日光市馬返しです。いろは坂の起点です。
今回は近代史における馬返しの歴史について書きます。
我が国は先の大戦において、敗戦という
概念を持たないまま戦争に突入しました。
昭和20年夏、皇太子殿下(今上天皇)は
奥日光・湯元の南間ホテルに疎開しており、
いよいよ本土決戦となった折には
ここ、馬返しを最終ピケット(防衛)ラインに定め、皇太子殿下を
米軍より死守する作戦でありました。
ここから南間ホテルまではおよそ25km。いろは坂を上って、中禅寺湖畔
を経て、戦場ヶ原を抜けた先が湯元温泉です。
標高差1000メートルです。男体山の地形を利用した要塞だった訳です。
この作戦図が栃木の郷土史に掲載されています。
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