西開地重徳少尉の故郷とご遺族を訪ねる
西開地重徳(にしかいちしげのり)一飛曹(戦死後少尉)
米国では最も有名なゼロファイターである。
今回は今治市で西開地少尉のご遺族である、実の弟さんに
お目にかかり様々なエピソードを伺った。写真はお墓参りの様子。
昭和16年12月8日、
西開地一飛曹は真珠湾第二波攻撃で空母「飛龍」より飛び立ったが
戦闘中に被弾。帰還の見込みを絶たれる。
「被弾して機動部隊に帰還できる見込みが
無くなった場合ニイハウ島に不時着せよ」
真珠湾攻撃参加のパイロットには、あらかじめ以上のような
取り決めが成されていた。そしてニイハウ島には搭乗員救助の為の
潜水艦が浮上する計画であった。
西開地一飛曹はこの約束に従って、被弾したゼロ戦を
操りニイハウ島への不時着を成功させる。
ここで潜水艦を待つはずが、待てど暮らせど、潜水艦は来ない。
これが後に
「ニイハウ島事件」と呼ばれる、現地住民を巻き込んだ
不幸な事件に発展してゆく。
ニイハウ島事件に関しては様々な説があるので、ここでは割愛する。
真珠湾攻撃前、西開地一飛曹は佐伯へゼロ戦を空輸する際、
ちょうど波止浜(現・今治市)の上空を飛行し、
実家の上空で旋回したが、これが最後の別れとなった。
西開地重徳、米国では最も有名なゼロファイターである。
現在、西開地の零戦は、真珠湾フォード島のアメリカ海軍基地内にある
「太平洋航空博物館」内に展示されている。
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