一式陸攻の操縦席より
元一式陸攻搭乗員、天野さんに
お話を伺った。
天野さんは三沢海軍航空隊で
一式陸攻に搭乗し、ドゥーリットル空襲で
の索敵、のちミッドウェイ海戦に参加、
最後はラバウルから出撃し、水面
すれすれで敵艦船に雷撃を敢行したが
対空砲火で被弾、機は炎上しながら墜落。
乗員7名のうち6名が戦死。天野さんは
炎上する機体から脱出し唯一生還した。
一式陸攻(中攻)の損耗率は非常に高い。
生還できたのは幸運中の幸運と言えよう、
「特攻隊は一度限り、だけどわしらはラバウルから出撃して死ぬまで
使われる」という言葉が印象的だった。
まずお借りしたこの写真は一式陸攻のコクピットで撮影した一枚。
天野さんが写っている側が主操縦席(右側)で、左側は
副操縦席となる。
一式陸攻は七人乗りで、原則、常に同じペア(同じ機体のクルーの意。
3人以上でもペアと呼んだ)で飛ぶ。天野さんもドゥーリットル空襲索敵の
初陣からミッドウェイ(ウエーク島発進)、ラバウル進出まで、いつも
同じ仲間と飛んだ。
一式陸攻の戦いを
少しずつ書いていくことにしよう。
一式陸攻については写真が多くあります。こちらをご覧ください。
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