから
「ゼロ戦の色はこの色で、こういう風に塗んなさいよ」と指示が
あったはずだが、こうして見比べるとケッコウ違いがあるのが興味深い。
以下は小生が解る範囲で描いた絵。
機体のカラーリング/三菱系と中島系の違い
いずれにしても、史料室の方は皆、とても良い方なので、
ゼロ戦マニアの方、あまり意地悪な質問はしないように!
見学態度は常に紳士的であれ。
次に、秋水を見学する。
世界でたった一機の秋水。
秋水は国産初のロケット戦闘機で、機体、エンジンともに
三菱独自で開発したもの。よく秋水はドイツのMe163コメートのコピーだとか
云われるが、それは誤りで、ドイツ様からロケットエンジンの技術供与は
成功したものの、設計図をドイツから日本に持ち帰る途中、潜水艦とともに
沈んでしまったので、三菱の日本人技術者がイチから開発した。
唯一、参考にしたといえば、潜水艦が沈む前に先に飛行機で日本に
持ち帰られた三面図のみ(単なるスケッチ)で、これをもとに
「ロケット戦闘機というものは、たぶんこうじゃ!」と独自に
三菱がエンジンから機体から全て開発してしまったのである。
この辺りの説明は、係員の方がよーくしてくれる。
B-29を撃墜すべく、開発された秋水。
ロケットエンジンなので、どんなに空気が薄くても
推進力が落ちず、高高度まで僅かな時間で上昇できる。
B-29の直上より一撃を加え、離脱するのだ。
ただし、秋水の燃料は3分で尽きるので、その後はグライダーとなり
基地まで滑空する。その間は、もっとも脆弱になるのでゼロ戦が護衛
するのだ。秋水はゼロ戦とセットでの運用が不可欠であった。
小生は、この秋水の開発と初飛行に携わった元整備兵の方とご縁があり
当時の思い出を多く聞いていた。犬塚大尉のこと、初飛行で
支えていた翼を離して滑走路を飛び立っていったときのこと・・・
ここに少しだけ書いてある。昔書いた三流小説というか、
作文みたいなものなので稚拙で申し訳ない。
それでもぜんぶノンフィクションなので参考になれば幸い。
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」中野整曹の回想
犬塚大尉の搭乗した試作秋水は試作機カラーのオレンジ色(あるいは黄色)
だった。これは実戦機を模して塗装されているが、格納庫の蛍光灯との
兼ね合いもあり、写真ではなかなか再現できない色だ。展示機の秋水は
黄緑色に近いが・・・・とにかく実際に見学してほしい。
コクピットは外側から見学するのみ。
パイロットは酸素マスクをして乗り込む。
あの日の追浜飛行場、ロケットエンジンの陽炎と、
犬塚大尉の面影を感じる!
施設内にはお土産を扱う売店がある。
ファンには垂涎に違いないグッズが揃っている。お小遣いが
いくらあっても足りないくらいだ。
この売店は三菱の購買のような感じで、工場に勤める社員さんたちも
買いにきていた。帰省のとき、お土産を買って帰るらしい。売店の方は
「今来た外国人さんはロッキードの人かな?」と言っていた。
さすが軍需産業。いろんな人が居る。
ここでは零戦はもちろん、なんといっても秋水のグッズ
ここだけだし、MRJのグッズは貴重。
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学でした。
◆アクセス
JR名古屋駅から「県営名古屋空港行きバス」に乗る。
「三菱重工南」停留所で下車。
片道700円(タクシーだと4000~5000円くらい)運航本数は1時間に
2、3本程度。名古屋高速の混雑状況に依るが約20分程度。
正門をくぐって守衛さんの要るゲート方面へは進まず、正門入って右側の
「史料室」と書かれた看板のある方へ進むと工場とは別に
史料室への入口があるのでこちらへ進む。予約者名を伝える。
!間違いやすいポイント!
!市営バスではないので注意!
!「県営名古屋空港」は「中部国際空港」とは違います!
!名古屋空港まで行くと行きすぎです。ひとつ手前の三菱重工南で降りましょう!
見学申し込み先・電話番号はこちら
名古屋航空宇宙システム製作所史料室
こんにちは。
名古屋に来られていたんですね。
ここには4~5年ほど前に見学に行きました。
平日ということもあり、2~3組しか見学者が居らずゆっくりと観る事ができました。
たまたま三菱の来賓が来て、コクピットの横のタラップの柵が外されていたので、至近距離で見学できました。
秋水はMe163のコピーだと思っていましたが、設計図や機体供与を受けていた訳ではなかったのですね。
ボランティア(?)さんの説明では、復元の際にエンジンの取り付けか何かの関係で、カウル形状がオリジナルとは若干異なる旨教えてもらいました。
機体保全のため、ここはずっと予約制を続けてほしいです。
投稿: ふらんか~ | 2016年4月29日 (金) 08:14
(追伸)
名古屋航空宇宙システム製作所資料室の写真は、「友人のみ公開」ながらFBのアルバムに載せてあります。
ゼロ戦の風防の一番後ろに穴が開いている(空気抜き?)のをこの時知りました。
投稿: ふらんか~ | 2016年4月29日 (金) 08:19
ふらんか~様
名古屋へ行ってきました。X-2初飛行の前日ということで、
とても慌ただしい様子でした。
新入社員と思われる方々も一緒で、熱心にメモを取っていました。
社員研修として実施しているようです。
そうですね。ここは予約制を続けてもらいたいものです。
写真も拝見します!
投稿: 篠原 | 2016年4月29日 (金) 11:18
篠原 直人様 初めまして、名古屋在住のメカ屋です。ゼロ戦は幼少の頃からずっと気になっており、いつかは実機を見たいと思いつつなかなか見る機会がありませんでした。というか今は時間とお金の都合が付けばすぐに見れたのに今日までかかってしまった事に少し後悔を募らせていました。去年、九州を飛んだゼロ戦を見に行けなかった事がきっかで、今年の1月にゼロ戦を見るだけの目的で東京の遊就館を訪れました。そして続いて3/9、ここ名古屋航空宇宙システムの資料館を訪れました。生まれてこの方、今までずっと実機を見たことがなかったので、ゼロ戦を端から端まで眺めて、優れた設計に感動し、運命の歴史に悲しみ、複雑な気持ちで過ごした時間でした。メカ屋にとっては過去の偉人たちの偉業の痕跡をこの長い時を経て今この目の前で見れることに感動と喜びに感謝しています。今までWebなどの写真でずいぶんと”勉強”してきたつもりでいましたがまた今回、新たな発見がありました。それは主脚カバーの構成で主翼中央側の三日月というか半月形のカバーの尖がってる方の先端が折れる構造になってる事に気づき、なぜカバーごときにそんな先端部がまた折れる構造になってるのかと謎でした。しかし今回、名古屋航空宇宙システム展示のゼロ戦を見て謎が解けました。すでにお気づきかと思いますが、なんと増槽タンクの干渉よけにカバーの先端が折れて逃げていたのです。遊就館のゼロ戦には増槽が装着していなっかたのでわからなかったのですが、なんとも手間のかかる事をやってるもんだと感心しました。その他、お話したことは山ほどありますが、話が長くなるのでこのくらいにして、ただ、現物を見て思うのは飛行機としては優れた設計をしてる反面、それが戦闘機であるがうえに人命の保護機能が優先されてないのがなんとも心が痛む思いです。堀越二郎はじめ他の設計者たちはどんな思いで図面を引いていたのか心の内を聞くまでもないかと思いましたが、当時の日本が置かれている状況を考えればそういう設計をしないと日本が勝てないという現実に本当に胸が詰まる思いでした。今回の名古屋航空宇宙システムの資料館を訪ねる際に篠原様のブログが非常に勉強になったことについてお礼申し上げたいと思います。
話が長引いて申し訳ありませんが実はこの日、もう一つ各務原の航空博物館に展示してある飛燕も見てきました。こちらはなんと機体を分解した状態で見れるまさしく今だけの貴重な展示でした。設計屋にとっては中が見れる事がどれだけ喜びになることか、少しだけ話しますと飛燕は”設計会社”が異なるというのか設計に対する”仕様”がゼロ戦と異なりゼロ戦が極限まで詰めた念密な設計をしており、各タイプごと胴体、主翼、尾翼にいたるまで一体構造を成しており、それに対して飛燕は大きな余裕のあるエンジンに、機体の構造に至っては主翼が前後に移動できる構造になっておりエンジンや火器類の設計変更で重心が変動してもそれに合わせて主翼の位置を容易に変更ができるなど、尾翼部分もSUBアセンブリで容易に付け替えが出来るようにとか”仕様変更”に簡単に対応できる余裕設計になってました。同じ戦火の時代を共にしてきた”戦友”とは思えないくらい両者の対照的な設計にまた新たな発見を収穫にこの日を終え帰還しました。いまだ興奮が冷めないため一筆書かせていただきました。一筆にしては長い、長文失礼しました。
投稿: yamamoto hiroshi | 2017年3月12日 (日) 03:03
yamamoto hiroshi様
はじめまして、専門家の方からの貴重なご意見
誠に興味深く拝読しました。
煮詰められた設計の零戦に対し
飛燕の構造は柔軟なものだったのですね。
驚きです。
投稿: 篠原 | 2017年3月15日 (水) 13:47