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2018年12月26日 (水)

偉大なる初の逆ピッチプロペラ

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関口英二氏(元日本国際航空工業取締役技師長。栃木県出身。)
の資料をお借りした。資料を提供してくださるK様、
いつもありがとうございます。心より御礼申し上げます。
(画像は当該資料でなく、キ84の取説) 
 
関口氏は先日記載した、疾風のラチェ式プロペラ「ペ32型」について
偉大なる功績を残されているが、ほとんど資料が残されていない。
これが、どれだけすごいことなんだか、ここにひとまず
アーカイブしておかねばなるまい。
関口氏自身が書かれた実験資料の概略は、次の通り。
 
関口英二『最初の逆ピッチプロペラ』より
  
初の逆ピッチプロペラ
日本国際航空工業の可変ピッチはラチェ式を採用していたが
当初、変節速度が毎秒一度以内で、遅すぎて戦闘機には使用できないと
軍側で決定されたので会社は危機に立った。そこで
変節機構を改善し、伝道効率の向上に成功。毎秒十五度という
驚愕の成果をあげた。軍の試作番号は「ペ三二型」と命名された。
ただし、変節速度があり過ぎるので従来の180ワットの電動機を90ワットと
半減し、変節速度も七度以内とし、「疾風」に正式採用された。
なお、アメリカのカーチスは90ワットの電動機で変節速度は
一(コンマ)二度であった。
 
この変節速度の大きいのを利用し着陸距離を短縮してはと
陸軍のプロペラ担当官の松村大佐と相談し、実験に着手した。
 
「鍾馗」の滑走距離短縮実験
「鍾馗」は着陸距離が長いことが欠点として指摘されていた。
変節には180ワットの電動機を、まず運転台上で実験に着手。
すなわちペラは角度零度で抵抗が減り、吸収馬力が非常に減少するので
発動機が過回転になりはせぬかと案じられたが、運転の結果、過回転を
起さなかったので、飛行実験に着手することになった。
この実験は昭和18年3月に陸軍で実施された。
 
実験結果
一、
車輪ブレーキなし1,140メートル(71秒)
車輪ブレーキ使用550メートル(35秒)
 
二、
プロペラ制動使用(車輪ブレーキなし)
ただし接地と同時に負角にし、スイッチを切り、プロペラは風車状態に
空回転。
 
負角5度、837メートル
負角10度、730メートル(50.6秒)
負角15度、606メートル(46秒)
 
三、
二、と同じく、ただ発動機は接地と同時に全開。
 
負角5度、500メートル
負角10度、300メートル(18秒)
負角15度、307メートル(16秒)
 
この実験を総合してみると
プロペラを負角にすると、発動機を空転させて
車輪制動のときと同じく、全開にすれば車輪制動のほぼ半分の
滑走距離になることである。
 
この実験中にある操縦者が独断で飛行中に負角にしたので、きりもみに入ったが
無事着陸した。
 
この「ペ三二」は疾風に採用されたが
右のような事故があると困るし、またアメリカでさえ使用していないから
というので、負角にならぬよう止金をつけた。
 
また、海軍でもこの実験を重要視し
当時、住友金属製以外のプロペラは使用せずとの鉄則を破り
海軍航空廠のプロペラ担当増本技師ほか多数の技術者が平塚の
国際航空の工場に来場し、「ペ三二」に地上運転や製造過程を見学して帰廠された。
のち陸軍の了承を得て「ペ三二」を納入し、実験に着手。
主要目的は着艦時の使用と急降下爆撃時の制動にあったが
戦争末期のため実用に至らず終わった。
 
以下、篠原の解説
 
飛行機マニア以外にはわかりにくい内容なので、解説します。
結論から言えば、後世の残すべき偉大なる功績です。
 
理論上、陸軍機、それも重戦を海軍の空母に降ろせます。
「アメリカでさえ使用していない」というのは本当に
おかしく勿体ない理由ですね。
 
ここまで書いたところで眠くなってきたので次回、続きを書きます。

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