ペリリュー玉砕戦の証言 永井敬司

00:01:11より
篠原:今年の夏は随分お忙しかったでしょう

いやあ困りましたね、天皇陛下がパラオへ行くようになった前かな
三月の後半三月の二十日ごろかな
いや、新聞社から、あるいは、その雑誌社から、あるいは宮内庁で
皇居へ行く、天皇陛下とお会いになることについても、
ああ、侍従、侍従官つうんですか、二人して[じゅかいば?実家へば 00:01:51]が来てね
だから、いや困りましたね、そんでおたくの分も今度
こう(手で押し出す仕草)しようと思ったけど
もう、いやあ、いままで散々やられたから、それで話すものも話したからね、一応は、
だから、これはおたくの方で電話受けたつのどうしようかと思ったけど
せっかく、あの、そういう話があったのでね、今までほとんど断らなかったんですよね
そうだから断るのは、まあお引き受けしようと思ってね
それじゃあってことは今日だけでしょうね

篠原:陛下とはどんなお話をされたんですか

陛下とはね、ええっと、宮内庁の方から侍従官が来て、ここで私の実家へ来たんだけど
どうゆう了見の野郎かと思って来たんじゃないですか、調べに来た、はっきり言うとね
そして帰ってから、宮内庁にそら、陛下とお会いすることにが決まった通知が来たわけ
だから、天皇陛下とお会いした際には、一応侍従の方に私の経歴、など申し上げて、あの、おいてあるんで
私も清書するこのちょびっと短くしたものを印刷しておったものですから
そいつを宮中に持ってって、あの、陛下の前に最初出して、自己紹介してから出して
それから話となったんですが、
天皇陛下が風邪だったので、皇后様と二人で、私らが先にこう席に着いたところに
侍従長と一緒に来たんですから、入って
ええ、今言ったように風邪ひいてた為に、
ここで陛下が、私が自己紹介して
天皇陛下が、長い間たいへんご苦労様でしたと行くもの、同じ陛下のお言葉ですよ
それで、今日はちょっと風邪ひいてるからって侍従長から
あの天皇陛下は下がっちゃうの、5分くらいでちょびっと挨拶しただけで下がった
で、美智子さんと皇后陛下と40分くらいその後、天皇陛下が下がりましたから
40分長かったっすね、でも、それ、一応、こう私の経歴的なもの戦争の、こう出しておいたわけ
美智子さんはそれを見ながら色々ね、
私の方からは、聞かれたのはペリリューの戦闘のことだったね
いつどこでっていうことをね、あのそれが話で
あと、私の方からせっかく皇居に行かれて、こういう機会を得たので
ただ私の招待された、これがペリリューの生き残りだだけでは、一つもわからないから
はっきり戦争のことと、それから私のここ70年からの経過した考えって
で、一番申し上げたことは、戦争って言うことは人の殺し合いですからね
これほど非道はない、そうでしょうよ、殺し合いだから
これほど世の中に言いたいことはありませんよ
そんでおたくさんと同じ30前からの人の爆発だからね  
特にペリリューなんぞは25歳が最高くらいだから
21、2、3これが、三年間に入ってった主力だから
23歳なんだ、私はそこに応じて長いからそれらよりは歳とってました、25くらいですよね
23からの方がみんなこう突っ込んだんだから、こう吹っ飛んだんだから
これはおたくらちょっと経験してないからわからない
そりゃ考えただけでも人の死を
いやあ22、3て人間、生まれてきていよいよこう成熟する前でしょ
それが吹っ飛ばされるんだからバンバン、これほど悲惨なことはありませんよ
だから、陛下に私の方から、当時の状況は、ミッドウェー海戦からご存知のように
ミッドウェー海戦で大体日米ってのは勝負ついちゃったんだ
あそこで航空母艦4隻くらいやられちゃったよね
あれでもって海軍はこれ(手を下げる)
だからあれからガタッとなって、ペリリューから要するに硫黄島、それから沖縄
それでこう来たわけですよ
だから天皇陛下には、その当時振り返って、一番苦労したのは
戦争は兵隊だけじゃないからね、ご存知のように
銃後の方がたいへんだった
お米を作ってる農家の方とか、それからお子さんの育て盛りのお宅の子供らがそれもってる方
これはお父さんが兵隊で出ちゃって死ぬか生きるかの戦争してるわけですから
銃後は、働く方だってこれはたいへん、だから私は戦争ほど悲惨なことはないっちゅうことは
総合してそういう、もう後方がね、たいへんですよそれは
それでことになれば皆さんの時計、チェッカーとか指輪とかこういうのまで全部供出になるの
ご存知ですか、それからこういう屋根の垂木ってありますね、あの上がるの全部供出ですからね
それはそれはその当時考えたら、今などはこれは殿様クラスじゃないですか
私、皆さん、非常に世の中考えると不服があって、毎日人殺す、親殺した子供を殺した
金欲しかったら殺しました、毎日でしょ、今
いかに今の世の中の、この幸せの時代に、私は世の中の生き方が狂っちゃったと思うね
皆さんは正常だろうから狂っては居ないと思うが、
私らが小さい、おたくらの頃で兵隊行く頃で人殺しなんていうのはラジオで一回ですよ
たった私一回ですよ、兵隊行く前に、人殺しは
だから、今は毎日だからね、それで子供を殺すとか、親を殺す
これは普通の人で金が欲しくて殺したのとはまた別だね、親を、すごいでしょうよ
どうしてこうなっちゃった、それで政府の偉い方らは、そういうことは気にしないんだからね
それで今のイスラム国のことなんかだいぶ、これ、世界の主要国の問題だから騒いでますけどね
色々余談になっちゃうけど陛下には、その当時一番苦労なさったのは
天皇陛下じゃないかっていうことを申し上げました
あの、天皇陛下は亡くなられた天皇陛下、今の[聞き取れず 00:10:37]
おそらく戦争はしたくはなかったじゃないんですか、私の勘ですよ
それはやっぱり軍部だとか、財閥がこう(手を上げる、舞い上がって)なっちゃって
おそらく、そういう陛下とか、あるいは色々な方の戦争はしないほうが良いって方を
押し切って無理な戦争をしたんじゃないんですか
それでその戦争した方が、上層部が、極めて頭が低い
あの、井戸の中の蛙(かわず)、日本はこのくらいの(手を小さく)国で、何もないのに
アメリカとイギリス、ああいう大国と先進国と戦争を、しかけたんだよこっちがね
それは、あの支那事変の問題があったんでしょうが、支那から撤兵しなさいって
アメリカが盛んに圧力かけて、だけど日本はその当時支那では<不明 守護に立ってましたから(満州防衛のことか)00:11:45>
あれだけの苦労したから、簡単に手を引かれなかった
そういうべき戦争の始まりだったんじゃないですか

篠原:はっきり陛下に申し上げた?

申し上げましたね、そして天皇陛下が一番
いやあ、おたくらでははっきりわからないと思うんですが
あの終戦の詔書、ご存知ですか、
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、日本の大勢をたて、作れってこと言ったことね
あれはたいしたことですよあれは
だから日本で一番苦労したのは私は天皇陛下じゃないかと申し上げましたよ
美智子さんは一所懸命ね、聞いてましたけど

篠原:陛下はなんと仰られていたんですか

いや、陛下は聞いてるだけでしたよ
大人しいから、美智子さんは、いやあ静かなんだよ
だから私も歳とってるからいくらか耳は遠いと思ってね
ちょうどここらのとこに(手を前後する)美智子さん居たの
それで私、写真出てますけど見ましたか?私の写真
こういう形で(前のめり)、一所懸命、途中からのことを言っちゃいけないと思って
一所懸命聞くべえと思って、こうなってた姿勢が悪かった

スタッフ:それで姿勢が

途中っからのことを答えたらいけないと思って
一所懸命聞こうと思ってこうなった
最後には、私の、こう出しておいたから(経歴書)
最後には兵隊から帰って、ここお菓子屋なんですよ、私の商売
この、饅頭やなんか
それで、当時は、皆さんご存知ですが、砂糖とか必要なその輸入ものは統制っていうので
今みたいに自由には買えないんです、配給、だからお菓子屋さんやってる頃も
終戦の頃は酷かったお菓子屋さん、砂糖が無くて、それで皇后様からは
「砂糖が無くてお菓子屋さんでお菓子作るのたいへんだったでしょう」
って聞かれましたけども
最後にそれまで言いました、陛下、あの皇后様、美智子さん
だから、幸いにしてなんとか砂糖も続いてね、お菓子屋さんやりましたってことを申し上げました
まあ、最後はそういうことで40分近くで、終わりました

篠原:陛下からの質問はありましたか

天皇陛下は今言ったように風邪ひいて交代(後退?)して
「大変ご苦労様でした」と挨拶だけして
私も自己紹介して
天皇陛下は風邪気味だった、で、大事に、天皇陛下だけ後退して
皇后様、美智子様と40分近くですか
美智子様は大人しいし静かだから、もう少し大きい声でなんてことは言えないから
年寄りですから大きい声でゆって下さいてなこと言えない
こういう格好(前のめり)になっちゃった
一所懸命聞こうと思って、そういうわけ
まあ、宮中ではそれから、陛下から、やはり皇室で、こう礼儀があってね
帰りには、私らは、陛下のお住まいは質素だ、陛下のお住まいのすそまで、上がりましたのは
陛下のうちは質素ですよ、こう見えるとこ<00:16:00聞き取れず>で、広い廊下が絨毯すになってね
で、オフィス、一番立派なのはオフィスじゃないですか
窓は広くて、くぬぎ山が、って大きい窓がありましたね、窓でちょうど3月ですから
くぬぎ山の草が伸びる頃、伸びる頃でしたね
それで、皇后様が先そこから下がってしまわなかったら、そうなるでしょ
私らは今度、そんで広い廊下、内裏のオフィスまで広い廊下私ら帰るでしょ
その時、皇后様、美智子様がこうやって出口で挨拶して
「たいへんでした」
って送ってくれたんです
だから皇室の方々もちゃんとした礼儀があるんですね
私は皇后様が先に下がってしまうと思ってたんです
私らが先出る、そこでね、送ってくれた形だね
で、私扉の裏に立ってましたよ、宮中の中はそういう状態です
あと、記者クラブがあった、今言ったね
そこで30名か25名くらい居たかね、いやあこれは誰が居たかわからない、いっぱい居たから
そこで陛下とお会いした、どういうことお話しましたとか、どうでしたぐらいの話があってね
色々話して、新聞記者さんもわかってることだから、めんどくさいから、まとめて
今、あの今日宮中に招待されましたが非常に陛下が、宮中のほうもね
さばけた、非常にたいらな考えなことで招待されてお話したっていうことを
新聞社さんに開けた世の中になったということを申し上げただけで
たくさん居た新聞社さんが何回も聞いてくるから
色々なことしゃべってもどうしようもないからね
そういうことで
開けた皇室になったということだけ、そこでは申し上げました
それで私らがね、天皇陛下にお会いするなんてこれは夢にも思ってないですよ、そういうことは
無いと思ってたから

同行者:ペリリュー島は天皇の島って呼ばれてたんですよね、戦争中
 だから陛下の中にもそういう思いがあったのでは

それはそうですよね
あれはごとうゆづる(児島 襄 か)っていう方のね軍事評論家の方が書いてましたね
今言ったように天皇の島って素晴らしい言葉だと思うんですよ
ペリリューの兵隊は水戸路地連隊って茨城、茨城っ子が90%以上、茨城の兵士
それでほとんどあの明治7年、全国の連隊でも一番古い、歴史ある部隊
だから、その、訓練でも、あるいは連隊の兵隊自身もそういう歴史ある部隊だってことを
教育されましたからね
それで茨城っていうのはおたく茨城じゃねえのか皆?
茨城はこれ(頭をさす)馬鹿だからね、少し
勤勉性、猪突猛進型だから、それで短兵急だから
その、戦争などには非常に向く性格なんだね
やっちめえっていうことでやるから
だけど、考え、考えの方は頭は(手を下げる)(笑)
それでおたくら、どこの県が教育程度がいいなんていうことわかりますか?わかんないでしょ
私は教導学校っていうのをやったんですが幹部学校、兵隊出てずっと経ってから
星三つもらってから学校へ行くの、これは幹部の学校ですから、上等兵ばかり集まって
優秀な下士官、将校から教育を受ける。専門教育を受けるわけ
教導学校って言うんですが、おしえる、みちびく学校、教導学校
下士官の養成学校、まあ幹部、下級幹部だね
そこで、各県の、私満州に居た頃教導学校やってたから、関東軍の学校で
いやあ、群馬県も栃木県もね、そらあ九州の方の人も居る、北海道の人も集まったけど
満州に居る部隊が全部集まる。
県民性はっきり、茨城はダメ、頭が低級
それで一番優秀なのは長野だったな、長野
長野はね、ただそれは本当のことはわからないけど
大体評価できたんでないかね
九州の連中はねばりっこくて、大阪のほうはうるさい
そらあもう大阪の連隊が来たから
それで九州の人たちと学校で喧嘩をしたの
そしたらね、今日一時間くらいで終わると思ったら「また明日」っつうんだから、喧嘩
いや、たまげた、私らとてももたないよ。そういうこと
だから、九州の人と喧嘩したことある
それでね、軍隊ではそういうことでわかりますから
それで私兵隊から帰って最初に、役場の職員、郷里へ帰ったらすぐ
兵隊の役場の偉い人が居て、私が帰ったのがわかったものですから
すぐ役場の職員に、でも役場は中央との関係があって、うるさいから私辞めて
県庁にしたかったが、県庁に入ろうとしたら県庁はだめでタケヨシさんていう方なんだ水戸の<聞き取れず00:23:03>
お世話になって「永井さん、役場なってから国家公務員の」
旧制高等学校、水戸の旧制っていうのは東京の一高とか、浦和高校とか旧制高校ですよ
今の高校ではありませんよ、旧制高校
そこに就職したんです。私水戸高等学校ていう、役場から
そしてあの昭和27年に教育改革がありまして新制大学になったアメリカのね教育改革
それで昭和27年の頃文部事務官として、何の因果か<聞き取れず00:23:50>茨城大学
堀原っつうとこにあるんですが、そこの茨城大学まで2連隊の跡の校舎を利用して
改造して茨城大学になったの、それですから、また何の縁か兵隊から帰って
訓練してはいずりまわって、そこ駆け回ったとこまたそこへね
勤めるの、それで最後は何の縁か、堀原のイマダイの跡は縁があって
それでそこカバン持って事務官で通いました
そして、あの、ここお菓子屋なんで縁戚なもんですから私ここへ来てお菓子屋
これからやろうなんて、ちょうど27、8ですから、その当時
お菓子屋ずっとね、ここでやりました
ま、そういう経過です

篠原:NHKのアーカイブスですとか本で経歴は調べてきました
今日は小さいエピソードですとか御戦友の思い出とか
そういったことを中心でお聞きできればなと

戦友の思い出も、どっから話していいんだろうなあ
戦友の思い出も個人的に、部隊も今言ったような部隊で動くには動きましたけども

篠原:トミタ大隊長の自決が本にどこにも書いてないんですが

私と一緒に突っ込んだんだもの
あれ、おたくのあれちょっと見たけど(本ですか)
これ、間違ってたよ、あの、富田は2連隊で左翼の大隊長だからね
少佐なのに大尉って書いてあんだ、あったと思った、どっかでみたな
あの、他の守備ではね、大尉あたりが大隊長だったけど
ペリリューの戦闘の一番激しい敵の上陸したところに居た私らの部隊の大隊長は
一番先陣だからね、少佐だから、富田保二、陸軍少佐

篠原:一緒に突っ込んだというのは

私は、そらあ、富田大隊の私は、本部付きっちゅうのをご存じないかね?
一般の部隊でなく、大隊本部っつうのがあるんです、800名ぐらい部下をもった大隊長っつうのが
それでその連隊の編成を申し上げると一大隊、二大隊、三大隊
それから歩兵砲っていうのがあるんです、大きい砲と、戦車をやる速射砲っちゅうのと
これが一個連隊、それで連隊には連隊本部っちゅうのがあるわけ
それで大隊が三個大隊だから、一大隊本部、二大隊本部、三大隊
それで一大隊っていうのが結局、その中で一中隊、二中隊、三中隊
そしてあとは機関銃って、私は初年兵の教育は重機関銃っていう
あの連続、ボタンを押すと連続で出る、重い、馬に積んである、馬の世話教育、重機関銃
初年兵の頃ね、教育受けた、
だから照準架はこうやって照準、あとはこういう脚を出して定置するわけ
あとは、中隊には歩兵砲っちゅうの、筒が短い、平地でヒット<?00:28:13>する、長距離弾が行かない
そういう班があってね
あの、私は第二大隊っていうとこの大隊本部の本部付きになって富田少佐と一緒に
ずっと行ったんですよ、こう、戦闘も一緒です
だから、大隊長の機関銃ですから一緒にいつも
で、突っ込んだのも
いやあ、大隊長の突っ込んだ時には
あの、海岸から300メートルくらいのところに堤防っつう、堤防っつうのはおかしいか、
おたくらで言う土手だな、田舎の人が言う土手、それが土手っつっても<漏斗?じょうご?00:29:05>の土手と違って土じゃないから
珊瑚礁が上がった島だから、珊瑚礁、堤防が、堤防っつか作ったんじゃなく、自然にあったわけ
そこをちょうど、敵方ってのオレンジビーチのとこの200メートルくらい山に入ったとこにあったわけ

篠原:イシマツ陣地ですか?

イシマツとかイワマツとか
正面は、一番アメリカが居ったのは私らの正面ですから
あのご存知ですか、左の方は十五連隊のチアキちゅう大佐がいや、大尉

篠原:チギラさんですか

千、明 って書いた
(千明の読みでもめる)
十五連隊だから、おそらくこの方はよくわからないけども陸士を出てきたんじゃないですか
大隊長で大尉です、それが私らの東の地区の親方
そして私らが、アメリカが上がった正面の富田大隊の正面
それから連隊本部向こうのヒタチ区っちゅう方が

篠原:ヒキノさんですね

ヒキノとか、それからハラダとか、連隊本部とこは向こうに居たわけ
で、連隊本部の方は今言ったハラダ<大尉?不明瞭00:30:50>の方でね
私らのとこは、一番アメリカが上がってきたオレンジビーチ、正面

篠原:二日目の夕方に突撃をかけて?

いや、そのね二日目っつうか私ら二日目ですがね
9月の15日に敵が朝、上がってきたでしょ
その9月の15日の前だから、14日、13日、12日と三日間猛爆撃した
こらあ、島が変形するほど、艦砲と、いーや、アメリカのグラマンちゅうのが突っ込んできて
バンバン撃つの艦砲が、まあここらの田舎の山の雑木山がきれいになっちゃって
それこそ草一本なくなっちゃった、あのp開墾した畑になっちゃった、艦砲と爆撃で
きれいになっちゃった
だから、当時大隊長と陣地をまわってるころは大きい木もあったしジャングルだから
ちょっとこう歩くのにもたいへんでしたが、その三日間は猛烈な艦砲と爆撃と
それで15日にいよいよ朝上がってきた、
だから、その15日の朝はもう上陸、敵は8割くらい壊滅したと思って上がってきたんじゃないですか
眺めてみれば
それで、二連隊は幸いに、あのあそこは珊瑚礁、19年の4月頃上陸してから、昼夜兼行陣地構築やった
あそこには海軍部隊が居てね、ご存知のように西カロリン航空隊っていう司令部があった

篠原:大谷龍蔵?

ああ、そうそう、あれは大谷は後になってですがね、前にあそこに古賀司令官あたりが居たらしい

同行者:聨合艦隊司令長官の?

あそこが、だってあそこらのあれだから、なんでペリリューがやられたっちゅうのは
飛行場が優秀だ、1200メートルあるかな
それでやっぱしあれ、作戦上ペリリューっちゅうのは、マッカーサーの居たフィリピンの
それからこっち硫黄島の方の、結局小笠原の方も、ちょうど中心なんだからね、こうね
だから、あそこの飛行場を獲得しないと、日本の空爆だとか、沖縄のこうやんのに
おそらくいかにアメリカの飛行機が良くても、そういう基地がなかったらできなかったんじゃないですか
それで、ああいう小さい島を攻撃
パラオ本島なんか大きいんだけど、ご存知のようにアイライ飛行場あるだけだけど
あれだけ大きくても、艦砲と爆撃されたくらいで、あのペリリューみたいな感じでこうやられたからね
だから19日の朝、上陸したんですね、だからその前にそら今言ったみたいに70%くらいやったと思って
上がってきたんじゃないですか?
それであの当時の作戦ていうのはあの、水際撃滅(スイサイゲキメツ)、みずぎわで叩くんですよ

篠原:スイサイと発音するんですか?

いや、みずぎわ(水際)、水際上がってきたところ、波打ち際の敵が上がってところを叩く
ゴタゴタしてるでしょうよ上がってきたら、弾薬からなんから、上陸用舟艇で来るから
そこを叩くっていう作戦をとった、日本は。
だけどペリリューは幸いに壕もたくさん掘ってあったし、
それであの艦砲とかの兵器では、アメリカは70&、80%やったと思って上がってきたけど
意外に残ってたわけ、
それであの、島嶼、島嶼防御っていう方法をとったわけ
だから、第一海兵師団てあそこへ上がってきたっつったが、アメリカでも海兵はご存知のように
ナンバーワンだからね、海兵師団ていうのは上陸専門の部隊、だからたいへん優秀だったですよ
ガダルカナルのあたりで訓練していた部隊らしい、第一海兵、そこが大隊の正面に上がってきた

篠原:では永井さんのおっしゃる二日目というのは16日のことですか

16です

篠原:その時に突撃をしたと

15日までは、大隊本部はトミヤマっていう、富田大隊はそのトミヤマっていうのをつくっておいたわけ
そしてね、海岸から800メートルぐらい上へはだかってる(距離を隔てているの意)かね?トミヤマっていうところに私らの本部があったもんだから
そこに15日まで居た
で、15日の戦闘ではね、もう既にやってっから、
で、今の堤防のそのちょうど、こう隠れると身体が隠れるくらいの堤防があったの
そこでちょうど隠れながらボンボン歩兵部隊撃ったり突っ込んだりして
15日の夜もアメリカ上陸したところに夜突っ込んだんじゃないかな
笠間のここの笠間市、私らの先輩ですがコサカトラキチなんて曹長はアメリカ兵に斬り込んで
海岸でやったんじゃないですか、私そばに居ないからそれは話ですよ
そんで、アメリカ兵斬りとばしてるうちに、アメリカ兵も手榴弾
ちょうど手榴弾このくらいですかね(湯のみを持つ)
アメリカの手榴弾ちゅうのはね、ここ(上部から下にかけて)にバネがあるんですよ、バネが
それで、これをつかんでおれば、爆発しないんです
放すと爆発する
それで日本の、ああ、日本の兵器はだめなんですよ
手榴弾一つ考えても負けです、日本の手榴弾ていうのは
信管てのを、この栓を抜いて、こうやって何か叩かなければ(下に叩きつけている)
叩いて、栓を抜いて安全ピンて言うんですが、これを抜いて叩いてから投げないと
だけど、叩いたら、絶対これ投げなくちゃ自爆しちゃう
だから必要なことは必要でつかえる
で、アメリカではこうなってっから(安全レバー)
私とこうなったって(組み合って)こう持ってたって二人で放せばバーンてお互いにすっとぶ
それでコサカ曹長は手榴弾でやられた斬りこんだけど、
バネがあるから適当なとこに投げられるし、破裂、効果が非常に有効
それ一つとってもだめ、日本は(笑)
だから手榴弾一つ考えてももう、戦(いくさ)はだめですよ
私は、戦場で体験した
それで向こうは皆自動小銃でしょ?腰だめだから
それ、日本じゃこうでしょ(装填のしぐさをする)、遊底っつって一発づつこうやんなきゃ
こう(狙うしぐさ)できないんですよ、こう(排莢のしぐさか)
だから、今の自衛隊あたりは<00:39:01不明瞭>、自動小銃なんて持つんでしょうけど
当時は単発だ、いやあ、あれだねえ、向こうは自動小銃だから
ジャカンと、こう弾倉っつうのがあってこうやって(下からこめる)、こうだから(腰だめで振る)
で、日本の教育は一発必中っていう教えだった、一発放したら一人やっつけろと
だからアメリカは制圧だから、殺すより頭あげらせん、頭上がるていうか、戦闘させない
いいから撃て撃てってことでしょ、当たっても当たらなくてもかまわねえ、バンバン撃てって
そういう、だから

同行者:経済力の差ですね

そう、
だから私が最初に言ったように、そういう力のある横綱と子供じゃない幼稚園生以下のと
横綱になぜ戦争を始まったか、しかけたか、それが頭が足んないんですよ日本は
勉強が足んなかった
糸なんかの数で(肩章の紐の数のことか00:40:00)、東条なんてえらいこと言ってたいしたもんだなったって、ダメなんですよ
それで戦争の結末がね、四にも五にも戦闘して、中に間に入ってもらえる人もなかった
それで日本人は非常に意固地だから、始まったら
だって日本の本土まで上陸されるまで、阿南ちゅう陸軍大臣は本土まで上陸するまでやるっちゅう
上陸して戦闘するっちゅうことを考えたらしい、当時は
そういうことしたら日本滅んでしまう、原爆の2-3発落とされたら終わりでしょうよ
それをこれら(奥さん)が女学校の頃、竹やり教育受けてた「ヤー、ヤー」って
そういう、こう雲泥の差があるから

同行者:(竹やり)やってたんですか

教育どんどん受けてた
ちょうど終戦の頃女学生だった

奥さん:戦争中はそういうことと、後、畑とかね、他の畑とかの草むしり

竹やり訓練どんどんやらされる
ああ、自動小銃や原爆投下できる時代に竹やりを
それで日本を守るなんちゅう、いかに野暮ったい考えを持ってたか
もうね、どうですか皆さん、皆さんの考えはどうですか?
それでね、今言ったように私が申し上げたようにその兵隊だけではない、戦争っていうのは
私は軍人だから戦争してふっとぶのは当たり前、これ仕事だから
おたくらがこういう仕事しておられるんだ
命を懸けてやってそれは当たり前のもの、なんでもないそりゃ、立派でもなんでもないんですよ
ただ、銃後の方のたいへんでしょうよ、非戦闘員だからね、
おばさんや、主人が兵隊にとられちゃって残った方、
子供らは昔、おたくらで色々情報収集してるからわかるでしょうが
学童疎開ってさせられた、爆撃されると危ないからね、神社とかお寺あたりにね
山の中へ、学童疎開
親から離されて、5-6年生までぐらいが疎開っていうのしたんですよ、知ってますか?

同行者:母が疎開していました

学童疎開、親の元からね、可哀相でしょう
だから戦闘は、兵隊だけが戦(いくさ)やるわけじゃないんだよ
後方部隊の苦労は膨大だから
そうでしょうよ、食料がなくなって、皆さんのおじさんあたりは
皆サツマイモがジャガイモ食べられりゃ最高なんだから
逼迫しちゃって、

奥さん:私たちが女学校の時もね、ジャガイモとか、それからイモね、おかずじゃなくて、
お弁当の替わりに持ってきた人がずいぶん居たね

だから今の皆さん考えたら、皆さんは殿様、殿様以上だよ
おそらく文句、飯の一回ぐらい食べなかったら「腹減った!」ぐらい大威張りで言えばいい
とんでもねえ話だよ、そういうことなるとだめだよ、問題でねえから、もう少し
だから、私は皆さんにこの大東亜戦争を振り返った際に、戦争そのものを体験したし
帰ってきて70年のうちに一所懸命にやっぱし皆さんから教育を受けました、色々、ね
だから、私は敗戦の世の中だからあまりしゃべらなかったんです
ここね、2-3年かな、2-3年前まではしゃべらないこと、しゃべらないこと、聞かない
それで通して来た、だけどここ、どうも墓場レベルになっては
皆さん若い人に将来、平和な日本の為にはいくらかしゃべったほうがいいかなと
そしてから、ここ3年くらいですよしゃべるようになったのは

奥さん:
あの艦砲射撃の時はここまできましたよ、ドーン、ドーン、ドンドン
だからガラスはね、みんなこう貼っておいたんですよ、みなさん
みなこのように全部貼っておいた(×印か?)の
ドーン、下からねえ、なんかこう、そんな

最近水木しげるなんてご存知なように漫画家が亡くなりました
あの方は腕をなくしたけど、私は大腿部を
15日上陸して16日…20日ごろかな?
私はトミヤマへ後退して、アメリカの迫撃砲で、ここ、大腿部抜かれた
<00:45:04>

ここらね、一番、一番この一つのこっち(篠原氏の脚で解説)
迫撃砲で私ここ貫通した、それで初めて戦場で軍人だけど弾に当たるのは
あの、簡単だと思いました

奥さん:脚、ここをやられたんな、このくらいずーっと傷があるんだわ

弾は、ぶん抜かれてもね、痛くも痒くもない
だから、当時私自決できなかったのはおかしいと思うんだよ
こうやったら(頭に銃を模した指をあてる)
これは簡単だなと、弾は速いから痛くはない
それで初めて血がズボンから、戦友はやられたから
どうしたどうしたとやってるうちに、ここがひゃっこいから、自分もやられた
そしたらここべったりあるじゃないか血が

篠原:さむいんですか?ここ(大腿部)が

いや、血が流れたから感じたんですよ、弾に当たった時はわからないもの
だから、私が言うように弾に当たったのは簡単だ、
自決するんだって死ぬ前の恐怖だけで、痛くもかゆくもないから簡単なんですよ
ここら(額をさす)バーンと来たら、いちころ
だから亡くなった戦友は、まともに当たった人なんかは私幸せだと思うんですが
水木しげる、あの漫画家みたいに片腕無くなった、あしふっとばされた、腕ついてない
ごろごろだから、皆自決、日本人皆、手榴弾で自決、
そらあ、そうだから、私、戦場ほど酷いことはない

篠原:自決する時は脚がやられて(動けなくなったらか?)

支那事変みたいに、負傷したからって、すぐ衛生兵が来て支那事変あんなんだ
後方へ下がって治療を受けられた
そしてほんとに酷い人は野戦病院から日本に送られて温泉だとか陸軍病院で治療を受けたわけ
ペリリューはそういうこたないから
どんどんやって、後退も何も出来ないから、そこで負傷してしまったら皆自決ですよ
生きられる人も居たでしょう、後方下がって治療でもしてもらえれば生きれるって人も随分居たと思うんだが
皆、誰も、そら、後方に下がるだとか衛生兵だとか野戦病院だとか関係ないから、バンバンやって
後方に下がることできないから、腕ふっとばされた出血の激しい人はすぐ自決

篠原:どのようにして

そらあ死体累々だった私が、16日に三時半ごろ大隊長と警護の線へたどり着いた
そしたらペリリュー行ったことありますか

篠原:8回行ってます

あの、防弾兵舎っちゅうのなかったけ?コンクリートのこんな赤い
あれが今、色々の資料の展示室か、あるいは、今言った図書館みたいになってるとか?

篠原:そうです

あそこが、トミヤマからあそこへたどり着いた時には中ボウボウ火の海
その中に入れないんで、あそこのわきくぐって50メートルぐらい先にある
その堤防へ大隊長とたどり着いた
あれが、中燃えてた

篠原:弾薬庫ですもんね
<00:48:42>

だから、トミヤマから出て、16日にね13時か14時頃、午後の2時か3時頃ね
第一線の堤防のとこにたどりついて、その時は死体累々でしたもう
その堤防の手前は日本人が多かったが、
前にはあのねアメリカ兵が来てやられたのが随分やられて居ました
アメリカ<00:49:25不明瞭>アメリカは勇敢ですからね、なかなかしっかりしてるから
だから私兵隊から帰って考えたんだけど、アメリカの軍隊の教育ちゅうのはどういうものか
民主主義国家の軍隊ちゅうのはどういう教育のことか、後で随分ふりかえりましたね
命令受けたらすごいですよアメリカはやっぱり、それで
あの野郎<?00:49:50>すごいよ海兵隊は、はっきり言って白人でしょ、大体の者は
黒人も居ましたよ、だけどあれ80%くらいは白人だからね
黒人も随分来たよ、だけどあの色が白いとこ、太陽に焼けて訓練して真っ赤、
赤くなるのがあの、タイ(魚か?)の色より赤いの赤さが違うんだはね
日本人が海水浴あたりであんな黒くなったのとはまた違う赤くなったの
それで裸くらいで、ここ大胆、(腰のベルトあたりを指しながら)弾をちょっくら弾持って、そして(銃を構える姿勢)

篠原:勇敢ですね

勇敢ですよ、だから日本人もそれ以上に戦いましたが
あの、兵隊は立派にね戦ってたけど、アメリカ人もやっぱりすごいです海兵隊はね
だからそしてアメリカにも私はあの島のこと思いましたね後で
アメリカ兵だって兄弟も居る親もある、おじ様、おば様も居たでしょうよ
それが、ああいう珊瑚礁の島でこうなった(破裂するしぐさ)日本人に撃たれて
可哀相なのはアメリカだって家族が居るんだから、家族が悲しむわね、たいへんでしょうよ苦労が
だから私は戦争ちゅうのはね、これは今のきえない世の中だとは思うけど
どうしてかこの世の中戦争ちゅうものはね、天災などは、東北の地震みたいに
これは正義は無いけど、わからない、
だが戦争は人間が頭を使ってなんとかしたらば防げると思うんだよねえ
これ(頭)がまだまだたんないんだね、勉強が

同行者:欲望だと言いますよね

欲望があるうちはだめですね、戦争はなくならない

同行者:東条英機が「人間に欲心があるうちは戦争はなくならない」と遺書に残しています

だからね、私は今非常に安部内閣など批判する形だけれど
あの悲惨さを知らないんじゃないの?本当にだよ
うわべでは知ってるべ誓書<?00:52:25>したこと同じこと
沖縄など言って手なんて合わせても、私なんかに言わせると何頭狂ってんだと
あの石の碑に書いてあんじゃねえの、
「あやまちは繰り返しません、二度と繰り返しません、安らかに眠ってください」って
碑があんじゃねえの、「二度と繰り返しません」て誓書した人の
最も崇高な言葉が書いてあんじゃねえの?
それを手なんて合わせてたって、何やってんだ<花束だけで?聞き取れず00:52:55> 人を馬鹿にして
全然別だっぺね、それでこの日本の最高の世界で比類の無い平和憲法などをよ
徐々に崩してって、自衛隊を外国に、何ゆってんのよ
それだから、この戦争を超えた向こうを考えないとだめですよ
だから、おたくと私喧嘩してる場合にはだめだよ
だけど、どっちか負けるか勝つか、頭を下げるか、あるいは手を握って、本当に信頼しあったら
かえって今度は助け合うようになって戦争はしないんでないの?
だからそれを超えないとだめだよね、今言ったように欲ばっかあって、欲かいたり
人のとことっぺと思ったとかあるいはどうしょべとか思ったらだめだよそれは
だから私ら東条らはけっして立派なとこはないよ、おたくらは皆東条なんてたいしたもんだ言うけど
一つも<兵隊よかへでもねえ?不明瞭00:53:54>兵隊の方がよっぽど立派だもの、ペリリューで亡くなった
どうですか、真面目で23歳まで親にかわいがられて、子供があるおじさんもあるそんな家に生まれて
あれで、あの亡くなってった気持ちどうですか?素直ですよ?そのまま死んでったんだから
東条なんてよりよっぽど立派だ、東条なんてだめあんな、上の人はだめなんだ
おそらくおたくらだってわかる、会社だって上の者がいいこと言ったって
下の者がほんとに動かなければだめなんだよ、上の者なんつのは欲だ、なんか頭がよくてよ
うまく使うことが、指図することが、できねえんだ、
それが今言ったように欲望が多すぎんだ、上の連中っちゅうのは
だもの実際に第一線につく人らは可哀相だよ?
命令一つ、それこそ真面目に死んでったんだよ?
真面目に
素直に
その気持ちは尊いでしょうよ
それほど尊いものはないんじゃないですか?
<00:55:00>
自分の任務に、ほんとに命を捧げたの、だから私は上の人なんざ勉強足んないし
おおえらい博打をやったと思っていますよ、大東亜戦振り返った場合に
今言ったように横綱に幼稚園生ぐらいのがかかったんです
そういうむちゃなことやって負けるのはわかってるぐらいですよ
だけど、どうしてそういう戦争なんぞあるか、今はつくづくイスラムの、黒い肌の
テレビで一所懸命見てんだよ
だから殺しあって憎しみあってるうちはだめですよ?それを超えないと
戦争は少なくならない
今言った欲望と色々あったら、それは絶対だめですよ

同行者:零戦パイロットの原田さんが「人間に憎しみの気持ちがなくならないと戦争はなくならないと」

それですよ

同行者:やられたからやりかえすとか、その考えを一人ひとりがなくして欲しいと原田さんはおっしゃっていた

いや、そうですよ
それ、超えないとだめなんですよ、今言ったように
そういう風にならないとだめなんだ
だから、私は共産党ではありませんよ
だけど、今の安部首相あたりの行き方(生き方?)っていうのは非常に日本の将来に心配なことがある
危惧するっちゅうかね、心配ですね、みなさんの子供さんあたりが
どうですか23ぐらいの一所懸命育てたのが第一線行ってこう(破裂のしぐさをする)
目的も何もなくして、なんだかわからないでこう吹っ飛ぶのは良いことですかね
こらあだめですよ
だから私は今度は民主党がいくらかオクガタカズヤ<?00:56:50>がいくらかがんばってるけど
私はあのオクガタカズヤに直接会って話してみたいくらいだね
やはり戦争をやめる方向に努力しなきゃだめですよ、頭の良い知恵で、今言った様に
それを反対でしょうよ、まだ72であの悲惨さを忘れて
自衛隊を戦場に送るように導くような形をとったでしょ?
そりゃアメリカの日米同盟があるからしかたないとは言いながら
日本の憲法でアメリカに反発するのは憲法の他ないじゃん、同盟があるから
言うこときこうかという、仲良くやってこうやってくべえ
仲良くっ、アメリカだって私らあ世界に冠たるもんだなんつって戦場にどこまでも参戦して
今言ったように爆撃すればまだやれる、憎しみができる、悲しいことができる
これはだめですよやっぱし
だからドイツあたりは最近まで、なかなか参戦しないことで考えていたドイツの女の党首は
なかなか立派だと思いますよ?
<00:58:03>
あれ、爆撃くらわせてイスラム国きれいにいっぺんになくなるなんてことはできないから
そういうことはできないよ

篠原:ペリリューの話をお伺いできますか、亡くなった戦友は最期どういうようなことを

いやあ、ペリリューの兵隊の亡くなった方の心情
いやあ、今言ったように真面目に、与えられた任務をただ全うしただけだよ
それは今言ったように、今の世の中の複雑なような頭は無いよ
ただ、誠実に、昔の教育ちゅうのはおたくらにはちょっとわからないからなあ

同行者:ペリリューに行った時には米軍が攻めてくるという前提があったのですか?
 攻めてくる米軍から守るということを自覚してペリリュー島に行ったのですか?
 もう敵が攻めてくるというのはわかってたのですか?

いや、それは今言った様に、ミッドウェー海戦で戦艦(空母)4隻もやられて
海軍が壊滅状態になった、そのニュースあたりから日本はこれ(手を下げる)だちゅうことはわかったよ
それがためにマリアナ諸島からこのパラオ諸島にあの線を
あれはなぜあそこらにああいう小さい島に送ったかというと日本の本土を守る為にやってたわけだから
あそこに、だって小さい島なんですよ?この茨城町なんていうような小さな島だから
そういうところに一万名からの兵隊送って、それで制海、制空、ほとんど向こうでしょ?
こういう島にぐるり艦船<00:59:55ぞっから?>錨下ろして、夜は艦船の電気が銀座みたいに
<01:00:00>
それでこれ、バンバン撃って、飛行機一機来えないんですよ?
それでほら、これ爆撃やら艦砲やられたって、ぐるりでも取り巻いて
半年も考えてたらこれ大丈夫なんですが、アメリカはあの頃、飛行場、日本やっぺと思って欲しかったんでしょうが
今考えてみるとアメリカ人も馬鹿だよね、ああいう小さい島なんてやんないでよ
ただじっとしてじりじりじりじり、日本には金もない、物も無いんだから
2-3年か5年経ったら日本こう(降伏として手を上げるしぐさ)なっちゃったよ。結局は
だが、あの当時は、当時としてアメリカの偉いのは考えて、戦争始まっちゃったから
やれれたからやりかえせ、早いとこやっちゃえって、攻めろってことでやって来たんでしょうがね
今考えてみるば、だって飛行機一機来えないんだもの、ただやられっぱなしで
こちら喧嘩したって、向こうじゃこう(縮こまるしぐさ)やってるのを叩かねばかしだ
手一つだせねえんだから、可哀相でしょうよ
だけど、その兵隊の心情っちゅうか、それは教育が徹底してたから
陛下の為に、そら、ああ、海ゆかばじゃねえが、水漬く屍、草生す屍、山ゆかばじゃねえが
大君の為、日本の為に、皆、そらあ真面目に亡くなってった
それは一途に、私はそれをほんとの兵隊の気持ちをくみたいんだよなあ
それで、命を捨てたことはそれじゃあ結果はどうだか、平和の為に命捨ててたわけだから
これから二度と兵隊に行って、自衛隊に行って、亡くなるようなことはしないほうが良いと思いますよ?
<01:01:55>
これは、だから今言った様に、そこを超えた政治に安部がなれば
安部を私賞賛するんだけど、今の状態ではだめだ
あれでは、戦争しべえ戦争しべえと思ってるようだから早く言えば
だって、自衛隊で<平気な?01:02:18>道を開くってことは戦争しべえってことでしょう
それはちょっとおかしいんでないの?
黒人を殺すことに賛成だと、
いやあ、こらあ、<ちゅうろのしんぶ?01:02:33>があって日本がもってんだから
国民が皆大切なんだからめいめいが、
それはだめですよ
だから、ご存知のように皆さん自民党かもしらねえが
自民党は多いから、強引に無理やり強引でやれやれで
他のやつらも若い人も居たって、皆賛成して、賛成しなくちゃなんねえんだ(笑)
みんな、もう議会でも賛成しちまうんだからな
だから、兵隊はそういう真面目に亡くなっていったの、
為に、私はこれからの若い人らのお子さんたちはね、貧しくてもいいから
平和に暮らせる方向に向けてくのが、まあ、これちょっと
こちら(同行者、原田さんの発言)の言ったように超えなくちゃならないから難しい問題だろうが
でも、アメリカとの問題は今私言ったけど何回も言うが
憲法によってアメリカを反駁するような憲法がないや日本は
憲法があるからできませんよって言ったらアメリカが困るんだよこれ、うん
だから、国会議員の4分の3くらいあれば憲法をどんどん変えられるっちゅうけど
そういう仕組みがあるから仕方ないと思いますけどね
だから名めいの日本の国民がもう少し理解をしてね
やっぱしこの70年前のああいう大きい戦争は、大東亜戦争ちゅうのね
いやあ、歴史的なそういうこと一所懸命勉強する必要があると思うねえ
<01:04:25>

篠原:富田大隊長は自決をご覧になったのですか?

いや、自決でないよ

篠原:戦死ですか

戦死ですよ、私と一緒に突っ込んだって言ったでしょうよ
大隊長は「自決する」つったんだ、だけど私ども大体本部の連中が
「いや大隊長、自決やるなら突っ込みましょう」って

篠原:それは部下が言ったんですか

我々が上奏したんですよ
そして、おたくらに言ってもなあ

篠原:是非言ってください

軍刀、軍刀、
軍刀を鞘を抜いて、鞘を壕の中にぶん投げて
その壕を私ら一緒に飛び降りたんです
その時はね、猛烈なる、バンバンバンバン、それこそはもう
その土手、ようするにリーフの堤防、あれ日本でいう珊瑚礁だから
弾にうんと当たると白い煙が出んだ、埃と、埃になって弾がバンバン来るとこ突っ込んだんだよ
それで飛び降りの頃は当たらなかったんだが、飛び降りて、アメリカ兵の累々死体のとこのあれに
私らが突っ込んで、そしたらね、まだ野砲が、テンザン?ていうとこの野砲が生きてたの
それで、そこへ野砲を撃ってくれたの、それはおたくにわからないかほんとのことは
日本の火薬とアメリカの火薬っていうのは違うの、アメリカは黄色薬なんだよ、日本は黒色って言って
火薬の色が違うの、要するに数式が違うんじゃないですか?
それで破裂した時わかるんだよ、日本の野砲が破裂したか、アメリカのが破裂したかだいたい
それでそこ野砲が、富田少佐と堤防を越えて突っ込んで行った際に、
富田少佐はああなっちゃったんだな、まともに当たったところは私見なかったけどね
結局野砲の間をくぐって私がもう、アメリカへどっからだから、その弾の砲弾の間をくぐって
結局トミヤマっていうのに後退したわけ、もう後ろに戻れないから
飛行場の方、千明隊が飛行場の方先に抜かれたんだ
それで我々突っ込む他方法なかったしな
こう(前をおさえる)はっついてっと、ケツから飛行場抜かれて、今度はケツから前からと挟み撃ちに
それでいよいよ仕方ないから突っ込んで、その間をトミヤマへ後退したわけ
<01:07:01>
後退した時は既に大隊長は居なかったから、突っ込んだ際に戦死ですよ、自決じゃないっすよ

篠原:自決しようと言ったところに、じゃあ突っ込みましょうと

そうだよ

篠原:それで友軍の支援の射撃で

そうそう、砲弾が飛んできたの、そこを潜り抜けて私トミヤマの方へ行った
その富田少佐は、(アメリカが)バンバン撃ってるとこ一緒に突っ込んだその時
ああなっちゃったんじゃないですかね
トミヤマの方へは戻って居なかった
だから、激しい戦争だから、指揮官がどうやれなんちゅうことはそういうことは問題にならない
一人ひとりの戦闘なんだもんでペリリューは、どっち行くとかやるとか、自決するとか
皆一人ひとり、めいめいになっちゃった。
激しい、アメリカ兵はすぐそばに来てる、

篠原:最期に何かおっしゃってましたか富田少佐は

いや、少佐は最後に突っ込みましょうっつって、それではって言って、今言った様に
(軍)刀を抜いて、飛び込んだんだよ

篠原:「それでは」と言ってそれで終わりですか

いや、「それでは」っつって一緒に突っ込んだんだよ
だから富田少佐も27ぐらいじゃないすか、あの陸軍士官学校時代、
ここ下妻、茨城県に居たからね、やっぱ豪胆だった、下妻一高出で陸士やったの、富田少佐
富田保二っつうの、少佐がね
私<01:08:28聞き取れず>行きましたよ、下館の駅のすぐそばなんですよ、岡崎ちゅう部落の

篠原:シモヅマですか

下妻中学です今の

篠原:シモダテではないですか

シモダテはないよ、おたくではだめだ
茨城県でも、水戸一高、今の水中、それから大田一高、大田、西山、隠居したとこ隠居したとこ大田
それから下妻、土浦と4校が、3校か4校が茨城県で上の方なんです
下妻一高はまあ、3-4番手、3番手ぐらいなんです
優秀なんですよ下妻一高っていうのは
水戸一高、土浦、大田その次ぐらい、それでやはり、大隊長の家は立派ですよ、すごいですよ
兄(あに)さんが、保二っつうから二番目だから、兄さんはコウイチロウつうんだけど
下館のね、今下館って言わないけどね、シロ、や、なんつうんだ?常北じゃねえ、常西か 
そういうんになっちゃったから、下館もね、あそこの市会議長やってた方、兄さんはね
下妻一高から陸士だったからね、

篠原:ご出身が下妻ということですか

じゃねえ、下妻一高、それは。それは下館と下妻ってのははだかってるから
やはり、あの、下館から下妻一高に通ったんじゃないですか高校
だから周りは、結局下館ですよ岡崎ちゅう部落のある

篠原:フナサカさんの本に下館と書いてあったものですから、あれは間違いですね?

下館の高校なんてのは下ですよ?最低だから、あんなのわかんねえ、だめですよ
そういうこと(笑)下館、下妻一高だよ、今の
水戸一高、大田、土浦、その次ぐらいだな、茨城県では4つくらいあったんだから、あとは(両手を振り下ろす)
だから、その当時下妻一高やったんだから家も良いしね裕福、陸士行ったんだから、しっかりしてんじゃないすか?
当時は、おたくらではわかんないでしょうが、いわば戦後の方ですから、申し上げても悪いけども
兵隊に出て、出征し、しかも国の為に尽くす、最高の名誉っていうか、そういう教育を受けたわけ
それが本当の立派な人間だって言われたわけだ
だから、この富田少佐の家なんぞやっぱししっかりした、その当時はね
陸士やら出てそして、茨城県だから二連隊に、最初は他のまわってたんですが
二連隊に配属になって、

篠原:確認になるのですが、「それでは」と言って軍刀を抜いて、それで突っ込んでいって

亡くなった

篠原:玉砕されたと

弾に、
本当に 戦死ですよ、自決じゃないです
連隊長のだれ、ムライゴジュウロウ?さんは自決でしょうが
富田少佐は戦死、弾に当たった

篠原:ナカガワ大佐とか、ムライ少将は、

あの人らは自決じゃないすか?

篠原:どこかで見たことは無いですか?

いや、私は今言った様に、その場そのば戦場で、連隊本部はどういう風になってる
あるいはこっちの状況がどうだなんつうことはわかりませんよ、バンバンやってるから
そういうことはわかりませんよ?

篠原:島に居ても一回も見たことはないということですね?

一回も見たことないっちゅうか、兵隊居る頃から顔はわかってます、
だけど連隊本部付きでないから、連隊本部に行けるわけないです
富田大隊の大隊本部付きだから、富田少佐のとこに居るほかないでしょうよ
だから戦場に、始まったから、それじゃ連隊本部行こうっつったって
アメリカ兵が包囲しちゃって、私ね、合流しようと思っても行けなかった
<01:13:00>

篠原:陣地構築の際に巡視という形で来ることはありませんでしたか

いやあ、無かったね
めいめいのとこで皆昼夜兼行だから
それで、石だって、ここの田舎の石みたいに固いんだよ、あの珊瑚礁っちゅうのはね
だから、ツルハシみたいなのでこうやったってダメ、あの、穴を開けて、ダイナマイトを入れて
そして爆破して、隠れて爆破したとこを円匙(えんぴ=シャベル)でもってさらって出すわけだよ
とても固くてかたくて、爆破した
あの、ダイナマイトってな中入れては、あれはサツマイモの練ったみたいだからやわいからな
ダイナマイト、あれを押し込んで、そして爆破してね、そして壕を作ったわけ
だからまるっきり、工兵隊の仕事みたいなことを歩兵も、上陸してから昼夜兼行
それで前言ったように日本がこういうこと(落ち目)になってきたから
あの、スイサイゲキメツ(水際撃滅)から、一挙に突っ込んで亡くなる
要するに、水際撃滅も、玉砕戦法っつうの、
小さい島では皆、ヤマザキ部隊やなんかアッツ島あたりもやってきたから
日本の上層部の考えなんでしょうよ、降伏<故国?皇国?01:14:30>が一時でも長く延びるように
玉砕戦法はとっちゃだめだってことになった、私
それで幸いにそら、島の奥まで陣地構築しといたから、艦砲の攻撃が激しくても
<ながらえるくらいの型な、ちょっと不明瞭 01:14:50>で製造できたわけだね
後はありますか?私の方の話は

篠原:よく「天皇陛下万歳と言って亡くなって行く」とは書いてありますけども
 実際はどうなんでしょうか

いやあ、本当ですよ、それは「天皇陛下万歳」って死んだんですよ
だから尊いって私が言うんですよ

篠原:「おっかさん」て言ったりは

いや、おっかさんなんちゅうことは考えられませんよ
それはそんなことは後で、後で、後で皆さんがつくりごと、
おっかさんだとか子供だとか考えたこたないよ

篠原:「天皇陛下万歳」と言って最後斬りこみが

いやあ、タカヤナギ少尉なんてのは私のそばで
タカヤナギ少尉ってのは私のそばで「天皇陛下万歳」って聞こえましたよ
これは村長の息子、タカヤナギってそこの霞ヶ浦のへりの村長の息子、タカヤナギっちゅう

篠原:これはどちらの中隊ですか?

いや、同じ中隊、大隊も同じだから一緒なの
中隊は違う、私は本部だから、この人らは戦闘員だから、歩兵部隊だから
タカヤナギ少尉、タカヤナギヒロシって言うんだ。弘法大師の”弘”

篠原:第二大隊のどこかですね

高柳弘<っちかったの 不明瞭 01:16:20>
そらあ、天皇陛下万歳言って、あの亡くなった人ないだろうなんて、そういうことは嘘ですよ
私ら確認した

篠原:若い兵隊さんまで「天皇陛下万歳」と言ったと

いや、天皇陛下万歳って若い人まで全部言ったかとは保証できないよ
そらあ、全部を言ったか言わないかは分からないが、そういう気持ちであったことは間違いない
あの突っ込み方が、戦い方が見たらね、それは真面目に今言ったように
本当に本分を尽くして亡くなってったわけだ、私はそこが一番大事だと思うんだ

篠原:戦後の本でよく「天皇陛下万歳」は言ってないと、「おっかさん」だと書いてありますよね

いやあ、後のね海軍あたりで、海軍あたりで特攻隊が、なんつうか、遺書だな、遺言だな
遺書によくおっかさんのことなんか書いたが、ペリリューの兵隊は書く暇なんてありませんよそういう
あれは、海軍のことは私わかりません、あの、わかりませんよ?
それは、私には海軍のことわかりません、ペリリューの現場のこと
<ほんのこうおっちゃ 不明瞭 01:17:42>かわかりません
ただし、そういう情報は随分出ましたよね
だから、私ペリリューの兵隊はそういうことはなかったと思いますよ
<01:18:00>

同行者:実際はお母さんと言う人が多いとものの本で読んでいたが

ああ、出ましたからね、出ましたから

同行者:今際の際の一言ではお母さんと言って亡くなって行くんだと
同行者2:実際にそうだったらあんだけの戦いはできないですよ

いや、あの激戦ではそういうことなんぞは、それでまた記録に残す人もそばに居ない
皆これ(破裂のしぐさ)だから、例えば言ったにしてもよ、誰も保証する人が居ないでしょ、
皆死んじゃって

同行者:作り話しほうだいですよ、戦後の話は

だから、そういうことは後でよく出ましたっけね
ペリリューの兵隊に於いては、ここでボンボンやって、こう(吹き飛ばされる)なってるのだから
おそらく思いはあったかもしれないが、私はそういうことは申し上げられないね、ないです
ただ、ここが私の死に場所かなと思って土は見ましたね
ここ二十何年までしたが、ここが私の死に場所かなとは思いました
だけど私らはうちのことも何も考えなかったね、
だからそらあ自分で大腿部を抜かれてからは、アメリカの迫撃砲でやられてからは
あの、友がたくさんやられちゃって残りが少なくなった頃
一発ここら(額を指して)でもパンと当たれば良いと思ったこと
これはあのね、戦死ちゅうの私宿命だと思いますよ、皆持って生まれた宿命
大事にしても若く亡くなる人、交通事故あたりで、
誰も注意しててもやっちゃって亡くなったとか、私は生まれてきた時の宿命と私ら思いますねえ
私らのとこで生きて帰れるなんてことは、あの艦砲と爆撃で、とても考えられない
それで、いや、丈夫な人は、<01:20:00茨城県那珂郡東海村 村松か?>ムラマド?のハナワなにさんなんて人は
アメリカ兵へ何回も突っ込んで、これから、あの、敵が上陸してから掃討作戦ていうのやられましたから
それでアメリカ兵は8時なら8時、皆さんの仕事のようにざーっと、銃撃ちながら
手榴弾、危ないとこは手榴弾投げたり、こうやって、行く方がミッドの方向ならミッドの方向
夕方5時なら5時までっちゅなことやんです。掃討作戦
それでもハナワさんなんて人は、傷いう傷、アメリカ兵に突っ込んで、アメリカ兵の寝てる幕舎(ばくしゃ=テント)
へ入ってって、寝袋っつか、今、海軍のこういうの(衣類)入れとくのがあんだよ。袋やらが
それまでわずかながら持ってきた人なんだわ
幕舎へ入ってって寝てっとこに、そういう勇敢にやった人さえ、かすり傷が無いんだ
だから、そらあ勇敢ですよ、あれは私どもが評価したら、
私が中隊長か大隊長で終戦後生きてたら金鵄勲章組みだね

同行者:幕舎の中に入り込んで

入り込んで、そらあ衣嚢ちゅうの、アメリカ兵はこういう袋にシャツやなんか入れとくんですよ
そいつまでかっぱらってきた、そういう勇敢な兵隊さんへもかすり傷一つ負えない
何べん殺したかわからないんじゃないですかあの人はアメリカ兵
それだってかすり傷一つ受けないんだ
元気で私らと一緒に帰りました、で、去年あたりに亡くなりました
ええ、村松ってここの、<県警?電気屋?01:21:47>のそばの
だから、皆さんは考えが若いから違います
私は、どうも人間ちゅうのは宿命だと思うね

同行者:私が半分信じてる話なんですけども人間は生まれてくる前に自分は何歳で死ぬか決まっているんだと
 だから死にたくてもそれがくるまでは死ねないし、それが来てしまったら死にたくなくても死ぬというのを聞いたことがある

いや、そこらがほんとでないの?
私もそう思いますね
ほんとの話かは申し訳ないけど、そういう感じがしますね

同行者:どんなにがんばっても寿命は延ばすことはできないし縮めることもできない、決まってるから

そういう風に私も思いますね
誰だって、長く生きたいでしょ、誰だって、ね、それで病気もしたくないし
誰もな健康にね、うちんなかをまるく、生きたいってのは誰もがこれ、誰もが共通だよね
誰だってそう思うっつのは
だけど、不幸にして<しじこわたる?聞き取れず 01:23:05>やね、お茶を一杯飲んでけば
途中で自動車事故に会わなかった、5分か3分のうちにお茶飲んでけば
死ななかったのに、お茶を飲まないで行っちゃったから、
ちょうどトラックの交差とぶつかっちゃったとか撥ねられたとかって
私はそこらはやっぱり宿命だと思うんだよね
そう思うっつの、だから、後は話は何か

篠原:一番の激戦だと思いますがペリリューは大東亜戦争の中でも

まあ、他の戦争に参加してないから、批判はできないんですが
帰ってから70年のうち色々皆さん聞いたり勉強して、激戦地であったことは間違いないでしょうね
ええ、だから天皇の島なんていうあれ、ゴトウユズルっていう軍事作家か、ね
あの人がそういう名前を書いたんでしょうよ、本を売るために
だけど、確かに近いんですよね、まあ天皇陛下も今度行かれた際のそういう考えは頭にあったんでしょ?
ええ、おそらくは
だから、当時のペリリュー島もね、日本の本土の防衛の為に、ああいう激戦地になり、
あの、米軍と、なんら色々無く、ほんとうに兵隊の教育受けたまま、あの、激戦をしたっちゅうことでしょうねえ
ええ、後は何かありますか?

同行者:艦砲射撃がすごかったとのことですが、帝國陸軍の士気は衰えなかったのでしょうか

いや、あの、壕に入ってたからね、あの野天(露天か)に居たら皆吹っ飛ばされてた
それでおたくで聞いたかもしれませんが、爆撃と、今、あっち、黒い肌のほうで爆撃盛んにやってますが
あの爆撃と、艦砲ではどっちが恐ろしいかって言ったら艦砲の方が恐ろしい
爆撃は大丈夫なんですよ一回通ると間隔が、艦砲は連続撃つから
<01:25:32>
それで横殴りでしょ、それで壕等に入るのが多いんですよ、横殴り、艦砲はこう(水平に)くるから
それだから壕に入ってる連中は爆撃には大丈夫ですよ、一トン爆弾など落とされてもね
ペリリューの壕は掘った壕はほとんどがだいたい大丈夫、
まあ、壕の入り口あたり落とされた場合は別だよ?
入り口はこう(破裂のしぐさ)なっちまうから
だけど直接の場合は、だから爆撃などは相当ペリリューでは壕のために助かった
で、艦砲は船をそろえて連続だから、それで横殴りだから、壕に入っちまう率が多いんですよね
ええ、だから、恐ろしいのは艦砲ですよ、あの爆弾落とすよりはね、ええ

篠原:それで艦砲射撃に耐えて、帝國陸軍の士気はそれでも衰えなかったと

いや、それは本物だから、本物だから、士気は衰えたなんちゅうこと言ってるところじゃない
そういう、それは旺盛ですよ、だって、士気は衰えたなんつったって、
逃げ隠れできないよ
おたくら兵隊に行ってほんとうにやるとよくわかるんだけども
教育も徹底してたから、その任務の為に、自分の命を23歳なんかでも捨てる気持ちだから
おっどれれ、おどれれみれ<?01:27:03>来たらやっつけけてやろうっつうことで

篠原:わからないですねえ、それは確かに

わかんない、いやあ、だがおたくで22-3は通過したんでしょ?もう
通過、23の頃考えたら、若い衆の頃こうやってアメリカ兵に吹っ飛ばされる
どうですか、考えたらわかる、そう簡単ではないでしょうよ

篠原;それは、はい

それを、自分の命をなんとも思わず祖国日本の為に死ぬんだから

篠原:捨てることが仕事

そしたらおたくら23歳の頃のことよう考えたらわかるでしょうよ
とても簡単なものではないですよ

篠原:理屈ではわかりますが

それは、教育がそういう教育、日本の
それでね、私は最後に申し上げたいのは、
教育を日本は、今、黒い肌なんてイジワルしないで自衛隊なんか行くこと考えないで
教育とか福祉、年寄りが多くなる、人口がどんどん減っちゃうんだよ
これが事実だから、そのお子さん、たくさんのお金をまわしたら
いかに平和で幸せな人が多くできるんじゃないですか?

篠原:子供は大切ですよねえ
同行者:軍事費ではなくて

こうだい<?01:28:26>でしょう、それで軍事費っちゅうのは
効果あるようで一つもいいことはないんだあれ
人を殺すもんだから、人を殺す金かけたんじゃ甲斐がないんじゃないの?
人を生かすことに金かけねえで、
皆高校の人を大学生やらすのにそのお金を政府が出すとか、援助するとか
そうして、世界に、類のないような国民性もあるんだから、それを教育に充填して
教育っちゅうのは結局広いからねえ、結局世界の各国の色々な経済、それから文化とか全部
勉強するわけだ、そうすれば自ずから、平和が尊いとか、あまり憎しみの姿勢、
憎しみの姿勢でいると戦争が解決しねえな、いくさは絶えないなんてこたよくわかんじゃないかね?
だから東条あたりでも陸軍大学出だっちゅったって、本当の勉強はしてなかったんじゃねえの?
そういう、人間的な、
だから、これは東条は頭良くても他の者がこう(持ち上げる)やったからしかたないちゅったらこれまでだけども
やっぱし、この線を越えるにはこっち(篠原さん達のことか)みたいに
やっぱし教育とか、そういうことやって、世の中を広く見られる国民を作るのが一番じゃないすか?
そうすれば悲しいことも、歴史も皆文化も勉強するわけでしょ?
井戸の中の蛙じゃなくね、世界広くやっぱし
だが、どうもなかなか世の中は(笑)今言ったようにこっち(表)とこっち(裏)があってね
一様には行かないんでしょうけども、そういう方向に、日本の色んな皆さんの働いた
現金の一部のうちを皆こう国に吸い上げられるわけだから、有効に使ってもらわないとね
ね、人殺しに使われるのはよかないんじゃないですか?
ね、皆働いた一所懸命、ねえ、私はそう思いますよ?
だからこれ、政治なんちゅうものがあって、多数決でどうも自民党は多いから
抵抗してもだめだけどね、だけど、抵抗してもだめだっつっても、めいめいが
本当に勉強して、自分の信念をどうだっつうことをつかめば、私は皆さんのお子さんだって
おじさんおばさんだって、大事に<すがしたい?01:31:15>子供はある程度まともに
教育して、その社会一般の勤め人でも職業もつ人間にさせようっちゅうのは親だって世の中だって
同じだと思いますよ皆、そう思いますね
あの、どんなことでもどうぞ、私の考えで申し訳ない 

同行者:上陸してから戦争終わるまで70日間あったわけじゃないですか
 戦闘が終わるまで、70日間あって、その後また100何日間がんばったわけじゃないですか
 玉砕までと、当然玉砕の後は米軍もこの戦闘は終わったという感じで
 掃討戦はすごい、なんというか、無くなったんですか?

いや、段々少なくなってきた、それで、フィリピンなどが、沖縄の方に人員を移して行ったから
それで、ああ、占領したってあれ、ペリリュー行ったらわかるように
アメリカの<沿岸行ったって?01:32:30>旗なんて立ってたからね
それで、ああ、小さい島だから、結局だんだんこう、兵力を少なくした
それで、ただ簡単に飛行場のあとを守るくらいだったんじゃないですか?

同行者:その時には連隊は玉砕したんだという自覚はあったんですか?
 それとも色んなところに立て篭もって戦っているかと

いやあ、私らはわからないよ?
あの、連隊長あたりがね、あの、自決したとか、そういう話は後になってわかったんです

同行者:後になってというのは

戦闘終わりかけてからです、終わりかけてから
だから、日本は負けるなんてことは一つも考えてないから

同行者:応援が来るまで頑張るつもりであった

そう、そして残ってたのが、あの34名ですから、
 新聞社が「手を上げた(降伏、投降の意)」なんて書いたから
とんでもねえと、手なんて上げませんよ、戦争してから二年近くも
あの、皆さんご存知のようにグアム島の誰だ?あれ

同行者:横井さん

横井さん、それからルパング島の小野田さん
<みないで?皆して?聞き取れず 01:33:42>命令があったから頑張って
頑張ってて、まあ、命令に従ってがんばっちゃった
あれが軍隊のあれだからね

同行者:で、ペリリュー最後は米軍の方から(日本は)降伏したから出てきなさいというようなことを言ってきたのか

いや、そうじゃないですよ
いや、ペリリューにはまだ残ってるつうことすら、私らはアメリカの、食べ物無いでしょうよ
アメリカの食料かっぱらった、こういうもの(衣服)も全部かんば(乾場か?)行って夜かっぱらった
夜の夜中、それでいくらかアメリカ兵もいくらか残ってるつうのわかったんでしょ
それで終戦になってそら、二年近くだからわたしら、それで復員局と、アメリカと、日本側が話し合って
私らは残ってるつのわかったもんだから、救出に来たんですよ、救出に
それで選挙のあのマイクでもって、ジャングルの中にある壕にもぐってるだろうと思って
三日間くらい、日本は20年の8月終戦になって、もう平和の為に頑張ってるつうことを放送したわけ
それで二連隊の兵隊は、生きている方は陛下のご命令に従え、
で、隣の島のアンガウル島には、皆さんの同胞が働きに来てるから
そういう日本の敗戦になったことを承認しなければ、隣の島行ってごらんちゅうことで
その当時アンガウル島にはリン鉱石っちゅうの、あのリン鉱石ちゅうのは何百年か何万年前かの
鳥の糞だってね、あれ、鳥の糞、鳥の糞を肥料にする為にリン鉱石ちゅうの
既に日本は終戦後だから肥料もなくて、それで同胞が来てリン鉱石掘りに来てたんです
それで私ら帰って来たらそのリン鉱石横浜まで運ぶ船に乗せられて帰ったわけ
だからその、今言ったように、なんですか?終戦も知らない、ただ途中でね、
ええ、一年半くらい経ってから、あの、アメリカ兵はあの、マングローブちゅうの?むこうのは
あの上げ潮のとこさゴミをダーッと捨てるんですよ、押し込んで
そこに、あの、日本は降伏したような雑誌、雑誌、あのミズーリの艦上で
あれ外務大臣が署名すっとこの写真がね、重光大使(大臣?)だ、それあの見つけた
うん、見つけたんで、私らの34名のうち大学出たの一人なんだよ
今、常陸の方だが大観(たいかん)ていう酒屋の<杜氏様?王子様?01:36:44>になるわけだよ
立派な酒屋なんだよ、モリシマトオルちゅうのは明治大学で商学部かなんかやってた
http://www.taikan.co.jp/
<社名は森島であるが、責任者氏名が森嶋の為特定せず>
だがこれがまたあんまり英語できねえんだ(笑)
そんで、本読んでも、これは本物かな?って、その頃さ、我々は頑張ってたから
アメリカ兵に騙される、騙されてこれ(殺される)やられること考えてたから
簡単にあの、そら、あの意志が強硬で、日本負けることがねえとか、攻めて来るまで頑張ろうとか
そういう風だから、頑固一徹だから、なかなか情報を受け入れる用意が無い
が、それを見たらモリシマちゅうのがいくらかこれ日本で負けたなんちゅう
これ調印式ほんとかな?っちゅうことを当時でわかりました
だけど我々は手上げることは絶対しないから、最後までがんばる
いーやまいったね、負けることなんか考えてない、必ず増援部隊が来ると思ってたから頑張ったんだ
だから、あの、ご存知のように兵隊で手を上げるとか捕虜になるちゅうことは一番これ恥ずかしいこと
捕虜ほど恥ずかしいことは無いことだから、だから新聞社との喧嘩などもそれなんです

篠原:それが原因だったんですね

それで喧嘩した、捕虜でない、最後まで頑張ったんだからほんとうに
ほんとに手を上げたんじゃないですよ我々は、それが真実なの、ほんとなんだから皆
だけどインチキなこと書いたから喧嘩になったんだ、うん
捕虜なんちゅうのは、なあ、そんな手を上げること絶対しなかった我々は
だから、復員局とすらあ、今、マイクで三日間くらいやってね
第一のサンデー毎日とか何雑誌とか、茨城新聞なども、どこそこの三叉路の
パパイヤの木にビニールで袋に包んでおくから、スコールが降るからね向こうは
毎日<毎2時?01:38:45>くらいにスコールがあっから
そういう日本の様子を書いた書類もあるから、とって見なさいちゅうことを
私らは最後の最後、山口少尉ら、あの30名のうちでも、一箇所に居ると発見される率も多いので分かれてた、
それで山口少尉の方は少し多いんですが、私は大隊本部の連中でわたしが長で
向こうは山口少尉が長ね、あの分散して居ったわけ
じゃが、その人らはそして最後まで残ったけども、けして手を上げたわけじゃない
で、復員局の方からね、だから、アメリカ兵の司令官が最後にもちゃんと降伏式みたいな形をとって
握手したけども、あの司令官も言いましたよ?あなた達は捕虜ではありませんからっていうことをはっきり
日本のこと、これがねえ、私皆さんにも一番申し上げたいことはねえ
情報の収集、これが一番大切だね、勝つにも負けるのにも
<やるやろう?不鮮明 01:40:03>、うえに上がるにも情報がよくわからないとできない、行動できないわけだね
だからアメリカはやっぱしすごいです情報収集は
ペリリューでも、ここで戦闘して、激しいころは飛行場の方にいったん戻るんです、ここまで
日本兵がこっちに、ここさあ通信機置いて飛行場に戻るんだ、そうするとここの飛行場の距離
何百メートルあるんだ、通信機が入ってくる、私らが日本兵夜襲っつのかけますから
ここまで、一発ですよ、私らそれでやられちゃった
それで、一番激しいとこ通信機置いて帰るんだよ
そうすると夜襲しようと思ってそこまで行ったら、ちゃあんと一発目から命中しちまう
だから、そういうこと考えても非常に戦場ではアメリカはね、情報収集てのが
今、アメリカにあの世界の大使館、公使館にいくらか密偵送ってんだよアメリカでね
それで批判されたことあるでしょ最近、ね
あのう情報収集に送った、アメリカは利口だから、大使館あたりに送っとくんですよ、
謀官<?ボウカン 01:41:25>を、密偵を
それで、どこかで見つかって、テレビでちょっと見たね
だから、アメリカは情報収集っちゅうのはね、よく知らないと勝つこともできないしね
どうすることもできないから、知るっちゅうことはアメリカすごいんだよね
それで、そういうわけでその、これでマイクでやられたから
それで隣の島に、日本兵が、ああ、日本の一般の国民がリン鉱石採掘に来てるからと
九州のツジタって野郎が一番先、あの、連絡に出ちゃった、あのスミカワって少将が来たんですが
クマイっていう兵曹と、アメリカ兵通訳と、それとツジタが接触してツジタ一人が出たんだ
それでアメリカの飛行機に乗せられて、アンガウル島まで行って、
同胞が働いてるちゅうこと、日本は負けたんだちゅうことを確認させられて
ツジタが戻ってきて、スミカワ少将らのマイクで、間違いない日本は終戦になってもう一年にもなるから
皆さん頑張ってるてのが、初めてわかったわけ
そういうわけで、その、復員局とアメリカの日本とのあれで、結局救出に来て私らが出たわけ
だから、まあ、ルパング島の小野田さんじゃないけども
「私は上官の命令がなければこのルパングから帰えんない」ちゅうんだから
あれが軍人精神なんですよね、命令っつうのは、あんなすばらしい
そういうわけで、あの、34名は帰ったわけですが、今は3名ぐらいになって

同行者:戦争が終わってから米軍にはどういう印象を持ちましたか、憎しみとかありましたか

いや、米軍に対してはね、やりあってもね、もっと、ちょっと前かな、戦争中かな、
戦争中、ぼんぼんやってる頃、可哀相だなと思ったね
アメリカ兵も今や前に言った様に、兄弟もありおじさんも、生まれたとこもあるわけだから
こういう珊瑚礁の島で亡くなるんだから、<こうなくなったもんで:不明瞭 01:44:00>
あの、可哀相だと思いました、可哀相だけどやられっから、やるほか無い、
だが可哀相だと思ったね、けして、敵だって、憎しみっちゅうか、
自分がやられっから攻撃されるからやるほか無いよ、火焔放射来たり、壕の中に手榴弾投げられっから
抵抗する他なかったんだからねえ、
だから戦闘中、私思いましたね、あの、アメリカ兵も可哀相だと思った、そう思いました
だから、憎しみっちゅうか、そう憎しみっちゅうより、おかしなもんだなあれ
戦場には憎しみちゅうより、ただ与えられた任務に、ついたっちゅうことで
そらあ憎しみもその中に入ってっかもしれないけども
そう思ってたって憎しみっちゅうことは考えないで戦争やったわけだね

同行者:それでは終わった以上は全くないわけですか

戦争?

同行者:が、終わったら憎しみなんて全くないわけですよね

いやあ、無いですね
お互いに

同行者:向こうも日本人に対して無いですか

いやあ、向こうはわかりませんが、アメリカ人の気持ちは
だけどアメリカ兵だってあそこで2800名くらい亡くなってんだよね
2400名だか800名よく確実ではないけども
だから、これはね、一番、その憎しみつうことについて
ペリリュー行った時にあの碑を見てきませんでしたか?
ペリリューに碑があったの

篠原:どの碑でしょうか

いや、世の中の皆さん、この島を訪ねたらば
いかに日本兵が勇敢に戦ったかと、よく旅人よ

あれはそういう意味も含んでるんでないかい?憎しみちゅうか称えたこと、褒めてんだから
日本兵が勇敢に戦ったこと、ご存知でしょ、ペリリューの

同行者:ニミッツが褒めてる

あれ、偉い人だかんな、あれは偉い人だかんなあ、アメリカでも
あの人がそういうこと言ってんだよね、
だから、戦争中はアメリカだって兵隊憎しみでほんとにバンバン撃ったちゅうよりは
仕方なく一緒に、そういう教育受けたからぶつかっちゃったからやったちゅうことみたいじゃないかねえ
まあ、普通の人が喧嘩したって、ああやんなければよかったって言うのと同じくらいじゃないか、やっぱり
ああ、これはやんないほうがよかった、喧嘩は、後味が悪いちゅって
私はその、そういう点だと思いますね、
だから司令官がああいうことをあの島に残さないですよ、と思うんだ、ほんとの恨みが無いからって、あれはね
褒め称えているような意味だから、あれ見るとね、日本の兵隊がいかに勇敢に戦ったか
そういうように思いますね

篠原:挨拶

いやあ、私のことなんて個人的こうこう申し上げちゃって、皆さん、使うとこないかもしらないが
<そうかく?01:47:37>してよく皆さん考えて、一つ、ここんとこ身体を大事にやってください
皆さんのお子さんあたりが、大きくなってね、22-3で自衛隊にもし、
まあ徴兵制なんて昔みたいに無いでしょうけど、志願ですからね、今の制度はね
だけどだんだんわかんないんだよなあ、安部首相がこれが(しゃべりが)上手だからねあれ
そんなの騙されっから、今までの歴代でも上手なほうじゃないすか?これ(しゃべる)、怖いよ?

同行者:うまいですよね

うまい、なかなかそつが無い、それであくまでも惹きつける、昨日あたり岩手の方行ってんじゃない
今頃になってな、今頃になって行ってんだよ
そうすると来年の選挙はその時のことなど考えて、それで、外国から帰った後
国会もやんねっちゃったからああいうとこさ行ってんだ、利口だありゃあ、うまいや
これ(しゃべり)騙されっから、上手ですからこれ(しゃべり)が
だから、岩手の選挙ってのは今ね、昨日の話ね
だから、皆さんきっと勉強してるから騙されることは少ないでしょうが
世の中往々に騙されっから(笑)、やっぱし騙されないのは教育がしっかり受けてないと騙されない
だから、日本は皆さんの税金からできてる諸問題についての金の使い方は
子供とか教育とか、年寄りの要するに老齢化、高齢化のものに力をそっちの方向に向けて
まあ、アメリカと日米同盟をしてるから、こらいくぶん、
何パーセントかは話しにのんなくちゃならないかもしれませんがね
まあ、これ、アメリカと仲良くしてることの傘だとか、核の
だがおかしいんだよね、アメリカもね、私思うのには、自分で原爆持ってて、原爆つくんなって言うの
おかしいんじゃねえの?向こうだって自分の守る為に

同行者:日本に復讐されるのが怖いんです、
 国際上の元でウエストファリア条約ってあるんですよ
 それによるとアンプロボーグアタック(unprovoked attack)って言って理不尽な攻撃には
 報復の権利が認められているんです
 その報復の権利には時効が無いんです
 100年経とうが200年経とうが、やりかえしたら「あの時の報復だ」って言ったら
 法律で許されているんです、アンプロボーグ、復讐の権利
 これ、日本人だけが知らないんです
 アンプロボーグアタック
 ウエストファリア条約1648年
 国際法はそっからなんだもん
 国際法っていうものは、国際法っていう法律があるんじゃなくて
 条約が全部、それが国際法なんです

ああ、条約が

 だからその条約が全部生きてるんです
 その代わり、批准している国と批准していない国があるから
 私の国は、これは批准してるけど、これは批准してない、と
 アメリカはその批准をしてるから、日本の報復が怖くて怖くてしょうがないんです
 だから、核は持たせないんです
 自分がやってるのがアンプロボーグアタックだってわかってるんです

同行者2:だけど日本人でアメリカを核攻撃しろなんていう人は居ない
同行者:アメリカ人は恐れている
 でも日本人には水に流す文化があるんです
 昔のことは水に流すじゃないですか日本人て、どんな恨みがあっても
 ところがアングロサクソン人の中では水に流すっていう発想がないんです
 相手が強いから妥協するだけであって、相手が弱くなったら関係ない
 だからそれをアメリカはいまだに恐れているんです
 水に流すっていう文化は日本人にしか理解できないんです
 水に流す文化を世界に広めることが、世界平和の基だと
 私はここしばらく元軍人さんに会っているが、あれだけ酷い思いをしたのに恨みを持っていないじゃないですか
 やっぱり日本人てすごいなあと思います

同行者2:これ、俺好きなんだけど、
 「恨むなよ、恨み返すな、恨むるな、恨み恨まれ果てしなければ」と
 どっかで憎しみの連鎖は断ち切らないと、永遠に負のスパイラル

そらそうだ、うん

 恨み恨まれ果てしなければ、やられたらやりかえすとかね、

同行者:例えば朝日新聞の記者の話なんですけど
 米ソ冷戦が終わってソビエト連邦が崩壊しましたよね
 あの時に、ウクライナかどっかの村で大量虐殺事件があったらしいんですよ
 で、朝日新聞の記者が、日本から飛んでったら、
 その村の若者が何十人て虐殺されてたらしいんですよね
 で、立ってる人が居て、「これはどういうことなんだ?」って言ったら
 その立ってた人が「俺たちがやったんだ」ってはっきり言ったそうなんですよ
 「なんでそんな酷いことやったんだ」たら
 「いや、おれたちだってやりたくなかった、だけど仕方がなかったんだ」っていうから
 その朝日新聞の記者が「一体何があったんですか」って言ったら
 「彼らが最初にうちの村の女子供を虐殺したんだ」ね、その復讐なんだ、報復なんだって言って
 すごく苦しそうに言ったらしいんですよ、でその朝日新聞の記者が
 「それは一体いつの話しなんですか」って言ったら
 百年前の正確な日付をその人たちが述べたっていう
 つまり、ソビエト連邦に支配されてる間は軍隊も警察もあるから報復できないけど
 軍と警察が崩壊した時に、今がチャンスだって言って復讐したんですよ
 で、その後もし治安が戻ってもその時は、「いや、アンプロボーグアタックだ」って言えば
 チャラになっちゃうのが向こうの世界
 自分の見てる前でそういうことやられたらやっぱりあれだけど
 自分の見てないところでやってアンプロボーグアタックだって言ったら、じゃあしょうがないな
 っていうのが世界の常識なんです
 だから、日本人はほんとに日本の文化を世界に広めることが世界平和のあれだと思いますねえ
 憲法9条ではなくて、日本人の精神を

国民性としてね

 ええ、そうです。和をもって尊し

今も、こないだもね、やられたからやる、こう言ってんだよね
そればかしやってる、毎日

 でも日本人はそうじゃないじゃないですか、例えば戦国時代だって、戦闘が
 昨日の敵は今日の友っていうのは日本人だけなんで

日露戦争のことだな

 で、あれで実際外国の人たちは感動したわけじゃないですか

そうだわね

同行者2:戦闘機のパイロットの方はだいたいほぼ100人全員仰いました「恨んでない」と
 むしろ尊敬してるくらいだと、目に見えないっていうのもあるんでしょうね
 向き合ってやったわけじゃないから「向こうも一所懸命戦ったから私は尊敬してる」と
 尊敬しているというのは敵のパイロットを尊敬しているという

奥さん:皆さん戦争の時代じゃなくて良かったね

同行者:ほんとう良かったと思います

奥さん:私ら女学校の頃からこうだもの(画面外だが竹やりのしぐさか)

皆隣でこう(気をつけの姿勢)やらでよう、戦場へ送られてよう
おそらくね

同行者:ただもう一つ私が思うのは、今いじめで殺人があるじゃないですか
 いじめで殺される子供たちは、親にも守ってもらえない、学校の先生にも守ってもらえない
 周りの大人たちにも守ってもらえない絶望感で死んでいくじゃないですか
 それに比べればお国の為?家族の為?日本に住んでる人たちの為に突っ込んでいく特攻隊の方が
 幸せかなって、もう一人の自分が言っていますね

それはそうだね

 今の子供たちなんかいじめをうけても学校の先生だってPTAとか日教組から攻撃されちゃうからって言って
 子供を守りきれないじゃないですか、いじめっ子をやめろって叩いたら自分がやられちゃうからって
 見て見ぬふりするじゃないですか、学校の先生に見て見ぬふりされて、自分の苦しんでいる姿を親にも気づいてもらえなくて
 友達にも見放されて、それで死んでいく子供たちって戦場で倒れていく人たちよりつらいんじゃないかな
 っていうのがもう一人の自分が

篠原:仲間が居ないですからねえ
 
 そういうことです、自分も鉄道員やってるんで、子供がよく飛び込んで死ぬんです
 いや、中学生、中学生高校生がばんばん死んでるの

同行者2:事故じゃなく自殺?

 中学生高校生は事故じゃなくて全部自殺

篠原:イムタ?さんは鉄道の運転手なんですよ
 それで、今まで4人の方を轢いてるんです

鉄道でずいぶんね?

同行者:ニュースであんまりやらないですけど、もう、月に一回くらい人死んでるんです

同行者2:それは自殺?酔っ払って落っこちたわけではない

同行者:それもある、だけど自殺が多い

同行者2:よく電車とまるじゃないですか、あれはだいたい自殺ですか?

同行者:故障とか色んな条件はあるけど、自殺はとにかく多くて

同行者2:今の時代そんなに多いんだ

同行者:多いです、だから自分はもう3人、バラバラの死体を3人見てるし
 あとの2人は、生きたまま苦しんでるの見てるんですよ

篠原:増えてますね

同行者:一ヶ月前にもう一回あった

鉄道に入る人随分居るんだよね、今、ね、多いんだよね

同行者:一ヶ月前にちょうどまたおれ人身事故
 やあ、不思議なもんで、さっき言ったじゃないですか、定めって言ったじゃないですか、運命って
 自分、もう、4人轢いて、1人は第一発見者なんですよ、で5人の人を目の前で見てるんですけど
 ほんと定めじゃないかなって、当たらない人は定年まで当たらないんですよ
 で、自分も、8年前まで駅員長い間やってて、車掌も長い間やってて
 運転手もそこそこやってて、一回も当たらないで、自分が通り過ぎた後に飛び込むか
 自分の前の電車が飛び込むかとかね、自分は全然当たんなかったんですよ
 だから自分は当たらない人なのかなあと思ってたんですけど
 この世界っていうかこういう元軍人さんの話を聞くようになってから

同行者2:定めを信じるようになった?

 だって、おれ、あれですよ、そういう気持ちになってから、半年で3回ですからね

篠原:自殺が

 自殺というか人身事故、まあ、だから、やっぱり、自分的には飛び込む人も
 飛び込んでいやな、こんちくしょーと思う人よりも、自分のこと同情してくれる人に飛び込みたいというのがあって
 無意識のうちで選んでるんじゃないかと、自分なんとなく思っちゃう

同行者2:無意識が繋がってるから

 この電車だったら大丈夫だろうっつって、飛び込んでくるんじゃないかなって
 だって、なぜかって言ったら、ずっと居て、怪しい人間が居て、たまたま自分の電車に飛び込んでくるんですよ
 だから、来てすぐ飛び込むんじゃなくて、やっぱり躊躇しながら色々
 「ああ、次ので死のう、次ので死のう」
 っていう中で、たまたま自分の電車飛び込んでくるんで、

同行者2:この人に回収してほしいと

 そう、そうそう、で、だいたい、「や、たいへんでしたね、そんなのが飛び込んできやがって
 俺なら蹴っ飛ばしてやりたいですよ」なんて言う人間には飛び込んでこないんですよ

同行者2:じゃあこの運転手は優しい人間か冷たい人間かを飛び込む人は無意識で

 無意識でわかってんじゃないかなと

何か通じるものが有っけ、うんうん

同行者2:泥棒もわかるらしんだよ、この家は大丈夫だとかこの家はガードが厳しいとか
 見てわかる、雰囲気で、そういうものなんでしょうね

<02:00:00>
ここからおひらきの挨拶


<01:55:02>

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