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2014年8月 8日 (金)

坊津の美しい海と悲しい歴史

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▲坊津・丸木浜 
 
鹿児島県・坊津(ぼうのつ)へ行ってきました。

海の美しさは沖縄と比べても遜色ないものでしょう。
上画像は「丸木浜」です。
 

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▲坊津・馬込浜 

こちらは、さらに奥へ行ったところにある
「馬込浜」です。砂のきめ細かさは屈指です。
穏やかなので小さな子供を連れての海水浴にも最適です。
 

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戦艦大和と坊津
坊津といえば、戦艦大和が沈んで2日後くらいから
大勢の水兵の遺体が流れ着いたと伝わっています。
 
現地民が浜に埋葬し、階級章からわかった氏名をもとに
墓標をつくり戦後数十年は立っていたのですが、現在ではその位置も
わからなくなってしまいました。
 
米軍のパイロットの遺体も多く流れ着いて埋葬されたそうです。
これを知ったアメリカ人は感涙したそうですが
現地民にしてみればとにかく腐敗臭がひどく、
埋めるしかなかったと、いった理由からでした。
 
馬来丸慰霊碑
上は陸軍の兵隊が乗っていた輸送船「馬来丸(マレー丸)」の慰霊碑です。
坊津沖で被雷し、沈没。山岡少佐以下37名は自力で泳ぎ
ここへ上陸しましたが、力尽きました。
 
恵比寿様の埋葬跡
砂浜近辺の茂の中には、祠(ほこら)のようなものや
四角く結界を張った跡など昔、兵士を埋葬したと思われる
痕跡が残っています。

 
水死体はその姿から恵比寿様と呼ばれ
発見した漁師さんや地元の方々が埋葬してくれたのでした。
流れ着いたご遺体の数は相当なものだったでしょう。
 
しかし今や過疎化が進み、当時を知る方は
ほとんどいません。

コメント

こんばんは。鹿児島に来られていたのですね。坊津の浜に大和を旗艦とする第二艦隊の大勢の水平の方々のご遺体が流れ着いた話は知りませんでした。馬来丸の慰霊碑の話も知りませんでした。地元なのに情けないです。

桑原様

梅雨入り前に滑り込みで参りました。
ちょうど、私が鹿児島を出発する日、梅雨入りが発表されました。

いえ、さすがにこれは地元でも知らない方が多いと思います。
慰霊碑の周辺は草刈がしてありましたが
過疎高齢化が進む中、今後の維持は切実な課題です。

そうです。大和だけでなく、第二艦隊の全ての方ですね。

久し振り~!大和最後の地である坊津に居を構え、目の前は大和の眠る青い海です。今は大和及び第二艦隊乗員の墓を細々探しています。最近面白い話を聞きました。坊津から野間岬に行く途中の海域に船が撃沈されたと---どうも浮上して指宿海軍基地所属の水上偵察機に撃沈された米潜水艦ではないかと思っています。確か指宿航空隊の記録見てたら出てきたんですよね。昔のことで今は発見出来ないけど---多分記録が正しければ撃沈した船は米潜水艦ケートだと思います。

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