kirarabee様
特に四宮君なんかは立派だったね。
一度は彼は翼端本当にぶつけて
そのまま飛行機で降りてきて。
こちら側にピトー管っていうのがあるんです。
それが生きとったから
飛行機操縦して帰ってきた。
見ましたよ。私も。
あれはしんてん制空隊になる前じゃなかったですかね。
(四宮中尉に体当たりされた敵機はどうなったんですか)
そのまま飛んで行きましたよ。
ただ、それを誰かが落とした。
(他の誰かがしとめたと)
向こうも高度を下げたでしょうから。
四宮くんは本当に神様ですよ。
他の特攻隊もみんな神様ですけどね。
ただ特攻隊の戦果が多いというのはね
私もちょっと疑問はあるんですよ。
というのは、特攻隊が突っ込む前はですね、自分で行って
ぶつかりますね。そうしますとね、ぶつかる前に撃墜されているかもわからない。
だから見てない。
だから突撃を見たら体当たりしたものと思っていますから。
わかりにくいですから。
それを特攻の戦果と、そのままとる。
中にはあると思いますね。
45:00
私もそういう場面を見たことない。
ただ地上で見た人はいるわけです。
ぶつかるのを。うちの女房なんかも。
45:10
落下傘が開けばいいなと思ってみとったものを
開かないで、それは確実にぶつかって、
そういう人が多いとは思うけど、ぜんぶがぜんぶそうとは限らないと思うんです。
しかし特攻隊が突撃と言うともうおりてこないわけですから。
その前に自分が落とされる可能性もありますよ。
こっちも当たるなら、むこうからも当たるはずですからね。
そういう場面を想像すると必ず戦果とはいえないんじゃないかと思いますね。
これがね、四宮中尉の遺書。
ひとつ見つからないんですが
彼が偉いのはね、
出撃のたびに書いてるんですよ。
だから文章が違います。
これは最後の出撃の4月何日かに書いたやつですな。
もうひとつは3/29で
これもまた他の日に。出撃の前に出撃の都度に書いてるんですね。
戦隊歌
出撃のとき歌ったら涙ぐんで最後の方は
声が出なかった。
また、その中で部隊ではしんてん制空隊というのを
各部隊に4機つくって、これは体当たり専門ですよ。
弾も積んでいない飛行機を4機、当然私の飛行隊からも
隊員を出せということで隊長と隊員を出しましたね。
希望を取りますと、皆熱望を書きまして
まあ書かざるを得なかったというのが本当のところでしょうね。
みんな疑問はあったかもしれんけども
やむをえないというのが本音ですね。
しようがないから、私は
妻帯者ははずして、
隊長は指名されたいたから。
これは四宮中尉。私の二期後輩。
四宮中尉を隊長にして3名をつけてしんてん制空隊を作ったわけです。
四宮中尉というのは非常に勇敢でね、
このしんてん制空隊に入る前に、やはり方翼で降りてるんですよ。ぶつかって。
それはわざとじゃなかったと思いますけど。
かすり傷ですけど、切れている。翼端が。無事着陸した。
まさに実証していたわけですな。体当たりをね。
本当に立派な人だった。
いつも私の先任将校として
隣で寝て、
もちろん他の部隊も同じですが
そういう体当たり攻撃というのを、
そういう人たちが自ら行って、?????励ましてくれたというか
私たちにとっては神様みたいな人だったですなあ。
生神様。
体当たり、私の部隊も三人。。三人だったか二人か.二人どちらももういないと思うんですが、
二人は二度とも体当たりして、二度とも落下傘で降りてきた。そういうのもいますけど、
一回ぶつかって落下傘でおりてきたというのは、やっぱりおりますね。
有名なのは、中野軍曹というのが、B29に後ろから飛んで引っ張りあげたら、
B29の上に乗った。馬乗り軍曹として、飛行機はだいたいの形で残ってたもの
だから、デパートにも飾られてた。彼、亡くなったと思いますよ。(戦後)
最近まで生きていた。案外に(亡くなったのが)早かったと思いますよ。
年賀状も中々、私が自衛隊を辞めてはまだ来てたからもすぐなったと重う思う。
この四宮中尉っていうのは私が中隊長だった頃の
先任将校でベットは隣。よく一緒にのみに行って
遺言状だとか家族に宛てた手紙だとかを預かっているんですけれど
この人は本当に体当たりでこの翼(ヨク)のこのあたり(日の丸のあたり)から
切ってぶつかって。おりていって、その飛行機をみんな見たんだから。
間違いなく。特攻隊で。
それから、この板垣、板垣君というのは二編隊で
落下傘降下して。
B-29の上に乗っかったのが中野、
体当たりは二回やったかな。
◆
(四宮中尉について)
四宮君の写真が残ってますね。
写真、この通り、そっくり。
四宮君は震天制空隊で正真正銘の体当たりですな。
自分でその飛行機を操縦して降りてきたんだから。
スピード計(ピトー管)が助かった。
ピトー管から先の翼が折れて。
(速度がわからないと着陸は難しい?)
ええ。
彼の遺書も私持ってますけどね。
彼は立派ですね。
彼は何回か上がってる。なかなか敵にぶつかれない。
その都度、遺書を書いて。
できなかったときの悔しさを書いたり。
明日出発します、明日出発します
敵がいなくてやれなかった、残念だったと。
四宮君は私の一期後輩の56期。
私が飛行隊長してるときの先任将校だった。
寝台が隣でね。
(震天制空隊になってからは別?)
本当に惜しい人間でした。もう頭が下がる。本当に。
生きた神様です。
よく映画やテレビで、特攻隊を演じる役者が
お酒飲んで刀振舞わして暴れてるの、
やってますけどあんなことは絶対しなかった。
見たことありませんな。
244戦隊の特攻隊はみんなそうだった。
四宮君の部下も
絶対信頼していました。
四宮君の部下で
板垣政雄と中野松美は二回B-29に体当たりして
生き残ってますね。
佐藤准尉、あとは吉田竹雄君、
よく生き残ったと思いますね。
四宮君、
震天制空隊に、どうしても、それ級ぐらいの人が隊長に必要だから
ぜひ出してくれと言われて、出したくなかったけれど。
(その四宮さんも艦船特攻行かれて)
最後はね、半ばはんでも飛行機でね。
ご指名だったからね。
いい男だったですよ。
いい男というより神様だったねえ。
この話をすると涙が出ます。
熊本にお墓がありますよね。
弟さんがおられますよ。四宮中尉だったら弟さんに会うのが一番いいです。
熊本。
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