パラオの戦跡を調べるようになって随分と経ちましたが、まだまだ
書きたいことがたくさんあります。お見せしたい写真もたくさんあります。
決して出し惜しみしているのではなくて追い付かないのです。
資料も揃っていて、出版もしたいのですが、
自分一人で自宅で細々と作業しているものですから、なかなか進みません。
しかし少しずつではありますが、パラオ戦跡の現状をお伝えしたく
書いて参ります。
今回はアンガウル島平和慰霊公園の除草作業の様子です。
運よく船のエンジンが好調だったので単身、アンガウル島へ渡りました。
私は久し振りに訪れる日本人でありました。
船が波止場へ入港すると大勢の島民が集まりとても賑やか。もちろん
年配者で日本語を喋れる方が居て、暖かく迎えてくださいます。
早速、慰霊公園の様子を見に行きます。
南の島には冬がありません。よって一ヶ月も放置すればご覧の通りで
英霊に申し訳ない・・・。兎角アンガウル島は交通の便が悪く
清掃などが行き届かないのです。
まず、雑草を片っ端から引っこ抜きます。
時間がかかりましたがなんとか終了し
コンクリートの土台には米松の葉がたまっていたので掃き掃除して、
慰霊碑を綺麗に拭いたら完了です。
綺麗になりました。慰霊碑は画面右から
■少年の象
■砲兵隊慰霊碑
■船坂弘氏建立の慰霊碑
■下野観音象
(栃木県知事横山信夫1973年)
■守備隊長後藤丑雄大佐の墓
(無名戦士の墓から改め)
■アンガウル戦没者慰霊碑
■沖縄の塔
■各個人慰霊塔
の順に並んでいます。
綺麗になったところでようやく慰霊ができます。
「これを兄貴に飲ませてやってくれ」
ご遺族から預かってきたお酒をお供えします。
栃木の地酒です。
おそらくここで散華されたのでしょう
激戦のレッドビーチにも注ぎました。
熱帯低気圧が来ているのでだいぶ海が時化てます。まさかこの後
帰りの船が欠航になって10日間も島に閉じ込められるとは
この時点では思いもしませんでした。
つづく
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