戦闘機へ転科

内地へ戻ってきて、三重県の
明野飛行学校で半年間
戦闘の訓練を習ったんです。爆撃機から戦闘機への転科です。
戦闘機も操縦そのものは
それほど難しくはありませんからね。

射撃、爆撃、
空中戦をやりますから。

その当時の空中戦法は少し変わりつつありましたから。
新しい形式の戦闘方式を約半年受けて、そして、またそれぞれ
戦闘部隊に変わる。

そして明野が終わって、すぐ部隊に行った者も半数以上ですね。
残りの半分くらいは明野の甲種学生としてもう少し高度な
戦技を習う。それで明野でそのまま教官になるのと、残りは
防空戦闘部隊要員になるというのと分けられる。何人おったかな。5,6人かなあ。
その中に私がおって、そちらは茨城県の常陸飛行学校へ。

私が行く頃には「常陸飛行学校」の呼び名が変わって
「常陸教導飛行師団」と呼ばれていた。
そこで防空専門の教育を受ける訳です。


常陸教導飛行師団へ入ってからは
乙種学生はそこで九七式戦闘機をやって、甲種学生はその上の
一式戦闘機をやって、部隊に入る。訓練も少し高度なものをする。

そして
甲種学生が30名ぐらいですかな。そのときに乗った飛行機が
一式戦闘機隼、二式単座戦闘機鍾馗ですな。それに乗って
卒業した。

31:08

それが半年ぐらいかな。
3、4か月かもしえません。

まあ、防空といってもやることは同じようなものです。
強いて言えば、一回、高射砲との共同訓練と言いますか
照空灯で照らして訓練を。
あとは高高度飛行。酸素マスクつけて8000メートルぐらいで訓練して。
B-29は9000以上ですからね。8000ぐらいで訓練したのは飛行機はヨタヨタですよ。
それで訓練して大変に難しいということはわかってた。

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