昭和20年(1945)8月15日
玉音放送の後、ここ大分飛行場より、宇垣纏中将の命により
1番機操縦中津留達雄大尉をはじめとし、宇垣自身を含む
11機、総員23名搭乗の彗星が神風特別攻撃隊として沖縄へ出撃した。
(うち3機は不時着)いわゆる終戦後の「宇垣特攻」であるが
彗星隊が飛び立った地に、戦没者全員の名が刻まれた
慰霊碑が残されている。
大分飛行場は戦後、民間飛行場を経て
現在は野球場や各種スポーツ設備を備えた
大洲総合運動公園となった。
慰霊碑は現在も生花が供えられ
綺麗に維持されている。
アクセス:大洲総合運動公園
大分市青葉町1番地
慰霊碑はテニスコート西側、芝生の広場一画にある
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