板谷 茂(少佐) パイロットデータベース

板谷 茂(少佐)戦闘機搭乗員
海兵57期
 
龍驤-15空-12空-飛龍-赤城-203空
飛龍分隊長s15.1-15.11
赤城飛行隊長s16.4-17.6
第51航空戦隊参謀
 
赤城時代16年4月からミッドウェーまで搭乗もゼロ戦は
ライトグレーの機体にカラーリングは胴体に赤ライン1本
尾翼に黄色の横ライン2本。黒のエンジンカウルに銀色のスピナー。
機体ナンバー(AI-101)
 
12月8日
真珠湾攻撃では第一波制空隊総指揮官。
板谷隊はホノルル時間7時50分に真珠湾上空に突入。
奇襲成功により敵の反撃はほとんどなく、遊覧機、練習機合わせて
3機を撃墜したのみで、その後ヒッカム、エバ両飛行場の銃撃に移る。
この際、板谷の2番機、平野崟一(一飛曹)が地上砲火により被弾
自爆した。
 
2月19日
ポートダーウィン空襲では板谷少佐率いる戦闘機隊は9機が発艦し
他隊と共同で4機撃墜、地上撃破8機。
昭和17年4月5日
コロンボ空襲では9機発艦、艦攻17機の護衛にあたる。
イギリス軍戦闘機と接敵、空戦。16機を撃墜(うち不確実7)した。
9日のトリンコマリ攻撃においても6機を撃墜した。
 
昭和19年6月
第51航空戦隊、第203海軍航空隊で北海道各地の基地
を渡り千島列島の警備にあたる。
7月24日、飛行中事故死。