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2014年6月20日 (金)

グアム軍事法廷跡 BC級戦犯終焉の地

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グアム軍事法廷跡
1945年の終戦後、南洋各地から集められた、いわゆる
B、C級戦犯の裁判および刑が執行された場所である。
今はさら地となっている。何も残っていないが
ぜひとも見ておかなければならない。

 
沖縄から海兵隊が移転すれば、ここも基地施設となり

自由に入ることはできなくなるだろう。
 
もちろん裁判は戦勝国による一方的なものであり
必ずしも公正無私でない。
 
そのため、これらの裁判で死刑となり
命を落とした場合、日本では法務死と呼ぶ。
 
阿部孝壮の法務死(クェゼリン捕虜処刑事件)
海軍中将、阿部 孝壮(あべ こうそう)は
クエゼリンで米国人捕虜9名を殺害した容疑で
ここグアムで裁かれた。
 
阿部はマキンの戦いで敵上陸を目前に控え、
捕虜の処遇に関し、現地指揮官に意見を求められた。
その際、阿部は「適切に処分せよ」と、指示を部下に一任した。
  
1946年、3月21日
阿部は巣鴨プリズンからここグアムへ移送された。阿部は
クエゼリンの捕虜殺害事件については現地指揮官に責任を負ってもらいたい
との意向を受けており、自決せず裁判に臨んだ。
 
米海兵隊が主宰するこのグアム軍事法廷は、同年5月6日に起訴状が
出され15日に開廷された。そして結審したのがわずか一週間後の
22日であった。
阿部は当初聞かされていた予想とは
正反対の絞首刑を告げられる。
裁判ではほとんど阿部の発言は行われなかった。
 
1947年、6月19日
刑が執行される。
阿部は宮城(きゅうじょう)を仰ぎ、天皇陛下万歳といって
刑場の露と消えた。

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