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2021年4月10日 (土)

九八式直接協同偵察機

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『歩兵の本領』より
~敵地に一歩我れ踏めば 軍の主兵は此処に在り
最後の決は我が任務 騎兵砲兵協同(ちから)せよ~
 
この唄が作られた明治44年頃から支那事変にかけては 
戦(いくさ)の主役・主力は歩兵であった。さりとて
腹が減っては戦は出来ぬ、兵站輸送などの後方支援も当然必要であったし
また渡河作戦で橋を構築する工兵は6年もの教育課程を経てから
ようやく一人前の兵隊として実戦部隊に配属された、縁の下の力持ちである。
 
大東亜戦争では騎兵が廃止され、機甲・捜索(自動車)部隊に
改編された。
 
ではこの時期に未だ黎明期にあった航空機はどのような役割であったか。
それでも航空機は師団主力の支援として、脇役ではあったものの、空の目、
連絡手段として無くてはならない存在であった。
 
九八直教/きゅーはちちょっきょう(九八式直接協同偵察機)
は同上の任務で昭和14年に初飛行を行い、昭和15年7月に一旦
生産を終了したが、前線からの本機を要望する声が強く、また
大東亜戦争の勃発から緊急生産機種に指定され、昭和17年から
生産を再開している。九八直協は軍偵や司偵にその座を譲りつつ
あったが、使い勝手が良いこの飛行機は昭和19年まで生産は続き
総生産機数は1,334機で立川飛行機が最も多く生産した機種となった。

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