« ペリリュー島戦跡・中川大佐自刃のラストコマンドポストへ | メイン | ロックアイランド パラオの世界遺産は無限のブルーラグーン »

2014年7月 3日 (木)

アンガウル島へ行こう

アンガウル島 大神宮海岸

アンガウル島地図

アンガウル島の動植物

 
アンガウル島は ペリリュー島の南およそ10kmに位置する
人口170人ほどの小さな島である。 少ない日程で足を運ぶのは難しいが
独自の生物や自然環境が存在する魅力あふれた美しい島である。
 
アンガウル島はペリリューと並んで激戦の島であり
宇都宮五十九連隊第一大隊が玉砕している。
パラオの戦いで何かとペリリューばかり特筆されるが
ここアンガウルはペリリューよりさらに米軍を苦しめた島であった。
 

アンガウルの戦い 五十九連隊

 
33日間の徹底抗戦 われら太平洋の防波堤とならん
アンガウルを守備する日本軍は兵站、臨時編入を合わせてもわずか
1200名で これを攻略する米国陸軍第81師団の兵力は2万名を超えた。
加えて、空爆と艦砲射撃により 島は焦土と化したが、後藤少佐指揮する
宇都宮五十九連隊第一大隊は 徹底抗戦の構えを崩さず、実に33日間もの間
島を死守したのであった。これだけの兵力差がありながら 33日間も
持ちこたえた例は、戦史を調べても他にないだろう。
 
五十九連隊は大陸から転戦した歴戦の猛者揃いである。
兵士の大部分を栃木県の出身者で占めたが 長野や群馬、北関東の兵士もおり
指揮官、後藤少佐は長野の出身である。 そして臨時編入された沖縄の兵士
たちの犠牲も忘れてはならない。
 
最初から勝ち目はなかった。しかしアンガウルの戦いで散った英霊は
太平洋の防波堤となり 一日でも長く、米軍の本土進攻を食い止めたと
間違いなく言えるであろう。 アンガウルは我々日本人にとっては特別な島である。
 
「私たちも一緒に戦わせてほしい」~アンガウル玉砕戦へ

 
アンガウル島へ行くには

ステートボート(定期船)

ステートボート(定期船)

定期便(小型飛行機)

 
アンガウルへのアクセス
1、定期船
定期船が一週間に一度、コロールから出ている。所要時間は4時間。
帰りは一週間後となる。
 
定期船の旅はこちら
 
2、飛行機
最近、就航したPMC航空で来ることができるようになった。
アイライ国際空港からはわずか20分程度である。
月曜日と金曜日に発着するが、アンガウルの滑走路に直陸後、
すぐに飛びたつので、島を観光することはできない。そのため最低
4日間は滞在しなければならない。飛行機は天候によってフライトできない
場合があるのでリスクが大きい。
 
3、スピードボートチャーター
コロール、もしくはペリリューのダイビングショップ等で
船をチャーターする方法。ガソリン価格の高騰もあり
コロールから往復すると800ドル程度と高価。
なお、アンガウル海峡の波は高く、操船できるオペレーターも
限られる。
 

アンガウル港01

アンガウル港02




アンガウル港03

アンガウル港04

 
アンガウル港

アンガウルへ到着した。外洋がどんなに穏やかでも
アンガウル港内は穏やかである。写真の左右で全く海の表情が違う。
日曜日や学校が終わると、港で子供たちがよく泳いでいる。
 

M4シャーマン

M4シャーマン

M4シャーマン戦車

 
港の入口が非常に狭く、潮の流れが集中し大波となる。
ここを突破できず、船が出港できないことがある。
私も台風の直後、出港できず10日間、島に閉じ込められたことがあった。
 
港の入口には米軍M4シャーマン戦車が2、3輌、投棄されたままになっている。
今では防波堤代わりだ。砲塔は流され、大きなエンジンが見える。
 

アンガウルの港

 

州が運営する定期船は様々なものを島へ運んでいる生命線である。
食料やビール、家電製品や家畜、車も積める。
なお、人間の運賃は一人片道5ドルである。
一週間に一度、定期船が港へ入ると島中から人が集まってきて
港は一番の賑わいとなる。
港には戦時中に作られた陸揚げ用のスロープが残る。
 

ダウンタウン

ダウンタウン

ダウンタウン

Imgp8035



 

Imgp8059_2












20100206_816

20100206_993_2





Imgp8049 
アンガウル島の市街地(ダウンタウン)
この辺りに住んでいる。人口が少ないので、みんな家族同然だ。
ストアと宿泊施設は2軒ある。ここでも日本の中古車が頑張っている。
 

アンガウル島

アンガウル島

タロイモの収穫(上)と
マーク2(チェイサー?)のオープンカー。小さい島なので
雨が降っても2、3分で家に到着だから、モンダイナイ(パラオ語)

この車、ガレージはなく、シートがかぶせてあるだけだった。
それにしても日本の中古車は頑丈だ。
 

アンガウル島・サイパン村

▲戦前のパラオ・アンガウル島の市街地(サイパン村と称した)
日本人とパラオ人、およそ2500人が暮らした。
  

アンガウル島は砂利道ではあるものの周回道路が整備されており、
車でもレンタル自転車でも、気軽に一周することができる。時間は
そんなにかからない。自転車でも3時間もあれば十分か。
では時計回りで見て行こう。

 

サキシマオカヤドカリ

アンガウル 大神宮海岸

サキシマオカヤドカリ

アンガウル島 大神宮海岸

大神宮海岸
ダウンタウンを出てまもなく、大神宮海岸に出る。
別名オレンジビーチとも呼ばれるこの海岸はアンガウル島にある
他の砂浜と比べても独特の色をしている。ここだけ海流の関係で
微生物の死骸が堆積して、このような色になるという。
 
大神宮海岸という名称は、日本統治時代に島の「アンガウル大神宮」という
鎮守様がこの海岸にあったことから。(アンガウル大神宮は南洋では最古と
なる大正時代の建立。なおコロールの南洋神社は昭和15年建立である。
昭和18年、島の燐鉱産業は繁栄を極め、2600人以上が
が島で生活していた。(内、日本人は1300人)
人の集うところに必ず神社は祭られる。
 
大神宮海岸と鎮守の森には、当時
白亜の灯台がそびえ立ち、それは美しいものだった。
 
この海岸では上陸戦は行われなかったが
米軍が占領後敷設した物資陸揚げ用の
レールの跡などが今でも残っている。
 
サキシマオカヤドカリ
この海岸で褐色のヤドカリを見つけられたら幸運だ。
サキシマオカヤドカリといって珍しい個体である。何かいいことあるかも。
臆病なので、そっと観察しよう。
 

ガジュマル

ガジュマルゲート
左右の道路脇からそれぞれ自生したガジュマルがちょうど
真ん中で結合している。周回道路沿いにあるので見逃さないようにしよう。
 

アンガウル大燐鉱 
アンガウル大燐鉱の遺構
昭和18年、アンガウルの主要産業は燐(リン)の採掘で、
南洋拓殖株式会社が主幹となり年間7万トンを産出、最も繁栄を極めた。
当時の島の人口は2,618人で、
島から採掘された燐は主として畑の肥料とするため
内地へ輸送され、この小さな島、アンガウルが
多くの日本人を飢えから救ったがその功績はほとんど知られていない。
 

アンガウル大燐鉱

アンガウル大燐鉱

アンガウル大燐鉱 
▲戦前~戦中のアンガウル大燐鉱(同じ辺りと思われる)

 
アンガウル大燐鉱詳細記事と写真

アンガウル灯台(丹下灯台)

アンガウル灯台(丹下灯台)
先に述べたように、当時、たいへんな賑わいだったアンガウル島。
採掘した燐鉱を船に積みむ大規模な施設があり、船の往来も
盛んだった。船に灯台は欠かせないものである。
 
灯台の外壁は白一色で青空に映え、実に見事な佇まいであったという。
その島民の自慢であった灯台も、艦砲射撃に破壊され、倒壊した。
私が居るところが灯台の折れた根本部分にあたる。

アンガウル灯台(丹下灯台)アンガウル灯台に登ろう(別記事へ)

Imgp7540

Imgp7543_3

20100206_887_2




D_3 
那須岬
五十九連隊は栃木県の郷土部隊であったので、島の方々に故郷の名前をつけた。
那須岬へ向かう道。ペリリュー島が見える、ここは景色も良いし
潮風が心地よい。那須岬には現在アメリカの建てたマリア像がある。
那須岬の沖はとくに潮の流れが激しく恐ろしいほどである。
 

Imgp7522

潮吹き穴
那須岬へ向かう途中の岩場に潮吹き穴がある。
温泉の間欠泉のように、海水が高く舞い上がり、霧となって散る。
大迫力であるが、これは独自の岩場の地形が生み出したもので
温泉とは全く異なる。(パラオに温泉や地震は存在しない)
ボフォオオオオという不思議な音がこだまする。
 

アンガウル島レッドビーチ

レッドビーチ
上陸戦の展開されたレッドビーチ。
昭和19年9月17日、レッド、ブルー、両ビーチ同時に上陸を開始した
米陸軍81師団は、ここ極端に狭いレッドビーチで佐藤光吉中尉率いる
第二中隊と対峙した。集中砲火を受けた米81師団は、橋頭堡の確保までに
大苦戦を強いられ、甚大なる損害を被った。
当時は艦砲射撃で、海岸線は丸裸だったのだろうが、すっかり緑は蘇っている。
 
激しい戦闘で砂浜が血で染まったからレッドビーチという名が
ついた、というのは俗説である。米軍がアンガウル島攻略にあたって、
便宜上、レッドビーチと名付けたにすぎない。しかし、血で血を洗う戦い
が繰り広げられたのは確かだ。砂浜がそれはもう惨く赤く染まったことは
相違ない事実である。戦いで犠牲となった全ての将兵に合掌。
 
レッドビーチの戦い

ここからもう少し先へ行くとブルービーチだ。
 

04

散兵壕(さんぺいごう)
レッドビーチから間もなく、飛行機墓場の近くに散兵壕が残されている。
70年前、兵隊さんによって掘られたものだ。中へ入ってみると、深さは
175センチの私の背丈よりもある。ここに隠れて敵の上陸に備えた。
島の地層はほとんどが隆起珊瑚岩で、スコップがカツンカツンとすぐ
岩にあたってしまい、これだけの深さを掘るのは大変な苦労だったろう。
掘削したという表現が近いかもしれない。上陸戦の三か月前、
第31軍司令の小畑中将が視察に訪れ、陣地構築の遅れに対し
激を飛ばしたが、これだけ固い地盤を短期間に掘るのは
無理なものは無理である。元兵士はこの小畑中将の視察に
良い印象を持たなかったと記している。
 

116angaur19

Imgp7674

11

飛行機墓場
主に米軍機であるが、滑走路脇の茂みに
レイテ作戦に投入された多くの航空機が眠っている。
これはB-24(リベレーター)大型爆撃機のプロペラ。
四枚のうち一枚でほかの三枚も近くにある。
丸いのは回転銃座、機体の外板も散乱している。
 

Imgp7630_2

アンガウル島のコルセア戦闘機

 
F4Uコルセア戦闘機
こちらはF4Uコルセア戦闘機。先の大戦でもっとも優秀だったと云われる

米国海軍の名機である。この戦闘機はジェット戦闘機が主流になった頃の
朝鮮戦争でも並行して使われ、活躍した。日本側からみれば、非常に苦しめられた
悪魔のような機体であるが、純粋にメカとして考察すれば非常に良くできた
レシプロ戦闘機の究極の完成型といってもいい傑作機である。
この戦闘機もナパーム弾を用いたアンガウルの掃討作戦と、その後の
フィリピン方面の作戦に活躍した。
 

F4Uコルセア戦闘爆撃機

▲ナパーム弾を取り付ける海兵隊のF4Uコルセア戦闘爆撃機
(写真はペリリュー飛行場のもの)

116angaur22

Imgp7421

Imgp7397 

50f74d002be4f

 
アンガウル滑走路
米軍の敷設した滑走路である。
日本軍はペリリューに東洋一といわれる大規模な飛行場を持っていたし
ガドブスにはゼロ戦専用の滑走路、さらにアイライにも大型機が
飛べる飛行場を整備した。アンガウルにも平坦な地があり
「飛行場適地」として備えていたものの、最後まで建設せずに終わった。
 
これに目を付けたのが米軍だった。米軍は
後藤少佐と最後の兵士達が立てこもる複郭陣地を除く
島の大部分を制圧し、ここに滑走を瞬く間に敷設し
同島に残る残存部隊の掃討爆撃と、レイテ(フィリピン)作戦の
足がかりとして大いに活用した。
 
この「飛行場適地」がなければアンガウルでの凄惨な戦いも
避けられたかもしれない。しかし米軍は是が非でも飛行場が欲しかったのだ。
 
それにしても多大な犠牲を払ってまで、パラオ・ペリリュー、アンガウル両島の
飛行場が必要であったのだろうか。サイパン・テニアン・グアムはすでに米軍は
手中に収め、同島からフィリピンを叩くことは充分に可能だった。
マッカーサーもニューギニア方面から陸路でフィリピン奪還を

進言した。ハルゼイ提督も無駄な犠牲を懸念し、パラオを取る必要ない、と
作戦に反対し続けた。これを是非ともという形で推し進めたのがニミッツである。

これは現在でも議論の対象として終わりが見えない。
 

Imgp8064_2

週に二回の定期便が来た。
飛行機は島の上空を大きく旋回し、着陸コースに入る。
これは島民に飛行機が来たことを知らせるのと同時に

自由気ままなアンガウル滑走路、滑走路の真ん中に
人が寝ていたりするので、
「今から着陸するからちょっとどいてくれ」の合図でもある。
 

Imgp8084 
 
この建物がアンガウル空港のターミナル。
酋長がいま届いたばかりの新聞を読んでいる。
新聞は週に二回しか届かないから貴重だ。
 

Imgp3313_2

着陸すると、島中から人がやってくる。
着陸して、すぐにコロールへ戻ってしまうので、飛行機を待たせての
観光はできない。原則片道だけと考えたほうがいいだろう。
 
飛行機はデコボコの滑走路をものともせず、あっという間に
飛び立っていった。
  

Imgp3318

3

V

Imgp3296

Imgp3302

アンガウル島鬼怒岬

鬼怒岬
アンガウルの最南端、鬼怒岬へ。
これも郷土の兵隊が名付けた名だ。当初、上陸部隊の米81師団は

この鬼怒岬を目指して沖合から前進していた。これに即座に対応すべく
陣地を持たない遊撃隊であり、島中尉率いる紅蓮疾風隊が
海岸に駆け付けたが、沖の上陸用船艇は全く動かなくなってしまった。
これは陽動作戦であった。島中隊が鬼怒岬に引きつけられている間に

81師団の本体は、レッド、ブルー両ビーチに上陸を開始した。
 
しかしアンガウル島は小さな島である。島中隊は陽動を解ると直ちに反転し
上陸戦の展開されている、ブルービーチへ向かった。
紅蓮疾風隊の名の通り、疾風の如くブルービーチへ急行すると
水際防御に加勢。米上陸部隊の上陸を許さず
勇猛果敢に戦った。この戦いで米軍は大隊長や大隊幕僚まで負傷し、

上陸部隊は壊滅。一旦、押し戻されてしまう。
 
「ブルービーチの死闘」続きはこちら

Imgp7380

Imgp7379

Imgp7374



 

Imgp8114

Imgp3328 
沼尾少尉の鬼怒岬~妻との約束

 
※写真は台風前と台風後の比較。

この巴岬から鬼怒川岬にかけては沼尾隊の陣地であった。

指揮官、沼尾少尉は叩き上げの士官である。大陸からの転戦した
古強者であり、また部下の面倒見がよく、たいへん慕われたといわれている。
彼もまた太平洋の防波堤となって散る運命だった。 
 
沼尾少尉は内地に妻を残していた。少尉と妻には
次のようなエピソードがある。
「沼尾少尉、妻との誓い」

 
  

ブルービーチ

アンガウル島ブルービーチ

ブルービーチ
台風前に訪れたブルービーチ
米軍の敷設した物資陸揚げ用のレールが残る。
ここも激戦のビーチである。
 

Imgp8096

Imgp3355

Imgp3337

Imgp3339

Imgp3341

同じ場所とは思えない。
台風の高波で全てが流され瓦礫の浜になってしまった。

大木といえども根元から引き抜かれ倒れている。
 
 

Imgp3348

Imgp3349

Imgp3350  

 
そう、この砂浜では激闘があった。70年前の9月、
何もかも燃えてしまったのだ。
戦争で焦土と化したシャングルが再生したように。
地で染まったこのビーチが美しい青を取り戻したように。

緑の息吹を感じる。きっとまた蘇るであろう。
 
ブルービーチの激闘へ
 

Imgp8113

Imgp8108_2

  

Imgp7254

アンガウル・ラストコマンドポスト
玉砕の複郭陣地へ
 
後藤少佐が玉砕し、最後までたてこもり徹底抗戦を行った
複郭陣地へ向かう。今回は特別な許可を得て
酋長と島民の協力で、複郭陣地へ進む。
 
後藤少佐の最期~アンガウル島のラストコマンダー
 

Imgp7248

Imgp3360

Imgp8048 

台風の影響と、長年誰も足を踏み入れていないこともあり
道がなくなっている。
 

Imgp8038

Imgp8043

倒木を切断したりしながら少しずつ前に進んだが、結局、複郭陣地の
入口すら行けなかった。今回は段取りだけにして
次回、出直そう。なんとしてでも最後の玉砕地で慰霊がしたい。
 
海ゆかばをうたう。
合掌。
 
平成28年9月追記
アンガウル島遺骨収集の旅へ行ってきました
  

私は戦史の専門家なので今回は慰霊目的であったが、
それ以外にもアンガウル島は魅力の多い島である。

白く光るホタルはここでしか見られない。
 
ぜひ足を運んでみては如何だろうか。
そして、ここへ来たら、アンガウルで玉砕し
太平洋の防波堤となった英霊の御霊にどうか
感謝の気持ちをわすれないでほしい。
 
あなた方のおかげで、いまの日本があります。

116angaur34

116angaur17_3

Imgp7200

Imgp7782

Imgp8030

Imgp8116

Imgp8057



 

Imgp8061






Imgp8130

Imgp8001



 


D

D_2上から、左、右の順で
・シロアジサシ
仲良く2羽でいるところが多い。
 
・パラオオオトカゲ
パラオ最大のオオトカゲ。戦争中は食用になった。
美味らしい、今でも食べる気になれば食べられるそうだ。
 
・プルメリア
 
・椰子の実
 
・野生のグアバ
 
・ハイビスカス
 
・パパイヤ
青い実は間引く。間引いた実は千切りにしてサラダなどにすると旨い。
間引いてできた完熟の実はとても濃厚で甘い。その場合は虫に食われないよう
早めに収穫して追熟させるのが一般的。
 
・ゴールデンコプラ
パラオでもなかなかお目にかかれない黄金の椰子の実。
ジュースは濃厚。
 
・プルメリア
プルペリアはパラオの全域に自生するが、地域によって
花弁の色、形がまったく異なる。私はアンガウルのプルメリアが
一番綺麗だと思う。パラオ語ではエリライと称す。
 
 

記事の内容が参考になりましたらクリックをお願いします!
読者の方々のクリックによって当サイトは維持されています

  
戦史 ブログランキングへ


 

コメント

コメントを投稿



篠原 直人 Profile
このサイトについて
よくある質問
コメントをくださる方へお願い
当サイト掲載画像の提供について





戦史 ブログランキングへ
▲記事が役に立ちましたらクリックをお願いします。
当サイトは皆様のクリックで成り立っています。

【蒼穹の戦士】
ある特攻隊員と少年の実話~黎明の蛍
パラオの零戦/誇り高きサムライ~吉田久光上飛兵
ご遺族と共に最後に飛び立ったペリリュー飛行場へ
パラオの彗星/墜落現場へ~永元俊幸大尉
ガドブス島探索~第263海軍航空隊(豹)のエースたち
帝国海軍から航空自衛隊へ~指宿正信大尉の見た空
敷島隊の五機とロケット戦闘機「秋水」
富安俊助中尉とエンタープライズ
岩本徹三中尉の戦後
赤松貞明中尉の戦後
篠原弘道准尉 ホロンバイルの荒鷲
零戦の雑学 21型から52型 64型まで
われら雷電戦闘機隊
幻の怪鳥「烈風」改
紫電改と343空 第343海軍航空隊全搭乗員リスト
江草隆繁少佐の九九式艦上爆撃機
一式陸攻の見学
さらば!空中戦艦「富嶽」
1/144航空母艦「飛龍」大ミッドウェイジオラマを作ろう
YS-11宇都宮への定期飛行スケジュール
青木義博中尉(稲妻の雷電)
彩雲パイロット杉野さんのお話
飛燕戦闘機隊々歌完成
雷電 伊藤進中尉機
彗星と航空戦艦日向
西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる
真珠湾攻撃隊零戦隊マーキング
マリアナ沖海戦航空母艦一覧
海上自衛隊もうひとつの黎明期 技術士官編
「彗星」小松幸男飛曹長機
赤城(ミッドウェイ作戦時艤装)
ゼロ戦(零戦)21型と52型の違い


【原田要さんの話】
(1)撃墜した敵パイロットの顔が忘れられない
(2)南京攻略戦掩護とパネー号爆撃事件
(3)真珠湾攻撃と亡き戦友の思い出
(4)赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴、飛龍への着艦
(5)零戦、紫電改、様々な飛行機に乗って
(6)関行男大尉の教官を務める
(7)元ゼロ戦パイロットとして平和の大切さを訴え続ける

【紫電改パイロット笠井智一さんのお話】
零戦と中部太平洋戦線
紫電改と第343海軍航空隊

【「翔鶴」「隼鷹」零戦隊パイロット増山保雄さんのお話】
航空母艦への着艦・発艦方法を語る(動画)

【一式陸攻搭乗員天野さんのお話】
(1)一式陸攻のイロハ(クルーの役割)
(2)東京初空襲とミッドウェイ海戦
(3)ソロモン海戦水面スレスレでの雷撃敢行

【飛燕パイロット竹田五郎さんのお話】
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(1)
高度1万メートル「飛燕」「五式戦」B-29との空戦(2)

【中島又雄さんのお話し】
零戦52型丙 B-29との戦い

【池田武邦さんのお話し】
新鋭巡洋艦「矢矧」航海士が見たマリアナ、レイテの回想


【ペリリュー島第二連隊生還者 永井敬司さんのお話】
ペリリュー島のラストサムライ

【日本の戦跡一覧】
旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所(稚内市)
猿払電話中継所跡(遥かなる樺太・真岡)
八甲田山・雪中行軍隊の足跡を辿る
四式戦闘機「疾風」地下工場その2
カッパドキアより凄い!採石場跡は世界最大級の巨大地下空間
疾風地下工場(大谷資料館)外観とその周辺
洞窟戦車工場(那須烏山市)
「桜花」カタパルト基地
航空自衛隊浜松基地広報館(エアパーク)
三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所史料室の見学
戦艦大和ドックは健在(歴史の見える丘)
からすこじま公園
大和ミュージアム
てつのくじら館  柱島・周防大島の戦艦陸奥記念館
人間魚雷「回天基地」大津島
楢本神社
小島・芸予要塞
松山第343海軍航空隊
佐田要塞・未机湾(真珠湾九軍神の碑) 
南レク「紫電改」
宿毛湾・宿毛泊地
高知航空隊
三魂之塔(彩雲)
大刀洗平和記念館
ペリリュー島守備隊長中川大佐の墓所 大分飛行場跡(宇垣特攻の地)
宇佐海軍航空隊(永遠のゼロ) 
佐世保鎮守府
SSKドック(旧佐世保海軍工廠
セイルタワー
大村海軍航空隊
海軍針尾通信所(巨大通信塔)
三菱重工長崎造船所(戦艦武蔵ドック)
万世特攻記念館
海上自衛隊鹿屋資料館(海軍特攻資料館)
鹿児島空港(陸軍国分第二飛行場)
四式戦闘機「疾風」と中島飛行機宇都宮製作所
神雷部隊「桜花」別杯の地

【四方山話】
富士山の空撮
人形供養のお焚き上げへ行ったら・・・
故人の人権は誰のものか?
バブル遺産巡り
自衛隊お見合いパーティー2015
吹上浜での拉致の一部始終を普通に話す人
東京オートサロン2015ガールズ
リバティウォークのランボルギーニ(ゼロ戦仕様)
宇都宮ヘリコプターアクロバットチーム「ブルーホーネット
エヴァンゲリオン新幹線500系見学
フライング・ダイナソー搭乗
みかんを知ろう
憧れの樺太
扇風機を改造してみた
アメリカ軍の騒音対策を真似してみた
航空幕僚副長を表敬
いろは坂の深夜
ガルパン(大洗)こんな凄い町おこし見たことない!
西住みほコスプレ撮影
ネットアイドルの杏樹ちゃん撮影
興津の海と鵜原八坂神社
20XX年 応急夜戦滑走路
1/48 B-29完成


【Tシャツ製作記録】
ゼロ戦Tシャツ
伊400と晴嵐Tシャツ
紫電改Tシャツ
三式戦「飛燕」Tシャツ
10式戦車とIV号戦車Tシャツ新発売

【フリー素材・写真/イラスト集】
零戦(ゼロ戦)フリー素材・画像・アイコン
10式戦車 90式戦車 74式戦車 フリー
IV号戦車 フリー素材画像
航空自衛隊 F-2 戦闘機 フリー
戦艦大和・武蔵
伊400
飛龍
ゼロ戦の形式一覧
艦上爆撃機「彗星」形式
満州鉄道伊ロゴ作成
中島飛行機ロゴ作成
ステンシルフォントの作成(漢字・和文)


パラオ全図島
■パラオ全図(各島詳細)