一式陸攻搭乗員天野環さんのお話(3)ソロモン海戦 マイナスを指す高度計
前回『一式陸攻搭乗員天野さんのお話(2)
東京初空襲』の続きです。
ソロモン海戦での壮絶な様子を語って
くださいました。戦友の死という
扱い、さらにご高齢にもかかわらず
これだけの事を体力を振り絞って
話してくださるのは大変な事だと
考えています。
重ねて感謝申し上げます。
最後は一式陸攻で
敵艦船に水面を超低空で接近し
雷撃を敢行するお話です。
◆ソロモン海戦出撃
ラバウルから一式陸攻24機編隊で出撃したんじゃ。
上みたら戦闘機が護衛してくれるし、下見たら、あの晩に
夜襲をかけた駆逐艦がシャーっと5、6隻行きよったよ。
「おー、日本はまだ優勢なもんじゃ」思ったで。
護衛の零戦は15機、来とった。戦闘機は速いんでな、
蛇行運動しながらついてきよった。
◆雷撃を敢行
いよいよ敵の船団が見えだしたらな、零戦が真っ先に増槽を放って
ドーンと反転して敵に突っ込むけんな。敵の戦闘機に遭ったら
空戦せにゃならんからな。私らの一式陸攻は雷撃するときは
編隊を解散して、一機ずつ。それぞれ目標決めてね。
Q、篠原
敵の対空砲火に飛び込んだのですね。
A、天野氏
歌の文句で「十字砲火」言うけどそんなもんじゃない。
・・・そんなもんじゃない。
敵艦船一隻だけでも高角砲を何十門、百門近く持っとるよ。
それが何十隻もあるんやからね。花火のようにボンボンボンボン撃たれるよ。
あれの中に飛び込んで行きよるけんの。何せ低空じゃから。
低空で突っ込みよるところ写真があったよなあ。それ見て。
その写真の中におったよ。
▲8月8日に米軍艦艇から撮影された有名な一枚。
天野氏はこの写真の中に居た。水面ギリギリを飛行する一式陸攻の高度は
10メートル以下に見える。天野氏によればラバウルの地上でゼロに補正した
高度計はこのときマイナスを指していたという。
Q、篠原
雷撃の前に被弾したのですか?
A、天野氏
いや、雷撃の前からボンボンボンボン弾はあたっとるよ。
それでも雷撃進路に入ったら一直線よ。もう。
戦闘用意になったらな、操縦員以外はみんな機銃配置につかにゃいかん。
前席に7ミリ7がひとつ。後方に三つ、上で四つ目で、尾部に20ミリ。
20ミリは大きいよ。両足でこうしてドーーーっと
撃つんやけどな。一発の弾丸がこんなに長い。
その時、私は一番前方に居って、偵察やりよった。
敵の機動部隊がおって、敵の戦闘機を撃たにゃいかん。
もうしょうがないけんドッドッドッド撃っていたら、機長の今村兵曹が飛んできて
「天野!交代しろ!」
言うて、私は嫌じゃったけど「はい」言うて交代しよった。
それで私は後ろに下がって、スポンソンについて
機銃を構えた。一式陸攻の機体の両サイドにガラスの半球があろう。
あれをスポンソンと言うのがあるんじゃが私は右側のスポンソンに付いた。
そのガラスが半分ガッと開くんじゃ。開いたと同時に機銃がパッと出るん
じゃけん、機銃が出たらすぐにこれを撃てるようになっとるけん。
根上兵曹という電信員が左側で撃っていた。じゃけん、私は右側の
7ミリ7の銃口出してドンドンドンドン撃ったよ。すると向こうも撃ってきよる。
もう船はスレスレじゃから。甲板から撃ってきよるアメリカの兵隊が
見えるじゃけん
◆被弾、ペアの戦死
それから魚雷落とした。落として間もなくこっちも
ドンドーンて撃たれて。墜落した。
大火災よ。機体も折れた。ちょうど、ここ(翼の付け根)からこう折れた。
海面に墜落して、ちょうど自分の居ったところが折れてめくれあがってな
海水がガーっと入ってきたんよ。上は大火災よ。
左側の根上兵曹がドボーンと海に飛び込んだけんな、私もその後
すぐに飛びこんだ。飛び込んでから暫く主翼が浮いとった。私は主翼に
つかまったんじゃ。
そこから操縦席をチラっと見たらメイン操縦員の酒井兵曹が
飛び出ようと窓開けよった。そしたら火がガーッと回って見る間に
顔もみんな焼けて溶けながら死んでしもうたよ。サブの操縦員は
早めに頭貫通銃創で首から血を流して死んどったよ。操縦員二人とも
死ぬところ見た。
それから、さっき交代してくれた機長の今村兵曹は吹き飛んでしまって
影も形も無い。尾部で20ミリ撃ちよるのは、飛行服ひっかけたように
なって死んどる。上で機銃撃ちよった多々良兵曹は、弾が直撃して
首から上がこっち吹き飛んできたよ。だから、これも死んだ。
操縦員の二人と、機長と、尾部で機銃撃ちよったのと、
五人の死に様見たよ。
私も機長が交代してくれなんだら死んどる。
本来であればね、機長は機長席言うのがあるんじゃ。
そこへ座っとって合図するだけでええんじゃけど、いざ戦闘という事に
なれば、そうはいかん。真っ先に前部の機銃に飛んできよった。
それで、墜落して、電信員と私だけが生き残って、海へ出てみたら
敵の艦船が林のごとく居る。反対側見たらソロモンの島が見える。
ここへ行ったら友軍いるか思って泳いで行くか言うて。
そのとき私は負傷しとったけん、泳ぐたびに血が流れて真っ赤じゃろ。
これをフカが見て寄ってきた。こうガブっと。噛まれとったで。じゃけん
フカを抱き寄せてな、蹴っ飛ばして浮き上がって。電信員の根上兵曹が
20、30メーターむこう泳いでいきよった。
「天野ー!死ぬなよー!早くこいよー!」言うて。
こっちはフカと格闘で、そのうちによう水飲んで気絶してしもうたよ。
◆救助される
それで本当なら、死んどんじゃがな。
今、考えてみたらよう生きていたなと思うよ。ほんと。
気が付いたらな、アメリカの駆逐艦の医務室じゃった。
裸にされて、ベロベロ肌を剥がされるんじゃから気が付くわい。
微かに見えるのが敵さんの看護兵じゃろ。これはいかん(捕虜になる)
思うたけど、動けん、どうにもならん。
大怪我したら水が飲みたいんよ。水じゃ水じゃ言うたってわからんけんな。
ウォーターウォーター言うとったら水持ってきてくれたがな。
やっぱりパイロットはある程度は英語は単語ぐらい覚えとかないかん。
それでまた気を失って。
その次に気が付いたのが、もう何日たったか。
両腕ぜんぶ包帯しておってな、顔も全部包帯。
目の所と、口ちょっと開けてジュース飲ませてくれよったで。
港へ着いて、トラックの上に運んでくれた。それで病院行ったんよ。
病院来てベットあって、ここは何処じゃろうかー?思いよったら
ベッドのところにウエリントンって書いてある。陸軍の兵隊なら
わからんで。
私は全国の首都くらいは知っとったけんな。ウエリントンいうたら
ニュージーランドじゃないかなあ、と思ったら案の定。ニュージーランドの
北の島じゃった。三国同盟じゃけんな、捕まったイタリア人もきとる、
ドイツ人もきとったよ。
電信員の根上兵曹も隣のベッドじゃった。あれ?これは顔が焼けて
しもうて相違うなと思うたけど声聞いたらやっぱり根上兵曹じゃった。
「根上兵曹ですかー?」と聞いたら「お前天野かー?」言うて。
寝とったけど。そうやって話すもんじゃけん、別々にされた。
別々にされてから一週間か10日か経ったかなあ。
体調が良くなったと思いよる頃に今度は拷問じゃがな。
「どっから来たんじゃ?」「兵科はなんだ?」なんて色々聞くけど
私は「ノーノー」言うとった。「兵科?わかりません」言うて。
通訳もおるんやけど。
Q、篠原
電信員の根上兵曹も生き残ったのですね
A、天野氏
ええ。根上兵曹は顔だけ火傷だった。ドッドッドッド泳ぎよって。
二人とも引き上げられた。何故かと言うて、後で聞いたらな
アメリカの飛行兵もだいぶその辺に落ちとったんじゃと。
それで飛行服着てるの全部つまみあげたんで、助かったんじゃ。
二人とも内地へ帰ったよ。ほいじゃけん、あの人(根上兵曹)は
北海道出身やけん。顔をひどく焼いておる。電信員やけん、
飛行帽こうあげとったから耳まで焼いとったよ。それでも顔隠すわけに
いかんけん。半月もしないうちに凍傷で死んでしもうたよ。
お父さんから死んだという手紙があったよ。生きたと思って
喜んでおったのが、内地帰って半月もせずに死んでしもうて。
私は両腕、顔面火傷、ならびにフカ噛跡。それが傷病名。
◆最後に
特攻隊は訓練をやる暇がないけん、一発で爆弾抱いて行って突っ込めやと。
我々の頃は特攻隊と違ってな、出撃一回や二回じゃいかん、
ドンと魚雷落としてまた戻ってこい。戻ってきたらまた行け、
戻ってきたらまた行け、その繰り返し。私らは一回や二回では
死なせてくれんのよ。死ぬまで何回でも行くんじゃ。
熟練者もだいぶおったんやけど殆どがソロモン海で死んでしもうた。
同期なんかみんな死んでしもうて、おりゃせん。
死ぬのは怖くなかったよ。いずれは死なにゃいかん。
死んだら国の為、靖国神社にお参り来てもらおう、
そう思ったら何も怖い事なかったで。
今は死ぬの怖いなあ(笑)何の為にもならんのに。
まあ、そうゆうことで、ようやった思う。
おわり
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天野氏の参加した昭和17年8月8日の雷撃戦について
昭和17年8月7日
夕刻、ラバウル・ブナカナウ飛行場に池田拡己大尉指揮する三沢海軍航空隊
第二中隊の9機が到着する。
池田大尉はプリンスオブウェールズとレパルスを撃沈したマレー沖海戦に
参加した搭乗員だった。
天野氏の搭乗機は9機編隊(一個小隊3機×3編隊で一個分隊9機)
の第一小隊二番機(池田大尉の二番機)で
機長・今村一飛曹、主操縦員・酒井二飛曹、副操縦員・山中一飛、
搭整員・多々良二整曹、電信員・根上二飛曹、偵察員・天野二飛
攻撃員・山口二飛。
昭和17年8月8日
二十五航戦司令部より雷撃による敵輸送船団攻撃が下令される。
攻撃部隊は、第四航空隊に前日、ブナカナウに進出していた
池田大尉の三沢海軍航空隊の第二分隊9機(この9機編隊の二番機/
第一小隊二番機が天野氏の搭乗機)が加わり全28機で出撃が決定する。
午前五時三十分、離陸開始。第四航空隊の一機が離陸時に尾輪を折損したため
出撃を取りやめとなる。また、進撃中、三機が機体故障により引き返した為
第四航空隊と三沢海軍航空隊合わせて24機となる。護衛には
零戦15機がついていた。
ムンダを過ぎる頃から警戒配置が命じられ、一式陸攻隊はイザベル島を
左に見ながらマライタ島まで前進。そこから南下してツラギ沖の輸送船団を
狙う予定だった。フロリダ島東端を通過した一式陸攻隊を不調だった米軍の
レーダーが捉えたのは輸送船団まで僅か5分のところだった。
ただちにCAPのF4F戦闘機が邀撃し一式陸攻4機が撃墜された。
午前九時五十分、
一式陸攻隊に突撃命令が下される。この写真は8月8日に米軍艦艇から撮影された
有名な一枚である。天野氏はこの写真の中に居た。水面ギリギリを飛行する
一式陸攻の高度は10メートル以下に見える。
天野氏によればラバウルの地上でゼロに補正した高度計はこのときマイナスを
指していたという。F4Fの追跡から逃れた一式陸攻は弾幕の中に突入、
魚雷を投下すると、戦闘区域の離脱を目指す。
攻撃が終了しラバウルに帰ってきたのは第四航空隊が3機、三沢海軍航空隊が
2機のみ。他に三沢海軍航空隊の1機が不時着大破した。攻撃に参加した
24機中、18機が失われる結果となった。第四航空隊は小谷仟(こたにかしら)大尉と
藤田柏郎大尉が戦死し、三沢海軍航空隊もマレー沖海戦に参加した
池田拡己大尉が戦死した。
出典・佐藤暢彦著『一式陸攻戦記』199-202頁
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最後までご覧くださりありがとうございました。
一式陸攻搭乗員天野さんのお話(1)一式陸攻のイロハ
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一式陸攻搭乗員天野さんのお話(3)ソロモン海戦
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