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2019年4月23日 (火)

突撃成功せず

昭和17年10月24日の夜、
 
重火器の到着を待たずして総攻撃が開始された。
第一線の第二中隊が月明下の草原を突撃する。
その後を追うように第九中隊が突進する。

 
敵の機関銃が一斉に火を噴き、流れ来る弾丸は曳光の火の
奔流となって突進するわが将兵を薙ぎ倒す。
突っ込んだ将兵は鉄条網の突撃路に届く前に銃弾に倒れ伏す。
 
・・・突撃成功せず
 
この総攻撃に参加した斉藤満寿さんの回想録をみてみよう。
 
総攻撃、夜襲の前、夕闇迫る頃物凄い豪雨があった。
胃袋まで濡れるような雨の中、少しばかり残した乾パンを立ったまま
口にして前進する。すでに暗闇の中を前へ前へと進む。
 
目の前の戦友の姿もさだかでない。
途中兵団長に会った。汚れたタオルで鉢巻した閣下が、
軍旗は前へ出るものではない、との言葉を耳にしたが
誰よりも一番先に敵陣地に突っ込むと口にしていた連隊旗手、
犬塚少尉の耳には入らなかった。
 
突然、迫撃砲の集中を受ける。
連隊旗手犬塚少尉、旗護兵の馬場兵長戦死、大賀上等兵負傷、
井関上等兵と私、斉藤上等兵は幸い無傷だった。
 
敵の砲撃がやんだとき一度、身を起した犬塚少尉が大きな声で
「天皇陛下万歳」と叫んだ。再び万歳を叫んだが、あとは一言も
無く絶命された。
 
・・・・・「天皇陛下万歳」と絶叫されたあの声が、
今でも私の耳の底に残っている。


「天皇陛下万歳」など叫んで死んだ戦友はいない
「おかあちゃん」と絶叫したものだと戦後から現在でもよく口に
されているけれど私は「おかあちゃん」と叫んで死んだ戦友は
ひとりとして知らない。
 
数多くの戦友の死に直面したが「天皇陛下万歳」と叫んだ戦友は
幾人か居るけれど。
 
幾度か、ジャーナリスト取材の座談会にも出席したが
「天皇陛下万歳」を否定する発言者の多いことが納得できない。
敗戦とは、このような大事なことを、真実を
語ってはいけないのだろうか。
 
第二十九連隊『五中隊戦史』(五中隊会印刷)21頁より
記述はガダルカナル島丸山道において。
第二十九連隊は左翼連隊(第二歩兵団長)
那須弓雄少将(26日戦死)の指揮下にあった。

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