林喜重大尉の紫電改~折口を守った神様
折口の浜に眠る林喜重大尉の紫電改
鹿児島県阿久根市折口浜の浅瀬に一機の紫電改が眠っています。
第343海軍航空隊、林喜重大尉の機体です 。
林大尉最後の戦い~B-29へ捨て身の攻撃
昭和20年、4月24日、B29の編隊が阿久根を空襲。
余勢をかって、ここ折口まで 爆弾を投下しました。
現在、折口駅がありますが ちょうど線路を挟んで南にあたる
阿久根側は焼けたのですが 折口側は無事だったのです。
折口だけが焼けなかった理由
B-29が折口の爆撃進路に入ったとき
一機の紫電改が突っ込んできました。343空、林大尉の機体でした。
林大尉はB-29直上より、一撃攻撃を加えると、さらに反復して執拗に
食いつきました。 これにひるんだB-29は爆弾を全て捨てると、
遁走にかかりました。
林大尉の紫電改も被弾し、満身創痍でしたが
B-29に最後の一撃を加えると、ついにB-29は煙を吐きました。
おかげで折口の町はは焼けなかった。
「だから、わしらは林大尉は神様だと思っている」
住民はそう語り、そのとき林大尉が放った薬莢を
大切に持っていました。
増槽タンクが落ちなかった
林機は増槽タンクが故障により切り離せず、つけたまま戦ったそうです。
空戦後、大尉は沖へ不時着を試みましたが増槽タンクが抵抗となり
着水と同時に おおきく前のめりに突っ込み、頭がい骨骨折により
戦死しました。 この慰霊碑は林大尉を荼毘に付した場所に建てられています。
この話は鹿児島在住の私の友人が折口で取材して まとめた話です。
ある日、戦史研究者がやってきて、この話をしたそうです。
そして、特に許可した覚えはありませんが、この話ほぼそのままの形で
雑誌「丸」に掲載されました。 器の大きい友人は「まあ、よか」ということに
して、特に何も言いませんでした。
林大尉の慰霊碑へ
野球場のフェンス奥へ入っていきます。
見えてきました、地元の有志が清掃してくれていて
綺麗です。
林喜重大尉(戦死後少佐)碑文
松の梢よ 磯吹く風よ
お前は覚えているか
あの雲の彼方に
散っていった戦友のことを
心あるなら伝えておくれ
私の故郷鎌倉の海のような
美しいこの折口の浜で
心ゆくまで語ろうではないか
▼再現作画(推測)
阿久根の折口にこのような慰霊碑があるとは知りませんでした。時間を見つけて訪れて見たいと思います。
投稿: 桑原 | 2014年8月10日 (日) 20:41
桑原様
野球場の裏側にひっそりと残る慰霊碑です。
このバックネット近くの白い案内板もごく
最近設置されたそうで
それまでは、ほとんど知られていなかったようです。
小林大尉の機体が沈んでいるのも、ちょうど
この慰霊碑の沖、一直線上だそうです。
投稿: 篠原 | 2014年8月15日 (金) 20:37
小林大尉ではありません。林少佐に修正してください。
投稿: | 2022年6月 3日 (金) 10:55
令和7年1月から度々NHK、鹿児島福岡の民放で祖国の為に戦った多くの戦士の1人、林喜重少佐の話と「紫電改・林大尉機(戦死後、少佐に昇進)を引き揚げる会」の取材中心に放送されていました。増槽タンクが故障により切り離し出来ず、そのままB29迎撃を続け、最後の不時着では増槽タンクが原因で、頭蓋底骨折で死亡したとのことで、やるせない気持ちです。私の故郷である北九州市でも2019年8月20日の八幡空襲の際、野辺重夫軍曹・高木伝蔵兵長 搭乗の屠龍が、B29への体当りし戦死、2機撃墜。屠龍が墜落した折尾に記念碑があり、さらに全国に複数、体当たり攻撃の記録が残されている事を小学生の頃、平和授業で知りました。の記録が現在の若い世代に語り継がれています。結果として、このような記念碑が私達日本人に純粋に祖国の為に戦った彼らと現在の平和の尊さを教えてくれます。話は戻って、紫電改・林大尉機の引き上げが実現する事を切に願います。
投稿: 柴崎 | 2025年4月28日 (月) 15:40