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2016年5月 6日 (金)

藤本速雄さんインタビュー

 
元ゼロ戦パイロットで空母「瑞鶴」戦闘機隊だった藤本速雄さんに
インタビューしてきました。藤本さんはマリアナ沖海戦で一航戦
「瑞鶴」に乗組み、奇跡的に生還された搭乗員です。
 
第一次攻撃隊128機のうち、帰還できたのは
戦闘機隊(零戦)が
藤本さんを含む5機のみ
(内3機の搭乗員は大鳳に着艦し、沈没戦死した。)
彗星艦爆は2機、艦攻(天山隊)は全滅。

 
篠原
「藤本さんは彗星艦爆の護衛でしたね」
 
藤本氏
「みんなやられてしもうた」
 
藤本さんは上方より敵機が降ってくる仕草をして
悲しそうな表情を浮かべる。
 
ここで兎に角伝えたいのはマリアナ沖海戦の評価で流布されている
大きな誤解「搭乗員の練度不足」である。これを藤本さんは
真っ向から否定する。
 
藤本さんは
「練度不足、そんなものは作戦本部の言い逃れだ」
「空母への着艦は簡単だった」とも語っており、
経験の浅い搭乗員は発艦はできるが着艦はできない、といった説も
嘘になる。では、帝国海軍がマリアナ沖海戦で敗北した一番の要因は何か。
 
日本とアメリカの戦力が違いすぎる!
 
帝国海軍機動部隊の飛行隊は一、二、三航戦全て合わせても約400機。
これは戦闘機、爆撃機、雷撃機全てを含めた数だ。
主力である一航戦は149機。それに対し、米機動部隊は
15隻の空母から戦闘機だけで450機。爆撃機、雷撃機を合わせると
約950機。日本を遥かに凌ぐ勢力である。
 
藤本さんの所属する一航戦の戦闘機は

僅か48機で、彗星と天山合わせて80機を護衛した。
 
藤本氏
「九死に一生どころじゃない。千死に一生やと思う。
もし、逆なら、私は敵を一機も帰さん」
 
技量云々の問題ではない。多くの熟練搭乗員も未帰還となっている。
マリアナ沖海戦の話、そのほか
雷跡に突っ込んでゆく彗星艦爆を見た話、
前衛の艦隊に誤射を受けた話、
その後フィリピンで特攻の
護衛を行った話など、伺った。

 
このインタビュー内容も少しずつ書いていきたいと思う。
 
 
追記
先日お会いした笠井さんも、紫電改はグラマンよりも優れた
戦闘機であったが、どんなに高性能でも数が違う。これではダメだ、そう
仰っていた。
  
なお、一航戦の生還者である藤本さんは『今日の話題』で
手記を発表している。NHKアーカイブスでもネット視聴可(無料)
もう一人の白浜芳次郎さんは
『不屈の海軍戦闘機隊―苦闘を制した者たちの空戦体験手記』
(光人社NF文庫)で手記を発表している。書店、amazonで入手可。
 
追記
藤本速雄さんは
2016年12月28日にご逝去されました。

コメント

魚雷に、「小松飛曹長機」、前衛の上空を飛行し、撃たれた攻撃隊、色々お教え下さい、有難う御座います

大岡様

コメントありがとうございます。
そうです!雷跡に突っ込んだのは小松幸男上飛曹と国次萬吉上飛曹の
彗星ですね。よく聞いております。第一次攻撃隊は大和を中心とする
前衛の友軍艦隊上空で誤射を受けております。

ここでも自虐的な歴史の改ざんがあったのでしょうか。
「錬度不足ではない」という意見は貴重です。
「マリアナの七面鳥撃ち」みたいに言われている先人たちが少しでも浮かばれる事を祈ります。

ふらんか~さん
実戦経験少ないとはいえ、搭乗員が着艦できないという例えは
大げさではと感じます。
アウトレンジ戦法で叩きにいったところを
450機のF6Fが上空で待ち構えているのですから、
これはもう、生きては帰れないと考えます。

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