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2011年8月12日 (金)

ペリリュー天野戦車隊 九五式軽戦車「いづも」

ペリリュー島の天野戦車隊九五式軽戦車について

ペリリュー島に残る九五式戦車

▲ペリリュー島に残る九五式戦車「いづも」
 
◆天野戦車隊・概要

天野隊長率いる九五式軽戦車17輌は9月15日午後の飛行場攻防戦で
米海兵隊第一、第五連隊と対峙し玉砕した。

戦車は車輌同士の識別を容易にするため砲塔の側面に白いペンキで
ひらがなでそれぞれ名前が記されていた。 天野戦車隊長は「さくら」であった。
青森県出身の田中指揮小隊長車は「むつ」 、岩手県出身の高橋小隊長は
「きたかみ」 そのほか「もがみ」「ふじ」など それぞれ小隊長や車長の郷土に
ちなんだ名をつけた。 現在残るこの戦車は「いづも」と推定されている。
※篠原調べ
 
◆天野戦車隊の戦法
天野隊長から事前に通達された戦法は、二車両ごとの行動を徹底し
米M4戦車に対しては徹甲弾を用いて二車両同時にキャタピラを狙い、
擱座させる。砲塔は装甲が厚いから絶対に撃ってはならない。
 
さらに戦車一両につき市岡大隊と七中隊所属の二個分隊が
跨乗歩兵となり敵陣へ突撃するというものであった。
 
◆実際の戦闘経緯~勇猛果敢に敵陣へ突撃
米海兵隊との戦力差は圧倒的であった。 海兵隊はバズーカ砲
(対戦車砲で貫通力がある)を用いて 日本戦車をたちどころに撃破した。
これに加えM4戦車3輌が 支援を行った。
 
しかし日本戦車隊は良く統制が取れた動きを見せ、生き残った車輌は、
ひるむことなく、跨乗歩兵とともに、勇猛果敢に前進した。 被弾した戦車は
炎を上げ煙の尾を引きながらもスピードを落とさず前進を続け、敵陣に突撃した。
 
戦車は敵陣の只中でついに傾き、停止したが戦車兵は その場で車載機銃を
斉射した。 擱座して燃え上がる戦車からハッチを開けて脱出する戦車兵がいたが
海兵隊が火炎放射を浴びせると戦車兵は燃えながらついに倒れた。
かくして敢闘するも全車輌が撃破され 天野戦車隊は玉砕した。
 
残存兵力も歩兵部隊に合流し水府山および中の台附近にて
9月21日ごろまでに全員戦死した。
 

ペリリュー戦車隊 
▲飛行場で擱座した天野戦車隊所属九五式戦車「むつ」
奥には海軍の「彗星」が見える。

 
◆九五式軽戦車諸表
乗員3名、重量7.4トン、全長4.3メートル、全幅2.07メートル
三菱製ディーゼルエンジン出力110~120馬力、最大時速40km/h(~45km)
37ミリ戦車砲一門、九七式7.7ミリ車載重機二搭載。、装甲 砲塔および車体の
前面とも12ミリ。
 
◆操縦
乗員三名のうち右側に操縦士が座り二本の操縦桿で操縦に専念する。
左側は銃手で7.7ミリ車載機銃による射撃、無線機の取り扱いを行う。
中央上部砲塔が車長の定位置。 小隊長は戦車長として戦車砲や車載重機に
よる射撃実施、小隊間の連絡、さらに戦車隊長(天野)は各小隊を掌握して
手足の如く指揮しなければならない。

無線機は周波数一定の水晶発振器による電信と電話の両方が可能だったが
各人が何役もやらねばならず戦車兵は何れも優秀だった。
 

ペリリュー島の戦車



 
濃硫酸バッテリー ジーゼルエンジン発動には強力な力が必要で
12ボルト180アンペア級のバッテリーを四個取り付けてあるが
バッテリーは湿気と暑さに弱くすぐに電圧が降下するので
明けても暮れても予備バッテリーとかわるがわる充電した。
 
 
◆見学にあたってのお願い
ペリリュー飛行場の攻防戦で奮戦した九五式軽戦車です。ペリリュー島戦跡
一日観光で必ず見学する定番ですが、どこまでガイドが説明しているでしょう。
敵の集中砲火を浴びた、この九五式軽戦車は、その薄い装甲故に大破し
生き残った戦車兵は脱出するも、更なる弾幕の中に 投げ出され、手足は
四散し火炎放射器で焼かれ、黒焦げになって転がっています。 
 
そんな惨状を知ってか知らでか、若い日本人観光客が笑顔で戦車との
記念撮影にいそしんでいます。 ただの見世物となってしまった戦車。
現地の年配パラオ人や 戦争経験者は嘆き悲しんでいます。
どうか英霊の気持ちを忘れないでください。
 
  
戦車隊部隊史
 
昭和19年
3月 5日 満州勃利に於て第14師団戦車隊として編成完結 
3月28日 大連港より東山丸 能登丸に分乗し征途に就く 
4月28日 コロール島に兵器人員の揚陸完了 ガスパン村に移駐 
5月16日 ペリリュー島に派遣 歩兵第2連隊長の指揮下に入る 
中の台附近に陣地構築 出撃訓練に従事 
9月15日 島南部より米軍上陸 反撃命令により出撃 飛行場附近に於て
敵と遭遇 良く敢斗せるも戦車隊主力壊滅 9月21日 残存兵力は歩兵部隊に合流
水府山および中の台附近にて前進を阻止 敢斗せるも全員玉砕
九五式戦車17両を基幹 通称 照4363部隊 天野国臣隊長以下128名戦死

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