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2019年5月13日 (月)

吉岡政光さん講演会 その後報告(お元気です!)

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▲九七艦攻(吉岡さん搭乗機)の模型を制作された小島さんと
まだら迷彩のマーキングについてお話しされるご様子。
 

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▲おひとりおひとりに丁寧にサインをされる吉岡さん
  

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▲講演会終了後、順番待ちをされる方、おひとりおひとりと
お話しをされる吉岡さん。全ての方が、ご理解くださいまして
吉岡さんのご負担を軽くできるよう、お話を短めに済ませてくださいました!
自然と整列してくださったのは感激です。感謝を申し上げます。
 
講演会その後の様子につきまして
 
真珠湾攻撃隊員で海軍少尉の吉岡政光さん講演会、
その後の報告です。
  
吉岡さんは101歳と超ご高齢なので、ご自宅に送迎後
さすがにお疲れになった様子でしたが
その後、お元気にお過ごしです。
 
何より、皆さまが真剣に講演を聞いて下さったこと、
そして感想文を書いてくださったことが大きな
吉岡さんへの応援になったと思います。
皆さまから頂戴した吉岡さんへの感想文は
読みやすいよう、文字を大きく活字に打ち直したものと、
原文のものを同封し、本人にお渡し致しました。
ありがとうございました!
 
そして、なんとなんと!
吉岡さんは、元気だったら「二回目をやりたい」と仰ってます!
 
ぜひとも各位の応援を賜りますよう、
よろしくお願い致します。
 
さて、吉岡さんのお話しで一番印象に残った、
ミッドウェイのお話しを少し書きたいと思います。
 

  
質疑応答のコーナーで「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
との質問が最も多く、実は私は大いに苦しかったのです。
一度、個人的に同じ質問をしていましたから。しかし、腹を決めて
読み上げました。なお吉岡さんはコロンボ空襲ののち蒼龍から
一旦地上に降りて、作戦そのものには不参加です。
とはいっても多くはミッドウェイで散った方々の多くは
古くからの戦友です。
   
篠原「ミッドウェイ海戦についてお聞かせください」
 
吉岡さん
「ミッドウェイは話したくないんです!

本に書いてあるのと同じですから、本を読んでください!
本に書いてあるのとほとんど同じですから!生き残った人も
みんな話さないと思います!機関科の人はほとんど残らなかった!
(戦死)
  
吉岡さん
「俺だけ生きているよ、と言いたくないんです!」
 
私は、
この言葉で十二分に、渾身の回答になったと感じております。
 
以上、今後ともよろしくお願い致します。

コメント

私は元海自の搭乗員でした。職種は戦術航空士として約7千時間飛行しました。その経験から海軍の航空戦死に興味を持って色々記録を読んできましたが、今2つのテーマで調べています。出来れば吉岡様にお聞きしたいことがあるのですが手紙を差し上げる事は出来ないでしょうか?主なテーマは次の様なものです。
1件目は珊瑚海海戦時の索敵機で攻撃部隊を誘導した管野飛曹長機の行動
2件目はミッドウェー海戦時の利根4号機の行動
についてです。
何れも索敵に関する術科に関する疑問があります。
・九七艦攻による米艦隊索敵時の飛行高度の選定要領
・同、燃料満載の野飛行可能時間(恐らく10~12時間は可能かと思うのですが)
・発艦が30分遅れた場合、予定索敵航路を短縮することが許されるのか?
・触接中の燃料管制はどの様に考えるか?
・管野飛曹長、甘利1飛曹に関して個人的に知ることはないか?
 管野飛曹長の出身期別、甘利少尉戦死の状況(芙蓉部隊で戦死)
等々あります。
宜しくお願いします。

古橋さま

コメントありがとうございます。
たいへん恐れ入りますが、大手メディアを含め、
元パイロットの方のご紹介はお断りしております。保証はできないのですが
吉岡さんがお元気でしたら第二回の講演会を企画しておりますので
その際、自由時間を設けますのでぜひ、吉岡さんと直接交渉を
お願いいたします。


ミッドウェイでの利根4号機については
田中三也さんが詳しく全ての謎を解き明かしておりまして
動画もございます。

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