パラオ人の証言~幻の楽園
幻の楽園
もしタイムマシンがあったなら、私もそんな美しく夢のような街を歩いてみたい。
これは私が現地でパラオの年配者にインタビューして制作した動画で
ご覧の通り日本語がベラベラである。そんな南洋一の繁栄を極めた
コロールも昭和19年3月末の空襲で楽園は灰燼に帰した。
戦争の話をする前にパラオと日本の関わり合いについて
是非記しておかねばならない。
日本委任統治時代~欧米植民地との違い
日本による統治は欧米の植民地政策と如何なる点が異なったか
ある年配パラオ人男性もまた当時を回想して次のように語る。
「日本時代の学校教育は、ひとりひとりに責任という概念を与えてくれた。
それはとても重く厳しいものだったけれど、私は嬉しかった。」
海に囲まれた小さな南の島で、近代化とは無縁なれど独自の文化で平和に
暮らしていたパラオ人。日本の統治によって、近代化をもたらしたことが
彼らにとって果たして幸せだったかどうかはさて置き、時は乱世にあり
近代国家との接触は避けては通れない道であった。彼らはいずれかの国に
属することを選ばなければ、生き残れなかった事は確かだ。
パラオは長きにわたりスペイン帝国、次いでドイツの植民地であった。
ドイツが第一次世界大戦で敗れた後、国連決議により日本の委任統治が
認められ、正式に日本の一部となった。
こうして日本の国土となったパラオであるが日本は貧しい国である。
大国アメリカのように彼らに分け与えられる食料など無い。
そこで彼らパラオ人に学問を広め、自ら働いて食べる術を教えたのである。
何より武力での支配は長続きしないことを我々日本人は知っていた。
日本統治時代にはパラオ各地で様々な産業が発達し、日本人とパラオ人が
共に汗を流し自立の道を歩んでいた。仲良く平和に暮らしていたのである。
戦争の渦中へ
押し寄せる戦争の渦中において、一部分のみを切り取って彼らが虐げられたと
言われてしまえば、その事実は決して否めないが、それが悲しくも戦争の本質で
あるしパラオ人を守り、最大限の保護に努めたのもまた事実である。
我々は防人であった。
パラオ真の独立は如何なるべきか
日本が戦争に敗れ、アメリカ支配に移行すると、過多ともいえる経済支援に
よって日本の築いた産業はたちまち衰退しパラオ人は働くことをすっかり
忘れてしまった。パラオ人自らがもっとも輝いた日本時代を「良い時代」と
懐かしむお年寄りは多い。
1994年にパラオはアメリカ領からの独立を果たしたが
事実上、国家経済はアメリカ(次いで日本、台湾)の援助に依存しており、
真の独立とは言い難い。未だ道半ばであるパラオのために
再び日本が果たすべき役割は非常に大きい。
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